2024/2/23金曜日
6時に起床。
まずは豆麹の「盛り」の作業。
発酵機は最低設定温度の25度。
それでも品温は43.6度をヒットした。
菌がめっちゃ活動してる。
しかも大豆ちゃん達が固まってて息苦しそう。
一粒一粒解してから麹蓋に移した。
外は雨。
昨日に引き続き洗濯物は浴室乾燥機を使用。
コーヒーを淹れるついでにドロップクッキー作り。
そのあとは読書。
昨日に引き続き仲田正之著「実伝 江川太郎左衛門」
昨日は松崎慊堂と鳥居耀蔵との3人旅の話に声を上げて笑わせて貰った。
今日は望月鴻助の切腹に涙。
両鼻にティッシュ詰めながら読んでいたが再び涙。
鴻助の娘、辰が嫁ぎ先で設けた次男が望月家を再興する事になった。
英竜は鴻助の長男が亡くなったあと子孫を探していた。
上2人の娘に男子は無く、末の娘、辰の行方はわからなかった。
それが、たまたま辰の次男が江戸で剣の修行をする事になり、師匠に紹介されたのが英竜の懐刀の斎藤弥九郎の道場。
弥九郎も無論、鴻助の事は知っている。
その新しい門人の身上書を見てびっくり。
母親は望月鴻助の娘、辰、と書かれていた。
すぐさま韮山へ出立。
英竜から返書を貰い、辰の嫁ぎ先の香取へ。
江戸で父親と兄のお墓参りを済ませたばかりの辰はお家再興の話に涙を流し了承した。
父親が亡くなった時、辰は幼く、2ヶ月後には母親も亡くなった。
江川家の借金返済の為に切腹をした父親はヒーローとなったが周りからやっかみもあり辛い日々を送ったそうだ。
それで、ひっそりと嫁ぐ事に。
だから、誰も辰の嫁ぎ先を知らなかった。
鴻助の切腹は英竜の父が代官だった時の出来事。
英竜は幼かったので知らない。
それでも、鴻助の遺族の面倒をちゃんと見た。
剣術といえば、英竜は神道無念流岡田十松吉利の撃剣館で稽古していた。
そこで英竜は斎藤弥九郎と双璧を成していたそうだ。
勿論免許皆伝の腕前。
ここには勝小吉(海舟)や遠山金四郎、藤田東湖、川路聖謨等も門人として通っていた。
マジかー!
ワクワクしながら読んでいると、遠山の金さんのハチャメチャぶりに驚いた。
まぁ、町奉行になる前の若い時分の話とはいえ、かなりの放蕩息子ですわ。
そのうち、金四郎を陰ながら見守る南組の頭「伝七」なる男も登場。
え?もしかして伝七親分?
何でも伝七の母親が遠山家の家臣の家中で女中をしていたのだそう。
伝七は「金四郎が入れ墨を入れるのを止められなかったのが悔やまれる」と話した。
桜吹雪?
ホントに英竜は当時の一流の人々に愛され揉まれて大成したのだ、という事がわかる。
その英竜も代官を継いだあとの天保の飢饉では苦労した。
著者によると、天明の飢饉では凶作で食糧が枯渇。
天保の飢饉では米価高騰により貧困層が購入出来なくて飢饉となった。
つまり、天保の飢饉では食糧はあるが買えない状態。
天明では僻地、孤立の地が飢饉となったが、天保では東海道筋の商いに依存する地に発生。
英竜は村方を救済する一方で飢え人を申請した村方を日頃の指導宜しからず、と叱責した。
そして米屋の打ち壊しをした者達を厳重に処罰。
打ち壊された方も「急度叱り」とした。
更に伊豆9ヶ村の知行地で餓死者を出した鳥居耀蔵からも「面倒を見てくれ」と依頼され視察している。
英竜は富士吉田から甲府、見延、南部と富士山を東から西へ廻る経路で隠密視察。
いわゆる「甲州徴行」を弥九郎と共に決行。
手代の買収は当たり前で名主、郡中惣代、郷宿の不正の実態が明らかになった、とあった。
今日はここまで。
テニスが雨で中止になったおかげでぎょうさん読めた。
あと750ページあるけど。
18時から夕食の用意。
牡蠣と豚肉のちゃんちゃん焼き。
ウォッカ梅酒ロックと共に美味しく頂いた。
食後も読書の続きをする事に。
歩数計は2579。
充実した一日だった。