arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1464日目と畑と藍建て⑭と小栗上野介⑮

2025/9/11木曜日

4時15分に起床し畑に行く準備。

5時に畑へ。

水遣りをしていると里芋と大根の間の濃い緑色の液体が目についた。

いつも通り米の研ぎ汁入の水を撒いた。

5時半に帰路に。

帰宅後、洗濯と藍建てチェック、と思ったら藍ちゃんのバケツに温かみが感じられなかった。

あー、そう言えば昨日エアコンして寝たんだー、と慌てて家の中で一番暑いクローゼットの中へ移動。

夕方にチェックする事に。

6時半から読書と調べ物。

昨日に引続き星亮一著「小栗上野介

 


「栗本どの、体を動かさぬと水腫病になるそうでござる」北蝦夷地詰定役水上重太夫が言った。

外では橇を引く数十頭の樺太犬が久し振りに雪原を走れるので嬉しがって馭者のアイヌに纏わりついている。
急いでオハウを掻き込み巡回の支度に掛かる。
オハウとはアイヌの伝統的な食べ物で、骨付きの鹿や鮭、タラなどで出汁を取りジャガイモや人参などを入れた汁物。
冬はこれに限る。
オハウ
https://www.marukome.co.jp/marukome_omiso/hakkoubishoku/20170417/7660/

タロとジロも樺太犬
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA%E7%8A%AC

 

1台の橇に4人が乗り数十頭の樺太犬て引く。
一里程で氷結した川に到着。
ここに丸太の柵で囲まれたロシア兵の番小屋がある。
普段、人は居ないが時折、小銃を持ったロシア兵が犬橇でやって来る。
明らかな不法侵入だ。
海が氷結し、冬季間は樺太と陸続きとなるアムール河口のニコラエスクには2500軒余の町が出来、陸軍中佐デ・ウィッテの率いるシベリア第四正規大隊が近々樺太に渡ると言う。
そうした情報がアイヌから伝えられ瀬兵衛らの緊張は高まっていた。
樺太アイヌは山旦交易を通じ古くからシベリアと繋がっている。
元々樺太アイヌ蝦夷地のアイヌとアムール河(黒竜江)周辺のギリヤーク、ヤクート、ツングース、オルチャ人などが混合したもので蝦夷アイヌは彼らの事をサンタンと呼んでいる。
サンタンは満州族から錦、青玉、煙草、貴金属、金物、刃物などを仕入れて渡来。
黒狐、白狐、赤狐、ラッコ、犬皮、獺皮などと交換して持ち帰る。
それに混じってロシアの商人も早くから姿を見せていた。
彼等から逐一、ニコラエスクの動きが入ってくる。
瀬兵衛の犬ぞりはライチャン湖まで走って止まった。
ここから先は危険。
水上によると、湖の対岸には露人の女子も到来。

土地を耕し住み着く気配だそう。
松前奉行支配の幕吏松田伝十郎と間宮林蔵がこの地に足を踏み入れたのは文化五年(1808年)、50年も前。
サハリンがシベリアと陸続きなのか、島なのかを確認する為であった。
宗谷から樺太に渡った二人は、東西の海岸に分かれて北上。
松田はシラヌシからラッカ岬に。
対岸のアムール河を望み離れ島である事を確認。
間宮は東岸のシンノシレトコで岬を回る事が出来ず、引き返し松田の後を追った。
往復五百里の大旅行。
雇の身分の林蔵に従僕は居ない。
アイヌのチップ(丸木舟)を引き、或いは川を下り、或いは湖水を渡り、海を直行し人跡希な極寒の地を歩いた。
間宮林蔵はこの年単身越冬し、翌春6人のアイヌを伴って北の出口、ナニオーに辿り着き、樺太の北方は海に開け、湾流は全て川に流れている事を確認した。
その後、間宮は二度に渡ってシベリアに渡り、アムール河を遡って清国役人のいるテレンの仮府まで足を伸ばしている。
幕府はこれによりカラフトは日本領とし、北蝦夷地と改称。
会津、秋田、仙台、津軽藩兵を送って警備にあたらせた。
が、越冬の旅に多数の死者を出し、防備は不可能の状態が続いていた。
瀬兵衛は何冊かの本を携えて来た。
その中の一冊が工藤平助の『赤蝦夷風説考』
この本は天明三年(1783)時の老中田沼主殿頭意次に提出された意見書である。
何事にも先人が居て現在があるが、カラフトに来て初めて、田沼の偉大さを知った。
↑新事実。田沼意次は偉大だった。
確かに息子を暗殺されておるわな。
奴らは偉大な人物を潰す為に、先ず、息子を抹殺する。
田沼意次然り、川路聖謨然り、松本良順然り、志賀潔然り。

