2024/1/8月曜日
5時半に起床し洗濯。
6時に米麹を出麹。
7時半に車でテニスへ。
8時半に吉見総合運動公園へ到着。
男子4名女子1名が参加。
富士山が綺麗に見える中アップをスタート。
アップを済ませたら4ゲーム消化ノーアドの試合をスタート。
10時半頃からにわかに強風に。
11時を過ぎたあたりから7mの風が吹き荒れ、周囲のグループが一つまた一つとコートから去って行った。
12時前には自分らもあがることに。
周りを見ると1組しか残っていなかった。
12時半に帰宅後、急いで食事の用意。
残り物で済ませた。
お腹が満たされたお風呂。
よーく温まった。
午後はゾルゲ事件に関する本と調べ物。
第二次世界大戦前のアメリカではアメリカ共産党による活動は合法。
そして、外国人党員も多々。
ゾルゲを尾崎秀美に紹介した鬼頭銀一もデンバー大学留学中にジョー小出(鵜飼宣道)と知り合い、共にアメリカ共産党日本人部へ入党した。
ちなみにアメリカ共産党日本人部には200名の党員が居たそうだ。
そこからソ連に留学するものも多かったそうだ。
が、1930年代にはスターリンによる粛清がスタート。
大勢の日本人が犠牲となったそうだ。
本家のソ連とも堂々と交流。
なのに、日本国内では1925年に制定された治安維持法が施行されたあたりから共産党に対する弾圧が激しくなった。
戦後はGHQによる猛烈なレッド・パージもスタート。
多くの人が逮捕されまくった。
前述の鬼頭銀一に関してはその扱いに謎が多々。
ゾルゲも最初の頃の供述では彼の仲介により尾崎と知り合った、とあるのに後半の供述では「鬼頭銀一なる人物は知らない」とその存在すら否定。
ちなみに、ネットで検索すると鬼頭銀一という人物は1935年〜1936年に神戸で鬼頭商会を開店。
3年後に店を畳んだあと日本軍の施設に関与する為パラオのペリリュー島に渡ったそうだ。
そして、1937年に日本から来た30代の男に小豆の缶詰を渡され食べたあと食中毒で死亡した事になっている。
↑どこをどうとっても毒殺やないか?
今まで小豆の缶詰散々食べてるけどあたった事無いで。
調べれば調べる程、おかしな点が出てくる事件ですわ。
頑張って調べる事に。
17時半から夕食作り。
ハンバーグ、野菜の塩麹コンソメスープ、根菜サラダ、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
後片付けを済ませたら、読書と調べ物の続き。
眠れ眠れ攻撃を受け何度も寝落ちしながらの作業。
ブログ編集中の現在も眠れ眠れ攻撃を食らっている。
頑張って投稿する事に。
歩数計は15931。
テニスが楽しかった一日だった。