6時に起床。
外は雨。
予定していたテニスは中止に。
借りてきた本が10冊以上あるので読書に勤しむ事に。
まずは山崎光夫著「我に秘薬あり」
自身で薬を調合するほど薬に詳しかった徳川家康公に関する本。
その探究心は天下を掌握する地位に近づくにつれ大きくなった。
権力者程、毒殺等の危険が高まるからね。
で、自身の典医に相談しながら熱心に最高の解熱解毒剤を求めた。
そして、それは正倉院の中にある、と知った。
が、それは権力者でないと入れない倉。
天皇の許可、勅許が無いと入れない処だ。
家康公は朝廷から源氏の長者、そして、征夷大将軍への任命を待って、遂に正倉院に入った。
が、そこにあると言われた至高の解熱解毒剤は無かった。
既に使われてしまっていたそうだ。
が、諦めきれない家康公は材料を調べた上で材料を用意。
典医に命じ作らせたそう。
その薬は代々将軍家に受け継がれ、家光公や孝明天皇を重篤な病から救ったそうだ。
その本の最後の方に、大正11年(1922年)にイギリス皇太子が正倉院に入った、との情報を見つけた。
王冠を賭けた恋で有名な後のエドワード8世のこと。
ま、日本はその時既にイギリスの植民地だった、という証拠ですわな。
8時半にゴミ捨てのついでに買い物へ。
10時にベトナム帰りの長女を駅でお迎え。
帰宅後、早速お土産のコーヒー豆を試飲。
めっちゃ美味しかった。
12時に昨夜以来の食事。
味噌汁と玄米と納豆メインでお腹を満たした。
午後も読書。
大久保彦左衛門に関する本。
高天神城攻めの話も出てきた。
武田vs徳川の戦いは本当に壮絶だったようだ。
特に、武田勝頼が長篠の戦い後に信濃に引き返し孤立無援になった高天神城に籠もった武田軍の悲壮感は半端ない。
餓死者も出て、幽鬼状態で城の外に打って出た。
先日の相木森之助の話では武田軍は400だったがこの彦左の本では600とあった。
圧倒的少数で勇猛に戦い女子供が逃げる時間を稼いだのはあっぱれ。
家康公は三方原の戦いでも武田軍に敗戦し脱糞しながら敗走している。
武田軍の゙強さは身に沁みている。
通りで、家康公は武田方の女性を好んで側室に求めた訳だ。
16時半から夕食の用意。
18時に入浴。
19時から夕食。
赤魚の粕漬け、チーズ入り煮込みハンバーグ、モッツアレラチーズサラダ、焼き芋、猪豚の味噌汁、ウォッカ梅酒ロック。
長女のベトナムの土産話を聞きながら良く呑み良く食べた。
お皿を洗ったら営業終了。
読書の続きをする事に。
歩数計は4524。
充実した一日だった。