2024/5/20月曜日
5時に起床し朝食と昼食作り。
外は雨。
7時に長女を駅まで送迎。
帰宅後、早速読書。
まずは立見尚文本。
日清戦争では厳寒での行軍に苦しめられた。
なので、厳寒での行軍について研究。
その一環が雪中行軍だ。
200名に及ぶ犠牲を出した八甲田山雪中行軍の青森の津川連隊長も出陣。
雪中行軍を成功させた元弘前連隊の福島少佐も山形から出陣。
共に立見師団長の配下として、雪中行軍が行われたのと同じ1月末に黒溝台に到着。
当初、大山総司令部は立見隊に対峙しているロシア軍は一個師団半相当の戦力、と見積もりそれと同じ戦力を配した。
が、いざ始まるとロシア軍は八個師団相当で向かってきていた。
その際、立見に授与する勲章を誤って一階級下で用意。
立見は受取を拒否。
すると、ロシアは一階級上で用意し直す、という出来事があった。
それもあって有名だったのかも。
立見潰しのような展開に。
目の前に七倍の敵が居ても上から攻撃命令が出ればやらなければならないのが軍というところ。
立見は戊辰戦争の時を思い出し「あの時も寡兵ながら敵を圧倒したな」と動じず、作戦を展開。
この戦いで津川隊は壊滅状態に。
福島隊は出撃開始40分で隊長が銃弾に斃れるも遺された隊員はその遺志を引き継ぎ最後まで勇猛に戦った。
福島隊長の教育力と指導力は素晴らしいから。
味方の援軍も駆け付け、夜襲につぐ夜襲で黒溝台会戦に勝利。
この間不眠不休だった59歳の立見は疲労が蓄積。
陣中で病に倒れた。
帰国後も疲労が取れず、2年後の1907年に亡くなった。
彼に関する本を読むと幕末の激動の流れがよくわかる。
また機会があったら読みたい。
12時に昨夜以来の食事。
午後も読書。
この方も蛤御門の変は勿論、第一次と第二次長州征伐や下関戦争、戊辰戦争にも参戦。
いずれも長州目線で書かれている。
なので幕末の長州で何が起きていたのかがわかるのは興味深い。
そこで新潟の人々が戦争や洪水で苦しむ姿を目の当たりにしている。
230ページまで読み、新潟県で年貢半減令を出したところまできた。
年貢半減令て、凄ないか!?
17時半から夕食作り。
残り物中心なので撮影は無し。
献立は、ウドのきんぴら、昼の残りの親子丼、残り物のぶりあらカレー、サラダ、ビーツのスープ。
お皿は長男が洗ってくれた。
ありがたく読書の続き。
からの強烈な眠れ眠れ攻撃。
コーヒーガンガン飲んだのに。
2時半に覚醒。
ブログの編集の続き。
ネット検索出来ないようハッキングされながらもここまで来た。
蛤御門の変が何年に起きたのか知りたかった。
家にある蔵書を調べてわかった。
ブログの投稿が終わったら年貢半減令のその後を読むことに。
歩数計は3911。
充実した一日だった。