 

田沼は幕閣として初めて蝦夷地の重要性を認識した男。
蝦夷地の金銀開発、ロシアとの交易の為八百石積みの探検御用船を造らせ調査探検隊を派遣。
↑これは、奴らに狙われますわ。

奴らの大好物の金銀キターー。


田辺をその気にさせた著者の工藤平助は仙台藩医。
北辺に出没するオロシヤ船についての噂を書き連ねた。
意外にも蝦夷地の開発案も含まれ、そこが田沼の高い評価を得た。
出だしが何とも魅力的で瀬兵衛は何度読んでも飽きる事が無い。
松前人の物語によると、蝦夷奥地の東北に赤狄国がある。近来漂流と称してウラシベツ(網走)やノサップ(沙布)に着船。船の造りもオランダ船に似て、衣服もラシャ、ビロード、猩々緋を着て通詞を連れて来る。船には肉桂、沈香、胡椒、砂糖のほかラシャ、猩々緋、ビロード、サラサ、食器、手道具、銀の器などきらびやかなるものを積んでいる」
こうなると誰でもオロシヤに引かれる。
アイヌについても詳細な記述が。
「王化も行き届かない辺土なので髪も結はず、衣服も左前に着るなど夷狄の風俗を成しているが、誠実な心を持ち、上下の節度が厚く、父母を敬い、兄弟相和し、人情の厚きこと和人の及ぶところに非ず。鰊、鱒、鮭、イリコ、鮑、昆布、魚肉、鹿皮、鷹、ラッコの皮、オットセイ、熊胆、熊皮、錦、青玉などを多く産す。日本の国力を増す為には、金山を開き、オロシヤと交易することだ」
とし、アイヌを保護しオロシヤの下知に従わせない事を説いた。
日本人は極寒の地で生きる術を知らない。
アイヌと共存する事が大事だ、と説く。
工藤平助はロシアを良い面でしか捉えていない。
領土侵略の実態に迫っていないのは物足りない。
が、国家とは何ぞや。
民族とは何ぞや。
他の民族とどう付き合って行くのか。
瀬兵衛にそうした命題が突き付けられていた。
そんなおり、日本人の元で働いていたアイヌがウショロのロシア人居住区へ逃亡。
ウショロのロシア軍守備隊長ジャチコーフは「日本はアイヌを虐待している。以後ロシア人の元で働く事を希望するアイヌは雇用する」と各地に布告。
攻勢を掛けてきた。
アイヌが次々ロシアの居住区に脱出すればロシアのカラフト進出は正当性を持ち日本は苦しい立場に。
幸い逃亡アイヌが両親に会うため舞い戻った事を知った幕吏高橋峯三郎がひっ捕らえ、一件落着と思いきや、今度はロシアの武装兵によって家族ぐるみ奪回されてしまった。
↑(笑)(笑)(笑)こういうやり方もある、と。

メモメモメモメモ。

 

12時に昨夜以来の食事。

夫には冷麦を調理。

自分は納豆ご飯と味噌汁でお腹を満たした。

午後も読書と調べ物。

17時に藍ちゃんチェック。

バケツの蓋を開けてビックリ!

めっちゃ変化しておる。

藍建てを始めて2週間。

泡がボコボコしとるやないかー!

品温は30度。pHは青色だから10台。

気温26度。

テンションダダ上がりで混ぜ混ぜした。

明日、試し染めしてみる事に。

引続き夕食作り。

ゴーヤともやしと油揚げの炒め物、ホッケ、ツナサラダ、ローストナッツ、長男のお弁当用の卵焼き、茄子と蓮根と長芋焼き、ウォッカ梅酒ロック+赤紫蘇ジュース。

18時半にご飯が炊けたら食べる事に。

 

歩数計は8328。

充実した1日だった。