2025/11/3月曜日
昨夜は22時に就寝するも0時半に電磁波攻撃で覚醒。
多分、早朝の読書と調べ物を阻止する為。
強制的に起こされたので奴らの作戦通りに読書と調べ物。
昨日に引き続き、加来耕三著「真説 彰義隊」
大号令
「徳川慶喜、天下の形勢やむを得ざるを察し、大政返上将軍職辞退相願い候につき、朝議の上、断然聞こし召され候ところ、ただ大政奉還と申すのみにて、朝廷において土地人民を保有遊ばされず候ては、御聖業たたせられ難く候につき、尾越両藩を以て其実行御訊問遊ばされ候節、慶喜に於いては畏れ入り奉り候えども、麾下並びに会桑の者共、承服つかまつらず、万一暴挙つかまつるべきやも計り難きにつき、只管鎮撫に尽力仕り居り候旨、尾越より言上に及び候間、朝廷にては慶喜真に恭順を尽くし候様思し召され、既往の罪問わせられず、寛大の御処置仰せ付けらるべく処、豈図らんや、大坂城へ引取り候はもとよりの詐謀にて、去る三日麾下の者を引率し剰へ前に御暇つかわされ候会桑等を先鋒とし闕下を犯し奉り、現在彼より戦端を開き(←嘘発見!戦端開いたのは薩摩藩!)候上は、慶喜の反状明白、始終朝廷を欺き奉り候段、大逆夢道、最早や朝廷において御寛恕の道も絶え果て、已むを得ず追討仰せ付けられ候。兵端既に相開き候上は速やかに賊徒御平治、万民塗炭の苦しみを救はれたき御叡慮に候間、今般仁和寺宮征討大将軍に任ぜられ候については、是迄偸安怠惰に打ち過ぎ、或いは両端を抱き候者は勿論、仮令賊徒に従い譜代臣下の者たりとも、悔悟奮発、国家のため尽忠の志これありら候輩は、寛大の思し召しにて御採用あらせらるべく候、戦功によって此の行く末、徳川家の儀につき嘆願の儀も候えば、其筋により御許容これあるべく候、然るに此の時節に至り、大義をわきまえず賊徒と謀りを通じ、或いは潜居致させ者は、朝敵同様厳刑に所せらるべく候間、心得違いこれ無きよう致べく候事。
但し征討大将軍置かせられ候上は、即時前件の号令発せらるべきは勿論に候えども、なお旗下粗暴の徒を壅蔽ここに至り候事かと、かれこれ深重の思召しをもって御遅延のところ、三日より今七日に至り、坂兵日日敗兵すといえども、益々出兵くれぐれ止めさせられず、断然本文の通り仰せいでられ候、各藩陪従吏卒に至るまで方向を定め、天下のため奉公これあるべく候事」
(著者漢文の一部を書き下す)
薩摩藩が先に発砲
https://cugcocco.hatenablog.com/entry/48042279
大評定における上野介の意見具申が終わると同意、賛同の声が各所から起こった。
対抗馬とされた勝麟太郎は無言で動かない。
慶喜同様幕臣から総すかんを喰らっている勝海舟としては到底この時の上野介に反論できる雰囲気では無かった。
老中格の立花出雲守が平伏し「掛かる上は伝家の鉄鞭を振り上げて上様自らのご出馬を賜りますれば賊輩とて何の動作がありましょうぞ。中には徳川に恩顧を被りし大名は数知れず、逆臣の分、信義に揺らいで朝霧の如く、解散する事でありましょう。是非に上野介殿を総大将に軍勢を差し遣わされますように」と慶喜の決断を迫った。
↑わいも見たかった!上野介総大将の幕府軍の戦いを。
めっちゃ良い映画ネタになっただろうに。
DSさん達は余裕無かったのな。
ここで隠居の身ながら登城すべしと慶喜に召し出された水野痴雲が待った!をかける。
軍費の面から賛同しかねる、と。
↑徳川存亡が掛かっている時に軍費とか。
そら、隠居の人には関係ないだろうけど幕府が無くなったらここに居る人達のおまんま食い上げになるんやで。
そこ、わかっとるの?
この痴雲の意見具申のあと、慶喜は痴雲の武備優先論を採択。
↑新政府軍は既に京都を出立したと言うに!
上野介の言った通りやないかー!
“何とか成ろう”
ここから幕臣達はバタバタ死んでいくんやで。
死ななかった幕臣達は路頭に迷って没落。
それを見越して、北海道を開拓して幕臣達の住処にしようと箱館まで行った榎本釜次郎の方がよっぽどリーダーに相応しい。
あるべき将軍の姿よ。
武士なんだから。
あれか?慶喜公の母親は皇族だから、武家の血は半分に薄まったのか。
突然、慶喜の敵前逃亡で開陽丸から置き去りにされ一昨日やっと帰東した同艦艦長榎本和泉守武揚がすくっと立ち上がるなり「将軍家には腰が抜けられたか!」と慶喜に向かい罵声を浴びせる。
上野介は遂に言い放った。
「上野、これ限りのお願いにございます。もし上様が徳川の社稷を安んじられ、臣下を御慈しみ下さいますならば何卒ご思案をお決め下され!」
とその袖に縋るも突き放され、慶喜は退場。
↑慶喜「幕府やーめた!」
家康公は忍耐に次ぐ忍耐で征夷大将軍に就任。
74歳で息を引き取る間際まで、日本国の安寧を想い、数々の施策を施した。
上野東叡山建立然り、禁中並公家諸法度然り。
その御蔭で民は250年もの泰平を享受。
神君家康公様々ですわ。
この15日の大評定の5日前の10日に鳥羽・伏見の戦いに参加した幕府高官27名の官位剥奪、領地没収が決定。
裏切りの淀藩を始め、板倉が領国を失ったのは14日、酒井雅楽頭の姫路藩が降伏したのは15日。新政府軍は領地没収を待ってはくれなかったのであった。
↑今日はここまで。
6時半に畑へ。
液肥を施肥した後、6時45分に帰宅。
朝の家事を済ませたら9時45分に長男宅へ。
嫁が体調不良になったので孫達を公園へ連れて行く事に。
伊奈の薔薇園へ行き色とりどりの薔薇の花を堪能。
12時まで遊んだ。
帰宅後、ラーメンを調理。
13時に昨夜以来の食事。
自分は納豆ご飯と味噌汁メインでお腹を満たした。
長男と孫達は16時半に帰って行った。
16時半から夕食作り。

鶏手羽元の味醂粕漬け焼き、温奴味噌ダレ、ツナサラダ、昨日のサワークリームスープ、ウォッカ梅酒ロック。
19時に夕食。
良く呑み良く食べた。
後片付けを済ませたら営業終了。
歩数計は12477。
充実した一日だった。