arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー953日目

2024/4/22月曜日

6時に目覚め最新情報をチェック。

6時半から洗濯と昼食作り。

そして、中華麹作り。

9時半に夫と畑へ。

3月下旬に植えた男爵2列のうち1列から全く芽が出てこない。

同じ日に植えたもう1列の方は全て芽が出て来てすくすく育っている。

試しに掘ってみると、種芋が2個だけ見つかった。

腐っていた。

同条件で植えてもこんな事あるのな。

無類のじゃがいも好きの夫は諦めきれず、もう一度植え直す事になった。

畑作業のあと自分は買い物へ。

11時に帰宅後、一昨日から絞っている醤油を瓶へ移す作業。

液体の醤油は800ml位しか取れない。

が、絞り粕の"もろみ"が大事。

調味料として、漬床として重宝している。

 

12時に昨夜以来の食事。

ヤロー共にはカレーを調理。

自分は納豆とご飯、味噌汁メインでお腹を満たした。

 

午後は読書。

昨日に引き続き、江戸薩摩藩邸浪士隊本。

昨日は総裁の相楽総三の暗殺について読んだ。

今日は指揮取締役の益満休之助の暗殺について。

この人は薩摩藩の高麗町の生まれで江戸藩邸では元々隠密を担当。

幕府挑発を目的とする江戸攪乱作戦の中心人物でもある。

まぁ、知り過ぎている人物ですわ。

新政府中枢として色々と目的を成し遂げた岩倉や大久保にとっては口封じしたいメンバー。

ネットで検索すると、上野戦争での戦傷が元で死亡、となっている事が多い。

が、この本によると、益満は隠密なので攻撃に参加する必要は無し。

ただ、隠密として戦争の様子を上野の本郷辺りに見に行っただけ。

そこは激戦地でも何でも無いが突如銃弾が飛び交い、足に被弾。

たまたま通りがかった薩軍軍監の千田伝一郎が応急処置をしてくれ知り合いの旅籠まで肩を貸してくれたそうだ。

後日西郷が手配してくれた横浜軍陣病院で破傷風が原因で亡くなったのだそう。

享年28歳。

 

最後に、同じく指揮取締役の伊牟田尚平の暗殺について。

この薩摩藩郷士出身の志士、伊牟田は孝明天皇が30代の若さで急死したのを不審に思い江戸から京都に出向き身辺を調査。

天然痘が治りかけたその日の夜に突如重態に陥ったとの話を聞き、暗殺されたと確信。

証拠を探そうとしていた。

↑そんな事したらそらー、暗殺されますわ。

更に、伊牟田は相楽と益満が相次いで死亡したのも知っている。

これで、江戸で悪評高い薩摩藩邸を根城にしての活動が、岩倉、大久保、西郷らの謀議に基づき、参謀役の伊地知正治や連絡役の吉井友実からの指示によって動いた共謀共同活動である事を知っているのは俺しかいなくなったかと思うと、伊牟田は背筋が凍りつくような冷たさを覚えてきた、と書いてあった。

伊牟田を暗殺するにあたって、暗殺者はまず、近江長浜の今津屋強盗事件を起こさせた。

そして、犯人は薩摩弁を喋る背の高い男である、と証言させる。

で、共犯者にも「伊牟田とやった」と自供させる。

あとは、拷問で伊牟田に自白を強要させればええ。

伊牟田が拷問に耐えなかなか自白しないもんだから、取調官は伊牟田の愛人を連行。

彼女にも拷問を課した。←おかしくね?

新政府の役人は無罪の人にも拷問を加えたんよ。

聞こえてくる愛人の悲鳴に耐えかね、伊牟田はやってもいない犯罪を自供。

後日冤罪で処刑された。

結論:悪魔に魂売っちゃ駄目なんよ。後でトカゲの尻尾切りされるから。

大久保でさえ消されたから。

今日はここまで。

 

17時半から夕食作り。

ブリの塩麹漬けと生鮭、キャベツサラダ、ウドのきんぴら、なめこと豆腐のもろみ汁、ウォッカ梅酒ロック。

写し忘れたけれどオーブンで調理した鶏挽き肉の松風焼き。

良く呑み良く食べた。

 

お皿は長男が洗ってくれた。

ありがたく読書の続きをする事に。

 

スマートウォッチの歩数計は6363に設定されていた(笑)

充実した一日だった。