arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1161日目と畑とアーリア人⑫

2024/11/16土曜日

5時半に起床。

子供等の朝食を用意したら6時半に畑へ。

まずはアオムシパトロール

吐く息が白い。

流石にアオムシは居なかった。

小松菜は順調。

ビーツは一部元気に。

大根七耕をやろうと思ったが昨日の雨でまだ土が泥濘んで居たので断念。

ニンニクと玉ねぎの雑草を抜いた。

7時半に帰宅後、シャワー&洗濯。

 

9時から大好きな読書。

昨日に引き続き青木健著「アーリア人

 

前247年にセレコウス王朝との間にバルニ族のアルシャク王朝が成立すると地中海世界との交通が遮断されその文化は先細った。

後漢書」によると遊牧民の大月氏中央アジアから南下し「大夏」を征服したと記述されている。

この「大夏」がグレコバクトリア王国ではないか、と推定されている。

(4)クシャーナ王朝とシルクロードの時代(前二〜後三世紀)

〈クシャーナ王朝の成立とトハリスターン〉

前二世紀以降、インド・サカ人やインド・パルティア人がバクトリアを駆け抜けたが最終的に支配した遊牧民は大月氏

クシャーナ王朝を建国する。

前二世紀にグレコバクトリア王国を滅ぼしたのは中国語資料では「大月氏」。

ストラボンやプトレマイオスは「トハラ人」と記述。

バクトリアという地名もこの頃から中国語資料で「吐火羅/都貨邏」、西方資料で「トハリスターン」に変更され「トハラ人」の存在がクローズアップされている。

〈流通経済の発展と仏教、キリスト教流入

クシャーナ王朝時代の特徴として小額コインの増加が言える。

巨大金貨は贈答品で退蔵されるが小額コインは貨幣経済が機能していた証拠。

バクトリア金貨はローマ帝国の金貨と同じ基準で鋳造。

また、クシャーナ王朝時代のバクトリア仏教寺院の発掘調査に関しては日本人学者が活躍。

この地域の仏教は文献よりも考古学的な遺跡を多く遺している。

その仏教伝播の西限はメルヴ。

ここのギャウル・カラ遺跡からはストゥーパと僧院跡、及びサンスクリット語の「バイラーム・アリー写本」が出土。

仏教はクシャーナ王朝時代にインド亜大陸西部から出てイラン高原東部で地盤を築いていた。

キリスト教はメルヴのキリスト教信者の墓地によると3世紀に宣教師マルギアナが到来。

他にもキリスト教僧院跡やネストリウス派十字が打刻された遺物が発見されているのでそれなりの規模のキリスト教徒コミュニティが存在したか。

〈クシャーナ王朝下のバクトリアにおけるゾロアスター教パンテオン

最高神 オホロマスダー、ミフル、マーフ、ファッル、アルドゥフシュ

・戦闘神 ウルスラグナ、テ

ィール、ヴァニンド、ルルヴァースブ

・その他の神格 アーサル

最高神の前二者はイラン系アーリア人共通。

月神マーフの地位が急上昇。

バクトリアには日月を併せた天体信仰が存在したか。

ゾロアスター教パンテオンの中で女性原理を代表するアナーヒターは農業神の性格を有していた為、遊牧民月氏の信仰の中では発展する余地が無く、幸運の女神アシ・ワヌヒがアルドゥフシュとして最高神に高められたか。

また、戦闘神の多さも大月氏由来か。

『アヴェスター』では端役に過ぎない女神ワナインティーがヴァニンドと名を変え戦闘女神として君臨。

女性も軍事的な役割を担っていたと推測される。

また、馬の飼育神ドルワースパがルルヴァースブとして主要神の地位に上昇。

更に、炎を形象化したアサール神への崇拝も彼らが拝火信仰を発展させ保持していた証となる。

(5)クシャーノ・サーサーン王朝からイスラーム化まで(三〜九世紀)

