arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1775日目と『人類は核戦争で一度滅んだ』⑬と畑

2026/7/21火曜日

1時40分に覚醒し読書と調べ物。

就寝20時半だから問題無い。

昨日に引き続き、監修=高橋良典、構成・文=橋川卓也、デヴィッド・W・ダヴェンポート、エットーレ・ヴィンセンテイ『人類は核戦争で一度滅んだ』

 

いずれにせよこの地下神殿は学者達が推測するような役割を持っていたのではないようだ。
↑ほんの数行入力しただけでビリビリビリビリビリビリが凄凄い。

禁忌なのか?

 

考古学や先史学が想像するのとは全く違ったもっと謎めいた存在なのである。
例えば学者達の仮説では内部の証明の問題さえ解決がつかない。
この神殿には地上からの明かりとりの窓は一つもない。が、この時代の唯一の照明である松明の使われた形跡もない。
地下神殿のどの天井にも壁にも煤や焼け焦げの跡は全く残っていない。
にもかかわらず、各部屋には彫刻や赤い染料で描かれた見事な紋様が残っている。
それらの彫刻や紋様はどのようにして製作されどのようにして鑑賞されたのか。
また、この地下神殿を利用した人々は何を頼りに地下の暗闇の中を動き回ったのか。
現代の私達の想像を越えたテクノロジーが存在していたようだ。
マルタ島にはもっと謎めいた物も残っている。
それは古代の輸送システムだ。
マルタ島とその隣のゴソ島には多くの場所で岩盤上に軌道を思わせる深い溝線が目につく。
所によって50cm近くも深く石に刻み込まれている。
これらは常に2本の線路のように正確に幅1.4mの間隔を保って平行に走っている。
この軌道はある所では岩の中から突然姿を現す。また、時として直接海の中へ姿を消したり或いは断崖の縁でぷつんと途切れる。

↑昔、この一帯は陸地だったとか?


が、所々に本式の転轍器や分岐点、待避線があり、島内を遠くまで走り、山の周りを取り巻いたりしている様子は当に本格的な交通網。
ある高い岩場の台地には現代の鉄道の操車場のように沢山の軌道が集まっている。
この軌道を走っていたのはどんな乗り物だったのか。
1955年にはそれを確かめる実験も行われた。
まず、大小の車輪を付けた車。
これは全て失敗。
鋭いカーブの所で車輪が軌道に嵌まり込んだまま動かなくなった。
次に少し前までこの地方で実際に使われていた荷物運搬用の橇が試された。
2本の丸太に横木を渡して結びつけ、牛に引かせて丸太の一端が地面を引きずるようにした橇である。
これは軌道の中をらくらくと走った。
が、ヴアレッタ考古博物館長デーヴィッド・トランプはそれには満足せずに、協力者達と再実験を実施。
橇は軌道の中を上手く走った。
が、それを動かしたのは誰だ。
どんな推進力に頼って橇は動いたのか、という問題だ。
牛に橇を引かせてみると、軌道の中央に足跡が残った。
マルタ島の軌道には、そんな足跡は一つも残っていない。
ほんの数回の実験でも足跡が残るのに深さが50センチになるまで使い込まれた軌道には、動かし手の足跡は一切留められていない。
トランプ館長「地面に触れずに済む鳥かもしれない」と冗談半分に言った。
人間や牛が引いたのではない先史時代の交通機関!

↑空を飛べる恐竜?

 

遥かな超高度なテクノロジーの存在を考えざるを得なくなるのだ。
この交通網はマルタ島を越えた広がりを持っていたことが判明。
マルタの海や断崖の縁で消えた軌道がシチリア島や北アフリカで再び海から現れている。
ギリシアにも、未調査だが類似の現象がある事が確認された。
更に1800キロも離れたオーストラリアで、つい最近「堅いデボン紀の石灰岩に刻まれた軌道シュプール」が発見された。
それは約2キロに渡る。
こうした古代の交通システムはどのように運営されていたのか。どんな動力を使ったどんな形態の乗り物がそこを走っていたのか。
↑バック・トゥ・ザ・フューチャーに出て来る乗り物とか?
あれなら水陸両用じゃね?

