arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1160日目とアーリア人⑪

2024/11/15金曜日

6時に起床し長女の朝食とお弁当、次男のおにぎり作り。

外は雨。

畑はお休みに。

雨は8時には上がる予報だったので洗濯はした。

そして、中華麹の材料をヨーグルトメーカーにセットし、草大福作りの下拵えを済ませたら9時半にお孫ちゃん達と買い物へ。

帰宅後、買ってきた食材を収納したら、もう11時半。

昨夜以来の食事作りをスタート。

夫には温かい蕎麦を用意した。

お腹が満たされたら草大福作り。

一昨日、孫と一緒に摘んだ蓬を茹でて初めての草餅作りに挑戦。

ちょっと生地がゆるゆるで形を作れなかったので白玉粉を追加しもう一度レンチン。

今度は成功した。

中には自家製あんこと柿とリンゴがはいっていてフルーティな大福に。

早速試食。

無添加の草大福。

我ながら美味しかった。

 

更にお腹が満たされ大満足。

大好きな読書をする事に。

昨日に引き続き青木健著「アーリア人

 

3 バクトリア人・マルギア人ーヘレニズムと仏教の受容者(前六〜後九世紀)

(1)バクトリア・マルギアナと研究資料

ヒンドゥークシュ山脈北麓の『バクトリア・マルギアナ複合文化』〉

現在のアフガニスタンイスラーム共和国の北部からトルクメニスタン南部に相当する地域。

イラン高原に比べ水質豊富な河川に恵まれ生活環境が良い為紀元前2000年頃から先住民が居住。

出土品から都市の機構や灌漑設備、工芸品の質がわかり高度な都市文明を築いていたと判明。

バクトリア・マルギアナ文化』と名付けられ研究されている。

バクトリア,マルギアナの歴史が複雑なのは文字資料の不足に加え、この地帯が中央アジアの穀倉地帯ゆえ軍事力に長けた外来諸民族が頻繁に侵入した事による。

ペルシア人のハカーマニシュ王朝(前6〜前4世紀)

ギリシア人のグレコバクトリア王国(前3〜前2世紀)

③大月氏のクシャーナ王朝(前2〜後3世紀)

ペルシア人のサーサーン王朝(3〜7世紀)

⑤アラブ人のイスラーム帝国(7世紀〜)要するにバクトリア・マルギアナ人は政治的に自立することなく常に外来勢力に支配されてきた。

バクトリア語資料〉

①の時代はバクトリアに関する確実な内部資料無し。

②ではアレクサンダー大王の東征に従軍したギリシア人がバクトリアに支配者として居座る。

バクトリア人はギリシア文字の活用を学んだ。

③の時代は土着のバクトリア語をギリシア文字で表記し「アーリア語」と名付け公用語に。

1993年にラバータクでバクトリア語碑文が発見されクシャーナ王朝最大の謎だったカニシカ王の即位年問題が解決された。

その後も100点以上の世俗文書が出土。④⑤の時代の研究が飛躍的に進む。

〈クル大王によるバクトリア・マルギアナ併合〉

前547〜前539年にクル大王が東方遠征。バクトリアとマルギアナはペルシア帝国の第12州として併合。

この州は①イラン高原東部で最も納税額の多い要の州、②中央アジアステップ地帯で蠢動する遊牧民サカ人への備え、③インド亜大陸や中国はの交通の要衝として、ペルシア帝国内で重要視。

総督は皇位継承権を持つハカーマニシュ皇族が就任。

州都バルフは帝国東方の最重要拠点とされた。

〈タフテ・サンギーン遺跡とバクトリア遺宝〉

ペルシア帝国時代のバクトリアの物質文化はタジキスタン共和国西部で発見されたタフテ・サンギーン遺跡の出土品からわかる。

ここのゾロアスター教神殿と推定される建造物の中にハカーマニシュ王朝時代からクシャーナ王朝時代に至る歴代の財宝、通称「バクトリア遺宝」が眠っていた。

特に重要なのが黄金製の神官像と神官奉納板の数々。

そこに刻まれた人物は一様にメディア風の衣服を纏い、手にはゾロアスター教の儀式に欠かせないバルソムの小枝を携えている。

口を覆うマスクを付けている事から拝火壇の存在も想定される。

ただ、バルソムの小枝を持つ手が、奉納板では右手、現在のゾロアスター教では左手、と異なる点や女性も拝火儀式に参与する点、奉納板にそれらの姿を彫って神殿に奉納する習慣は現在のゾロアスター教には無い。

従って、古代バクトリアの宗教は「バクトリアゾロアスター教」と区別。

〈ハカーマニシュ王朝バクトリア王国〉

バクトリア・マルギアナ州が政治史上で脚光を浴びるのは前330年にペルシア帝国が崩壊する時。

ダーラヤワウ3世がガウガメラの戦いでアレクサンダー大王に敗れた際、バクトリア州軍を率いて左翼の司令官を務めていたバクトリア総督ベッソスは主君を裏切りバクトリア・マルギアナ州へ蒙塵する途中でダーラヤワウ3世を暗殺。

王族でもあったベッソスはアルタクシャサ5世と名乗りペルシア皇帝に即位‼️

が、無敵のアレクサンダー大王率いるギリシア軍に前329年に敗れた。

(3)グレコバクトリア王国とヘレニズムの時代(前三〜前二世紀)

ギリシア人による植民地化〉

無敗のアレクサンダー大王はバルフを拠点に中央アジアへも出撃。

中央アジアステップ地帯に居た遊牧民サカ人とソグド人は焦土作戦で3年間徹底抗戦。

大王は住民皆殺しで報復‼️

中央アジアイラン系アーリア人アレクサンダー大王に靡いたのはホラズムのみ。前328年、バクトリアの名門貴族オクシアルトの娘ロクサーナと結婚。

ギリシアから率いてきた老兵をバクトリアに残した。

ギリシア人によるバクトリアの植民地化が始まった。

この時代は①セレコウス王朝がバクトリアを遠隔統治(前312〜前250)と②バクトリアの現地のギリシア人がセレコウス王朝から独立してグレコバクトリア王国を建国した時期(前250〜前二世紀半ば)に区分される。

特に後者のグレコバクトリア王国時代にイラン高原東部に取り残されたギリシア人達が独特のヘレニズム文化を発展させる。

「1000の都市の国」としてのグレコバクトリア王国の繁栄は西方では遺跡が見つからず伝説と化していた。

それが1965年にバクトリア中央部で「アイ・ハーノム遺跡(月の貴婦人の丘)」が発見された‼️

アム・ダーリヤ河とコチャク河が交わる地点でギリシア的設計プランに即した都市機構や神殿遺構、灌漑施設、碑文、ギリシア的工芸品の数々が出土。

ここがアレクサンダー大王が建設した伝説の「オクサス河畔のアレクサンドリア」に当たる可能性もありそう判断しても不思議で無い程の貴重品が埋まっていた。

無敵無敗伝説でカッコいいイメージのアレクサンダー大王だが領土を広げる過程で結構住民の虐殺をやっているのを初めて知った。

あと、32歳と若くして死んだ後、家族が次々と殺されアレクサンダー王家はあっという間に断絶。

諸行無常の響きあり。

 

17時から夕食作り。

鯖、焼き芋、マコモとキクラゲのオイスターソース炒め、白菜と玉ねぎと人参の中華スープ、タラコマヨネーズポテトサラダ、玄米ご飯、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

後片付けを済ませたら営業終了。

読書と調べ物をする事に。

 

歩数計は6968。

充実した一日だった。