2024/8/19月曜日
4時に起床し畑へ行く準備をしていると雷鳴が。
天気予報をチェックすると真っ赤な雲が近づきつつあった。
畑は中止。
最新情報をチェックしているとネセラゲセラの発表が8/19,という記事を発見。
これが原因か?
色々調べているうちに二度寝。
7時に起床しシャワー&洗濯。
ベランダの水やりも済ませたら8時40分に買い物へ。
ガソリンスタンドへ寄るとガソリンが少しだけ安くなっていた。
そして、スーパーへ。
珍しく開店前から行列が。
程なく店長が現れ、チラシではお米はお一人様2点まで、となっているけれどチラシは一ヶ月前に作成しているのと連日これだけ行列があるので可能であればお一人様一点で、と説明していた。
それにしてもあれだけ在庫がだぶついてJAの買取価格も安く、農家は買い叩かれていたのに、お米は何処に行っちゃったのかね。
ま、ここらは例年、8月下旬には稲刈りが始まるけどね。
9:45に帰宅後、今度はダイソーへ。
農業資材を購入したら帰宅。
漸く、読書タイム。
昨日に引き続き、本多正信本。
桶狭間の戦いは織田信長が寡兵で今川義元を討ち取りまさかの信長の勝利。
このどさくさで松平元康は双子の兄徳川家元と入れ替わり、家元は徳川家康に。
そう、この著書では徳川家康には双子の弟が居る、という事になっている。
家康と同じ日に生まれた僧侶が居るなど、数々の証拠が挙げられている。
自分は以下の著述で双子説、本当かも、と思い始めている。
法蔵寺に竹千代の書が遺される。日付は天文18年正月。そのころ竹千代こと松丸は織田家の人質だった。岡崎市本宿町の法蔵寺には行けない。
それに、家康公には嫡男の信康と正室の築山殿を処分するという尋常では無い出来事がある。
幾ら信長の命令とはいえ、出来なく無いか?
信康公の自刃に関してはこんな記載もあった。
徳川家が甲賀の忍び衆を使うようになったのはこの西郡城攻めがきっかけ。伴太郎左衛門一族を召寄せた。ちなみに伴太郎左衛門は本能寺に於いて信長と共に討ち死に。甲賀郡信楽から多羅尾一族、更に伊賀からも応援を頼んだ。
伊賀の服部半蔵はこの時16歳ながら配下数十人を率いて元康嫡男信康を奪還。しかしその17年後、成長した信康の自刃に立会い介錯を命ぜられるも男泣きに泣いて遂に介錯ならず。
↑この信康自刃に関してはこのあと、出てくるだろうからじっくり読む事に。
兄家元の代わりに駿府に人質として滞在した元康公も、元康公に嫁した瀬名姫も、嫡男の信康もある意味被害者。
そして、弟の元康が人質として駿府に居た為に結構自由に生きた家元。
その家元は、桶狭間の戦いの混乱の中で面倒見の良かった祖母の源応尼(華陽院)が今川方に嬲り殺されたのを知り激怒。
信長方と共に戦う。
元康は今川方で参加。
松平家はChaos。
今、そんな所を読んでいる。
そもこも、双子が忌み嫌われた事が解せない。
2人も生まれてくるて有り難い事や。
危うく殺されかけた松丸(元康)を何とか生き延びさせた祖母の源応尼は素晴らしい。
生母の於大の方も喜んだと思う。
双子だからて1人を殺されるとか意味わからん。
今日はここまで。
12時に昨夜以来の食事。
午後も読書。
15時過ぎに親族が来訪。
17時半まで楽しいひと時を過ごした。
雷雨が酷いので夫が車で送迎。
自分はその間に調理。
ししゃも、残り物カレー、かぼちゃとモヤシの味噌汁、焼き芋、ウォッカ梅酒ロック、梅奴、バルサミコ酢サラダ、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
お皿を洗ったら営業終了。
歩数計は7909。
充実した一日だった。