 

マルタ島の謎の一つの照明器具について、多くの学者が様々な証拠から古代世界には永遠に燃え続ける、或いは少なくとも補給を受けずに数世紀の間燃え続ける「常用ランプ」があったと考える。
↑日本にもある。

徳島で昔卑弥呼が居たと言われた寺に常夜灯があった。

源満仲が修行に行ったところ。
常夜灯なら日本によくある。

 

例えば、教皇パウロ3世(1534-1549年)の世に暴かれた墓では1600年近くも密閉されていた地下納骨所で以前として炎を上げて燃えていたランプが発見された。
扉を開けた為の隙間風で明かりは吹き消された。
そして、発見者がどんなに手を尽くしても二度と点火しなかった。
また、16世紀のイギリスでは自動機械装置付きの地下墳墓が見つかった。
発見者が中に入ると内部は天井から吊るしたランプで明るかった。
歩いていくと体重で床石の幾つかがぐっと沈んだ。
その途端墓所の奥に座っていた像が動き出した。
機械的に立ち上がり鉄棒でランプを叩き完全に破壊。
そのランプの秘密は永遠に失われた。
こうした常用ランプは世界の至る所で発見されている。
地中海諸国ばかりでなく、インド、チベット、中国、南米などにも燃料無しで燃え続けるランプについての記憶が残っている。
このランプの性格として17世紀の著作家ラザル・スチュワートは興味深い指摘をした。
常用ランプが発見された地下墳墓や洞窟納骨堂は実は一種のカムフラージュで、実際はより深く広い地下世界への出入り口だ、と言う。
その地下世界の住人が何かの用事で地上に出て来る時のための照明として常明ランプが取り付けられていた、と言う。
だとすると、常明ランプが地上の人間の目に触れるとすぐ役に立たなくなってしまう訳も納得が行く。
紀元前後には例えばエジプトの神殿やギリシアの古代神殿にそうしたランプがあり、司祭達はその使用法を知っていたらしい。
古代末期の教父・聖アウグスティヌスはエジプトの神殿に保存され「風も水もその火を消すことの出来ない永代ランプ」について述べた上で、それは「悪魔のわざ」だとしている。
イエスズ会士の学者アタナシウス・キルヒャーも『エジプトのオイデプス』という著書で「これらの永代ランプの中には悪魔が工夫した物とわかったのが少なからずある」と述べている。

↑悪魔て………………。

 

「悪魔のわざ」と言うことは古代末期から中世にかけて、世界に新しい秩序をもたらしたキリスト教文明の系統に属さない知識に基づいた製作物だと言う事を意味する。
ということは、それは謎の地下世界から現れた人々によってもたらされたものとは言えないだろうか。

古代エジプトや古代ギリシアにはそうした地下世界の住人と接触を保っていた人々が居たのである。
ここまで来て私達は新たに“地下から現れた人々”という概念にいきあたってしまった。
だが、地下から現れた人々が地上の人類に文明を伝授したという考え方はやはり古くから存在する。
例えばアンデス世界の多くの伝承はインカ王の祖先が洞窟の中からこの世に出て来た、と伝える。
後にインカ帝国の首都となったクスコの南東約28kmの所に、バカリ・タンプという場所がある。
そこのタンプ・トコ(宿りの穴)と言う岩山の3つの洞窟から3人の男と3人の女が出て来てやがてアンデスの王となった、と言う。
そのうちの1人、インカ族の守り神になるアヤル・カチは大変な怪力の持ち主。
また、大きな翼を付けて空を飛ぶことができたという。そして、このアンデスにはクスコ地下回廊とクエンカ地下回廊というトンネルと洞窟が網の目のように広がっていると言われる。一部は考古学的な発掘が実施されている。
それらのトンネル網は明らかに人工的な手段で広げられた形跡があると報告されている。
中米ユカタン半島の中央平原には広大なマヤの洞窟網がある。