〈エーラーン・シャフルへの併合〉

3世紀末、クシャーナ王朝が滅び、バクトリアはサーサーン王朝に併合される。

州名は『バクトリア』→「トハリスターン」→「フワラーサーン」と二転三転。

宗教政策に意識的だったエーラーン・シャフルに組み込まれた事でバクトリアの宗教事情は新しい段階に。

〈マーニー教、キリスト教、仏教が交わる地〉

バクトリア・マルギアナにはシリア以西の商人、インド亜大陸の商人、ペルシアの支配者が交錯。

目も綾な宗教模様を展開。

一番の変化はメソポタミア平原に出現したマーニー教教会が使徒マール・アンモーを派遣。

一気にイラン高原東部に教線を拡大。

伝説によれば使徒はネーヴ・シャーブフルからメルヴ、バルフと巡錫。

バクトリア・マルギアナ方面を集中的に教化。

マーニー教教会はパルティア語(後にソグド語も)を東方布教の際の教会用語に採用。

更にバクトリアで隆盛を極めていた仏教の術語も大量に導入しマーニー教教義を解説。

バクトリアキリスト教に関してはデータが無い。

この時期のバクトリアの宗教の基層は仏教。

3世紀にはゾロアスター教神官による異教迫害もあったが北伝仏教の拠点となったティルミズの街は引き続き仏教僧院を抱えカローシュティー文字、ブラーフミー文字サンスクリット文献の著述が成された。

国教のゾロアスター教はサーサーン王朝時代のバクトリアにおける資料は無い。

伝説ではバルフにゾロアスター教の大聖火ヴァフラームが設置されイラン高原東部のゾロアスター教の中心となったとされるが、現在までのところそれを裏付ける拝火神殿遺構は見つかっていない。

4 ソグド人ーシルクロードの商業民族(前6〜後10世紀)

(1)ソグディアナのオアシス定住民とシルクロードの商業民

〈アム・ダリヤー河とシル・ダリヤー河の両河地域から華北まで〉

アム・ダリヤー河上流地域を「バクトリア」と呼ぶのに対してアム・ダーリヤ河中流域とシル・ダリヤー河に挟まれた両河地域ー現在のウズベキスタン共和国中央部ーを「ソグディアナ」と称する。

起源はペルシア語の「スグダ」。

「アヴェスター」では「スフトゥム」「カヴァ」と表記され「世界で2番目に良い国」と讃えられた。

北方のステップ地帯から移動してきたイラン系アーリア人牧畜民が大歓喜して住み着いた様子を想像出来るようなネーミング。

首都はサマルカンドとブハーラー。

ソグド人達はバクトリア・マルギアナ人同様、外来勢力に支配されていた。

ペルシア人によるハカーマニシュ王朝(前6〜前4世紀)

ギリシア人によるグレコバクトリア王国(前3〜前2世紀)

③大月氏によるクシャーナ王朝(前2〜後3世紀)

④オアシス諸都市連合時代(3〜7世紀)

⑤アラブ人によるイスラーム帝国(7〜8世紀)

⑥土着のサーマーン王朝時代(9〜10世紀)

⑦テュルク系遊牧民の侵入時代(11世紀〜)

今日はここまで。

遂にソグド人まで来た。

ソグド人は中国でも活動。

日本にも鑑真と一緒にとか、数人来たらしい記録が残っている。

楽しみにする事に。

 

12時に昨夜以来の食事。

午後は最新情報のチェックと調べ物。

その途中で長男に公園遊びを誘われ近所の公園へ。

孫達と落ち葉で遊んだ。

15時半に帰宅後、夕食の用意。

ホットプレートでアクアパッツァを作る事に。

メインは真鯛とち鯛。

青菜は水菜と豆苗、唐辛子の葉(畑から)を載せた。

味付けは中華麹と塩胡椒と日本酒とみりん。

途中、蜆も載せた。

パスタも300g茹でて中央に。

鯛から良い出汁が出て美味しかった。

夫が一番喜んでいた。

長男一家は19時過ぎに帰って行った。

お皿は嫁と長男が洗ってくれた。

ありがたく、読書と調べ物をする事に。

 

歩数計は7456。

充実した一日だった。