arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1108日目と畑と信長と十字架④

2024/9/24火曜日

4時半に起床し長女の朝食とお弁当のおかず作り。

5時50分に畑へ。

オクラを収穫し水遣りを済ませたら7時に帰宅。

シャワーと洗濯を済ませたら、8時半から朝読書。

 

昨日に引き続き立花京子著「信長と十字架 「天下布武」の真実を追う」

 

エスズ会による援助と仏像・寺社破壊の奨励

信長の寺社攻撃行動は有名だが、その前の早い時期にバテレンが九州で仏像・寺社破壊を奨励していた事例を紹介。

松永久秀・三好義継連合軍と三好三人衆の戦いで奈良の東大寺が焼かれた。

信長は家康に同座していた久秀を指差して「この人は尋常の人間に出来ない3悪事を、やってのけた」㈠将軍義輝の弑殺、㈡大仏殿の焼き討ち、㈢主君三好長慶の殺害を挙げた。

大仏殿の焼き討ちに関しフロイスは「一人の勇敢な兵士が礼拝と崇敬のことに熱心な余り密かにそれに火を放った」と大仏焼き討ちを日本でのイエスズ会の功績の一つとして報告している。

1548年1月6日付けマカオ発信のコインプラ学院の校長宛書簡でバテレンのロレンソ・メシアが「十乃至十二年前」の事として同様に述べている。それが当時のイエスズ会での共通認識。→松永久秀は濡れ衣か。

大友宗麟は永禄四年に宇佐八幡宮焼き討ちを始め領内での仏像・寺社破壊が顕著であった。

大村純忠は永禄六年に受洗後の出陣で摩利支天の像を破壊しその寺を焼いた。天正2年(1574年)ガスパルコエリョは純忠に全家臣を改宗させ寺院を教会に変え変えない場合は寺社を破壊する事を約束させた。

大村純忠の甥である有馬鎮純も寺社破壊を行ったがその動機は1580年の龍造寺隆信との戦いでの危機的状況に於いて1579年に来日したヴァリニャーノから経済的・軍事的援助を受けて滅亡を逃れた。鎮純は感謝の念から偶像を駆逐しようと大小合わせて40を超える寺社を破壊。仏僧達はキリシタンに改宗するか有馬領を出ていった。

ヴァリニャーノから有馬鎮純への軍事援助は多量の糧食、金子、弾丸、火薬を供給。それらの金額は600クルザードに達した。当時イエスズ会士の1年間の生活費は一人20クルザード。

鎮純は自分と領民がキリシタンに改宗し領内の寺社を破壊する事を約束した。

商船の入港すべき港の決定にバテレンは発言権を持っていた(←宗教家が?おかしいやろ)からバテレンからの経済的・軍事的援助を期待し仏像・寺社破壊に励んだ、と。金目当てに。

 

エスズ会から大友宗麟への武器援助

バテレンからの大友宗麟への武器供与は明らか。

天文21年(1552年)8/19, 豊後に到着したバテレンのバルタザール・カーゴはインド副王からの贈り物として非常に美しい武器、その他の進物を携え宗麟を訪れ領内での布教許可を願った。

宗麟は永禄11年(1568年)マカオ滞在中のドン・ペルショール・カルネイロ司教宛に大砲の贈与を求める書状を送っている。永禄初年にも大砲供与を要請。2回共大砲は贈られたがその都度船が遭難して海に沈んだ。実際に大砲が豊後臼杵の城内に運ばれたのは天正五年(1577年)の事だった。

宗麟は永禄10年にカルネイロ司教宛で「山口の国王の毛利元就に勝利を博する為に硝石の日本輸入は自分以外の者には一切禁止されたい」と要請している。

エスズ会が(宗教団体でありながら)貿易に関与していたばかりでなく宗麟の軍事行動をも援助していた証拠。

硝石の確保については天正元年頃、龍造寺隆信が弟の多久長信に宛てた書状で「南蛮衆に頼むとすると銀を再々使う事になるがどうしても必要なものであるから銀の蓄えは気にしないで申し付けて貰いたい」と命じていた。「南蛮衆」とはバテレンか商人か不明であるが日本の戦う領主にとってまさに「死の商人

信長への武器援助

エスズ会から信長への武器援助があったという証拠は間接的事例が一例あるのみ。

1584年8/31付け長崎発信イエスズ会長宛のフロイス書簡写しによれば天正12年(1584年)羽柴秀吉紀伊根来衆を攻める際、小西アゴスティノ行長が率いた艦隊の船に「豊後の国主が信長に贈った大砲一門」が多数のモスケット銃と共に備えてあったという。

エスズ会司教を通してインド総督に大砲贈与と硝石の独占輸入を要請している程ポルトガル国とイエスズ会と懇意な大友宗麟から信長は大砲を贈られていた。信長は間接的にイエスズ会から武器援助を受けていた。

今日はここまで。

エスズ会は九州で布教活動を本格的に進め、そこを根城に畿内へ進出したのな。

そこで、大友宗麟は信長への橋渡しに大きな役目を担った、と。

勉強になった。

 

9時に、嫁の希望で幼稚園見学へ。

11時に帰宅。

12時に昨夜以来の食事。

午後も読書。

14時半に長男に頼まれ役所へ。

16時に孫達が到来。

17時過ぎに帰って行った。

その後、図書館の予約資料の取り置き期限が今日と知り、慌てて図書館へ。

帰宅後、急いで夕食作り。

鮭カマ、麻婆春雨、ゴーヤカレー、根菜サラダ、スープ、竹輪チーズ、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

食後も読書を楽しむ事に。

 

歩数計は10154。

充実した一日だった。