昨夜は未明まで楽厳寺城主雅方の娘更科姫の話を読んだ。
このおなごの豪傑っぷりは凄い。
武田晴信(のちの武田信玄)に罪人として連行された夫の森之助を助けようと臨月の身で躑躅ヶ崎館へ。
途中、赤子を無事に産み落としお供の女人に託すと旅路を再開。
武田信虎領に入るや農民に子供らを助けてくれ、と頼まれた。
聞くと、山賊の一団に村の子供5人が攫われたんだそう。
今も昔も悪人のやることは一緒。
夫が死なないうちに躑躅ヶ崎館に着きたいが、攫われた子供達を見過ごす事は出来ぬと、山賊に挑むことに。
相手の山賊は30人。
こちらは更科姫とお供の男女1名ずつ。
あと、怪力の農民も1名加わり計4名。
山賊のアジトに向かうとそこには子供5人の他に縛られた浪人も1人。
戦いの中でその浪人の縄を切り、更に弓の達人の女子1名が加わり6名に。
この6名(うち女子3名)で30名の山賊を皆殺しにした。
ここから躑躅ヶ崎館まではあと一息。
農民と浪人は是非仲間に加えてくれ!と懇願。
怪力の農民が倒した木で館の門を壊し中へ。
すると、そこには数百名の武田軍が待ち構えていた。
その最奥には16歳の晴信公も。
相木森之助の罪状を吟味した結果、晴れて無罪に。
そして、そのあと居並ぶ武田の武士達が更科達へ膝を折った。
そして、代表して教来石(馬場信房)が謝意を述べた。
長年苦しめられてきた山賊達を壊滅させてくれてありがとう、と。
以後、森之助と更科は諏訪原城を任せられ、更に、高天神城と居城を変えていく。
暫くは平穏な時を過ごしたが、長篠の戦いで武田勝頼軍が敗れた後、徳川軍に攻めこまれた。
森之助は軍勢を400と300に分けた。
300は女子供が大勢。
400は城の外に打って出て徳川勢と戦い300が逃げる時間を稼いだ。
300は更科が統率し甲斐国韮崎まで逃げおおせた。
その韮崎の地で夫と家臣の菩提を弔い余生を過ごしたそうだ。
読み終わる頃にはジワリ過ぎて目が腫れちまった。
時代小説てなんでこうも泣かせるんだろ。
今朝は6時に起床し洗濯と朝食作り。
最新情報をチェックしていると、何と!アメリカ下院議長のケビン・マッカーシーがクビ、との記事がそこらじゅうに溢れていた。
Wao!
するってぇーと、次の下院議長は一体誰になるんで?
わいの記憶が正しければ、下院議長て大統領に何かがあった時、副大統領の次に大統領になれる人。
更に、議員じゃなくてもなれる。
今後の展開が楽しみに。
10時に買い物へ。
12時に昨夜以来の食事。
午後は調べ物。
15時から入浴。
16時半から夕食の用意。
縞ほっけと紅鮭、チャーシュー、納豆メカブとろろ、サラダ、とろろ汁、昼の残りの豚と万願寺と茄子の味噌炒め、玄米ご飯、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑んで良く食べた。
後片付けを済ませたら営業終了。
調べ物の続きをすることに。
歩数計は7008。
充実した一日だった。