ロルトウン洞窟と呼ばれるそれは現在までに28カ所が知られているが組織的な調査はされていない。
が、人類学者マイケル・ドブレノヴィックと、海洋考古学に造詣が深い探検家マンソン・ヴァレンタインと言う2人のアメリカ人がマヤ族の写本を求めて探検した事がある。
彼らは何枚かの写真を撮ってみたが現像してみると1枚しか写っていなかった。
それには「背後の壁を明るく照らす位物凄いエネルギーの渦」が写っていた。これについてドブレノヴィックは次のように言っている。
「マヤの伝説が真実であり古代の神官達によって聖域を守るべく残されたエネルギーを写真に撮るのに成功したのだと思わなければ他に説明のしようがない」
このロルトウン洞窟は明らかに外部からの侵入を拒否。
こうした地下都市の中で最もスケールが大きいのはシャンバラ伝説。
シャンバラとはチベットの地下に広がる地下王国アガルタの首都であり、無上の楽園として人々に語ら伝えられてきた。
古代インドのヒンズー教文献には「シャンバラ島は甘美な酒をたたえた湖の中央にあり、神聖な森に囲まれた宮殿が建っている。この島へ行くには“金の鳥”に運んでもらわなければはならない」と描かれている。
地元チベットではシャンバラは伝説でなく古代以来の信仰の核となっている“事実”である。
チベット人は「遠い昔のこと(ある説話に拠ると今から6000年程以前)賢者の一団が天から降りてきて地下深く移り住んだ。そしてそこに理想の王国を築き、以後、密教の秘法であるカラチャクラという貴重な遺産を守り続けている」と信じている。彼らによればシャンバラに選ばれた者以外は入ることも見ることも許されない。
選ばれた者とは高位のラマ僧。
彼らはシャンバラの賢者からその神秘的な力や知識、予知能力などを授けられるのだと言う。

今日はここまで。

 

 

4時に起床し畑へ。

今日も赤紫蘇や夏野菜を収穫。

いつものように液肥を施肥したら5時半に帰路に。

帰宅後、夏野菜を洗い、洗濯機をオン。

6時半に自治会主催のラジオ体操へ。

夏休みの間、前半後半で約1週間開催する。

大人22名子供11名が参加。

大人の方が多い。

か、就学前のお子さんが多数参加していたのは頼もしい。

久しぶりに「新しい朝が来た〜♫」を耳にし、テンション爆上がり(笑)

熱唱した。

そのあと、第一、第ニ体操。

子供より大人の方が上手。

運動会前に軍隊のように鍛えられたからの。

体が覚えてる。

6:45に帰路に。

帰宅後、赤紫蘇ジュース作り。

今日は赤紫蘇900g。

3.5リットル分製作。

赤紫蘇が枯れてきたので、近日中に最終回を作る予定。朝の家事が終わったらシャワーを浴び、自主防災組織のパソコン作業。

10時にコピーへ。

その足で買い物とお便り配布。

麦わら帽子を被っているのでそれ程暑さは感じなかった。

11時半に帰宅すると、夫もテニスから帰宅。

余りの暑さで半分で中止になったのだそう。

そのまま昨夜以来の食事作り。

夫は買ってきた担々麺を食べた。

自分は納豆ご飯と味噌汁。

そして、赤紫蘇ジュース。

赤紫蘇ジュースは体温を下げてくれる。

エアコン無しでも過ごせた。

午後は、パソコン作業をしてから、読書と調べ物。

15時半に昼寝から起きた夫がエアコンをオン。

自分は夕食作り。

ニラ餃子、ブリの刺身、きゅうりの塩昆布わさび漬け、ツナサラダ、玄米ご飯、ウォッカ梅酒ロック。

これに味噌汁をプラス。

19時に食べる事に。

 

歩数計は7595。

充実した一日だった。