6時に起床し洗濯と朝食作り。
ベランダでの水やりを済ませたら8時半に畑へ。
カートに水タンクを載せていると夫が手伝ってくれた。
畑に到着後、水やり。
ずーっと雨が降っていない。
夫が前の耕作者から引き継いだ大量の支柱を整理したい、というので分別。
折れたり曲がっている支柱は廃棄する事に。
次に田んぼへ。
一昨日畦豆を見た際、そろそろ収穫してもいいかな、と判断。
今日収穫に向かったら何と跡形も無い。
全て綺麗に刈り取られていた。
唖然としながらも現場を記念撮影。
こんなん一杯あったのに、、、。
10/27撮影の大豆。
例年12月上旬に収穫していたが今年は寒いので11月中に収穫と予想していた。
現場を詳しく調べると畦豆は草刈り機で粉々に刈られていた。
鞘からは大豆が飛び出し辺りに散乱。
毎年味噌作りに使おうと2kgから3kgの収量を目指して栽培していた。
刈ったのは多分田んぼリーダー。
畦豆の栽培は一昨年から許可を貰ってやっていた。
今年で3回目の収穫の予定だった。
何故に収穫目前で刈り取ったのかは不明。
農業に携わる人がこのように農作物を粉砕するとは。
世も末ですわ。
スーパーで買物してから10時半に帰宅。
暫し読書と調べ物。
12時から昨夜以来の食事。
残り物で済ませた。
午後も読書と調べ物。
幕末から明治維新に掛けての事変を調べている。
今日は滝口康彦著「猿ヶ辻風聞」
1863年7月に姉小路公知が京都の内裏を出て猿ヶ辻の辺りで暗殺された事件が取り上げられている。
刺客3名に襲われ斬られまくるも立ち向かい刺客の刀を奪う事に成功。
命からがら自宅に到着後、今後の諸々の事を指示してから事切れたそうだ。
が、田中新兵衛は取り調べ中に自殺したので真相は闇の中。
姉小路公知は若干23歳ながら攘夷派の先峰として三条実美と共に活躍。
公武合体策に暗躍した公卿や女官を「四奸ニ殯」と批判するなどしていたが、和宮降嫁後は家茂公を支持していたそうだ。
勿論、孝明天皇の事も熱く支持。
日本侵略を果たしたいDSからしたら日本のエスタブリッシュメントは邪魔でしようがなかっただろうね。
特に公家なのに剣術家の田中新兵衛から刀を奪い取る程の猛者は。
このあと1866年8月に将軍家茂が1867年1月に孝明天皇が暗殺されるのであった。
僅か半年の間に征夷大将軍と天皇という日本の二大巨頭が相次いで亡くなっているのは注目。
第二回下剋上時代の始まりですわ。
この辺りはもう少し詳しく調べる事に。
17時から夕食作り。
ししゃも&鮭とからみ大根おろし、わさび菜サラダ、大根の葉と生姜の炒め煮、タァサイと豚肉の中華炒め、人参の葉のスープ、ブランデー梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
後片付けを済ませたら読書の続きをすることに。
歩数計は8502。
充実した一日だった。