2024/4/18木曜日
6時に起床し洗濯と朝食、昼食作り。
ベランダでの水やりを済ませたら、米麹作り。
発酵機の温度設定を最低の25度にしていたからか品温は35度。
設定を31度に上げる事に。
2つの麹蓋に分けたら再び発酵機へ。
やることやったら図書館へ。
返却期限が来た本を返し、予約した本10数冊を受け取り。
帰宅後、早速読書。
まずは西郷隆盛本。
この方、島津斉彬公が生存中はめっちゃ好印象だった。
が、2度の遠流から赦免され藩政に復帰した頃から悪くなった。
恐らく、英外交官のアーネスト・サトウや英公使パークスと関わりを持った辺りからだと思われる。
この人が大活躍したおかげで倒幕が実現。
一体何があったん?と興味津々ですわ。
ちなみにパークスとは公式に2度会っている。
一度目は1866年6月28日にパークスが鹿児島に来た時。
この時西郷はパークスに「天皇と将軍という王が2人いる状態は外国に対して恥ずかしい」と述べたそうだ。
本当にこげな事言ったのかね?
日本人なら共存している事を何らおかしいと感じないで。
既に平安時代に朝廷による政治はどうしようもない、と見切りを付けている。
征夷大将軍が政治を仕切っていたからこそ元寇も乗り切れたんよ。
そして、パークスとの二度目の会見は1868年3月28日。
実はこの2週間前の3/13に西郷は江戸総攻撃となれば多数の死傷者が出るので横浜の英軍病院を収容施設として借り受けたい、と使者を送っている。
それに対しパークスは「拒否する。慶喜は恭順の意を示しているのだから攻撃には反対だ。これは万国公法(国際法)にかなったものだ」と返答。
この頃はDSも国際法を遵守していたのな。
これを受け西郷は3/14に江戸城総攻撃を中止している。
昨日の今日だで。
西郷こそパークスに恭順や。
そして、西郷は戊辰戦争勝利後、何故か鹿児島に帰っている。
で、自分等が仕掛けた下剋上の戦いの尻拭いが待っていた。
忠義は従三位。
忠義の父の久光激怒ですわ。
藩主のみならず士族にも大きなショックを与え、各地で反乱が起き始めた。
新政府が発足したばかりで大変な中、岩倉や大久保らはヨーロッパ視察旅行に2年間も行っちゃったんよ。
全ての尻拭いを西郷に任せて。
続きは午後に。
12時に昨夜以来の食事。
お腹が満たされたら午後も読書。
あっという間に明治六年の政変まで来た。
驚いたのは征韓論を熱く唱えていたのは西郷ではなく板垣退助だったということ。
以前読んだ本でも、西郷はどちらかというと、朝鮮半島に話し合い、説得に赴く、という心積もりだったと記憶している。
兎に角、西郷を孤立させ、大久保と対立させ死に追いやりたかったんだろうね。
全てを知る西郷を。
イギリスのフリーメイソン連中が。
その時は隠蔽出来ても今、バレてますわ。
15時から蓬餅作り。
甘さ控えめなので、ヤロー共にも大好評だった。
16時から入浴。
17時半から夕食作り。
油淋鶏、コンソメスープ、エビサラダ、チーズonクラッカー、残り物のぶりあら煮、ウォッカ梅酒ロック。
初めて作った油淋鶏は大好評だった。
お皿は長男が洗ってくれた。
おりがたく、読書の続き。
お陰様で「真実の西郷隆盛」を読了。
このあと伊牟田比呂多著「幕府挑発〜江戸薩摩藩邸浪士隊」を読むことに。
歩数計は5832。
充実した一日だった。