2024/11/17日曜日
5時半に起床し最新情報をチェック後、目玉焼き作り。
6時45分に畑へ。
まずはアオムシチェック。
キャベツ3株にミニサイズのアオムシを合計5匹発見。
ピンセットで駆除。
更に他の株で卵も発見。
植えたばかりの白菜にも幼虫が。
これもピンセットで駆除したあと、納豆菌培養液を振りかけた。
次に、大根とレタスとほうれん草を収穫。
最後に大根七耕。
良い汗を掻いた。
8時に畑を後に。
帰宅後、シャワーと洗濯。
ベランダガーデニングの水遣りも済ませたら9時半から読書。
昨日に引き続き青木健著「アーリア人」
ソグド人の歴史で有名なのはアレクサンダー大王がペルシア帝国を滅ぼした時。
ソグド人はサカ人と組みギリシア軍に三年近く抵抗‼️
アレクサンダー大王はイラン高原ではお目にかからない根強い抵抗に遭遇。
この時、ペルシア貴族スピタメンがサマルカンド城頭に立ち英雄的に抗戦し戦死。
誇り高いソグディアナは最後にはギリシア軍に占領されたものの非戦闘員を含むソグド人12万人を大虐殺して回ったとの記録はアレクサンダー大王の経歴に汚点として残った。
〈オアシス諸都市連合時代(3〜7世紀)〉
3世紀に入るとシルクロードの担い手はバクトリア商人からソグド商人に。
この頃、土地を集約し富を集積した地主貴族が成立。
中国語資料から、ソグディアナのオアシス諸都市に定住した月氏の子孫が各都市の王として君臨。
5世紀頃からサーサーン王朝、エフタル、突厥、随王朝、唐王朝などの間を巧みに立ち回り自治を維持。
代表的な9つのオアシス諸都市の王族の姓が全て「昭武」だった為、中国では「九姓昭武」と呼ぶ。
5〜7世紀のサマルカンドでは城壁が整備され大邸宅が建造され壁画等の芸術作品が発達。
この時代はソグド人のキャラヴァン交易の最盛期にも当たる。
サマルカンド、ブハーラー、ペンジケントなどの諸都市では嘗て無いソグド文化の華やぎが見られた。
(3)シルクロードの商業民として(前1〜後10世紀)
〈バクトリア商人の弟子からライバルへ(前1〜後4世紀)〉
前1世紀頃は中国の絹や貴重品をオリエントやインド亜大陸へ中継する販路はバクトリア商人によって独占されソグド人はこのバクトリア商人の弟子になったりフェルガナからサマルカンドへ石を運ぶ近距離取引が主流。
ソグド語の商業用語はバクトリア語に由来している事が師弟関係を裏付け。
但し、バクトリア商人は東西貿易に関与した痕跡をそれ程残さなかったのに対しソグド商人は夥しい数の文献資料を残した。
3世紀になるとソグド商人はシルクロード貿易及びインド亜大陸貿易に参加。
313年に書かれた最古のソグド語文献「古代書簡」は敦煌で発見される。
また、当時のソグド商人が洛陽まで商圏を伸ばして永嘉の乱(307〜312年)の状況を心配している様子が綴られている。
同時代にインダス河上流域の交易ルート沿いで書かれたソグド語碑文は600点にも及ぶ‼️
〈シルクロードのキャラバン掌握(5〜7世紀)〉
中国史で言えば魏晋南北朝時代後期〜随唐時代前期に掛けてソグド商人達のキャラバンはテュルク系の鮮卑人王朝(北魏〜唐)の支配下、思うままに華北全域に拡散。
各地にコロニーを形成し定住し特徴のある墓を造営。
華北におけるソグド人研究の貴重な資料となっている。
この時代が世に名高いシルクロード交易の全盛期。
長安には時ならぬソグド文化の花が咲いた。
李白(701〜762年)が胡姫を詠んだ一首は有名。
五陵の年少、金市の東
銀鞍白馬、春風を度る
落花踏み尽くして、何れの処にか遊ぶ
笑って入る、胡姫の酒肆の中
他のサイトで李白の七言絶句を発見した。
『李白の七言絶句「少年行」(壺齋散人注)
五陵年少金市東 五陵の年少 金市の東
銀鞍白馬度春風 銀鞍 白馬 春風を度る
落花踏盡遊何處 落花踏み盡くして何れの處にか遊ぶ
笑入胡姫酒肆中 笑って入る胡姫の酒肆の中 』
https://chinese.hix05.com/Libai/libai2/libai206.shonen.html
更に、ソグド商人は中央アジアからモンゴル高原に至るステップ地帯にも足を伸ばしテュルク系遊牧民と相互の利益を図った。テュルク系遊牧民は軍事力でソグド商人の交易路を保障し、ソグド商人は彼らの苦手な文書業務を代行。
ソグド語の単語がテュルク語に導入されている事実により確認される。
〈ソグド人の黄昏(8〜10世紀)〉
ソグディアナから華北へ至るソグド商人の商圏は三つの歴史的事件によって揺らいた。
①712年にソグディアナ本国がアラブ人イスラームによって占領されゾロアスター教文化とソグド語文化が崩壊。
テュルク系遊牧民やチベット人の勢力が伸び群雄割拠状態に陥った事。
744年にテュルク系のウイグル王国が成立するとソグド人はその顧問として強力な地歩を築き、ソグド人がもたらしたマーニー教が国教となった。
ソグド人は10世紀までにテュルク化の波にのまれ商業ネットワークも消滅した。
(4)イスラーム以前のソグディアナの宗教文化(前6〜後8世紀)
〈古代ゾロアスター教の栄える地〉
ソグディアナの宗教に関する最古の資料は敦煌で出土したソグド語文書の一片に見出だせる。
内容は推定前6〜4世紀に遡るソグド語の古形で記されていた。
1970年代に古代イラン学者がそれを解読したところ紛れもないゾロアスター教特有の聖呪のソグド語版に該当と判明。
よって、資料上、ゾロアスター教が信仰されていたことが確実な最古の地はメディアでもペルシアでもバクトリアでもなくソグディアナ。
今日はここまで。
3世紀から商人として中国まで交易に向かってた、て凄いね。
勿論、車も電車も無い時代よ。
しかも多くの記録を遺している。
歴史好きとしては有り難い限り。
興味深く読ませて貰った。
12時に昨夜以来の食事。
午後も読書と調べ物。
14時から夕食の下拵え。
パン生地の材料をホームベーカリーにセット。
その間に圧力鍋にカットしたスジ肉や豚タン肉やトマト缶をセット。
圧力している間に、サラダの下拵え。
それが終わったら大鍋でシチュー用のじゃがいもや人参、玉ねぎ等を炒めた。
15時に長男と孫達が到来。
1人はお昼寝中。
夕食の下拵えが一段落したらパン生地が出来るまで孫と遊んだ。
15時半に長男達は公園へ。
丁度、長女が帰ってきたので助っ人に公園へ向かった。
16時半にパン生地を丸めていると法事に出席していた夫と嫁が帰宅。
17時過ぎに公園組が帰宅。
夕食を食べる事に。
このあと焼きたてパンを提供。
全粒粉入りロールパンは大好評だった。
お皿は長男が洗ってくれた。
デザートは嫁が焼いたチーズケーキ。
濃厚で美味しかった。
19時に帰って行った。
そして、今頃もう一つのデザートの王林リンゴを出すのを忘れた事に気付いた。
明日来たら提供しよう。
歩数計は7361。
充実した一日だった。