arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー780日目と火曜テニス

2024/1/9火曜日

5時半に起床し洗濯と昼食、納豆作り。

やる事やったら8時40分に火曜テニスの初打ちへ。

 

男子5名女子2名が参加。

新年の挨拶をしたら対面でのアップをスタート。

ミニラリー、ボレー対ストローク、サーブ練習と熟したら10時半からお楽しみのゲーム。

ジャンケンで順番を決めたら1ゲームローテーションでスタート。

11時からはコートを移動。

12時半まで楽しんだ。

 

スーパーで買い物をしてから帰宅。

珍しく夫も買い物に付き合ってくれた。

13時半に帰宅後、まずは着替え。

スッキリしたら14時から昨夜以来の食事。

お腹が満たされたら、午後は読書。

 

今日読んだ本は西木正明著「孫文の女」

女性を題材に、日露戦争や、その後の極東でのロシア軍と日本軍との攻防が取り上げられていた。

極東に於ける、日露戦争ロシア革命ボリシェビキ(過激派)と白ロシア軍とのせめぎ合い等も興味深く読ませて貰った。

中でも、間島の馬賊頭目の話に魅入られた。

天草出身のからゆきさんが流れ流れていつの間にか馬賊頭目、孫花亭の女に。

最初は馬にも乗れなかったが裸馬で練習するうちに乗りこなせるようになり遂には自身が頭目に。

満州お菊」と呼ばれ一目置かれたそうだ。

そして、孫花亭と共に内蒙古のパプジャップ将軍や孫花亭の義兄弟の張宗昌(張作霖の義弟)とも交渉する。

更に、ブラゴベシチェンスクに「オーロラ宮」というバーも開店。

1920年ソ連側の国境警備が厳しくなりオーロラ宮を閉店。

ニコラエフスクへ移った3年後の1923年に30代の若さで病没したそうだ。

本人曰く幼い頃に売られたので正確な誕生日は知らないのだそう。

からゆきさんて人身売買で海外に売られた女性の事を言う。

外人が日本におおっぴらに来始めた16世紀頃から日本の女性が海外に奴隷として売られるようになった。

それに気付いた豊臣秀吉バテレン追放令を出し宣教師達を処刑した。

その後徳川家康によって鎖国が布かれ日本の女性は守られた。

が、明治になって開国された途端、再び日本人女性は国策で海外へ売られるように。

騙されて海外へ売春婦として売られ病気になり稼げなくなると最後はワニの餌にされた女性も居たそうだ。

哀悼。

 

https://ameblo.jp/ohanakeiko/entry-12602595966.html

 

17時から夕食作り。

ブリ大根、ブリのムニエル&味噌ダレ、厚揚げの肉巻き、キャベツとクルミのサラダ、玄米ご飯、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

後片付けを済ませたら営業終了。

次の本を読むことに。

 

歩数計は14923。

充実した一日だった。