arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1515日目と彰義隊②と畑

2025/11/2日曜日

4時に覚醒し読書と調べ物。

昨日に引き続き、加来耕三著「真説 上野彰義隊ー慶応四年の知られざる日々ー」

 

正月十五日五ッ半(午前9時)より幕論統一を図るべく将軍慶喜、幕閣重臣列席のもと大評定(御前会議)が開かれた。

ここ数日の個別会議で意見は4通りに分かれていた。

①即一戦  5割強

➁一戦はするが防衛戦を固める一派  3割

③外交交渉による解決  1割

④去就不明  1割

↑武士なんだからさー、特権だけ維持して義務を果たさないとかー。

現代の国会議員と同じ給料泥棒やないかー。

中には金で士分という身分を買った人も居るだろうけど。

ま、一番悪いのは戦争仕掛けた奴ら。

日本国民は平和に暮らして居たのに。

 

当日出席したであろう重臣を列記。

 

主席老中 板倉勝静 備中松山藩

次席老中 松平康英 武蔵川越藩

老中 稲葉正邦 山城淀藩

老中 小笠原長行 肥前唐津藩

老中 松平正質 上総大多喜藩

老中 酒井忠惇 播磨姫路藩

老中格 大給乗謨 信濃田野口藩

老中格 稲葉正巳 安房館山藩

老中格 立花種恭 陸奥下手渡藩

若年寄筆頭 京極高富 丹後峯山藩

若年寄 大給近説 豊後府内藩

若年寄 石川総管 常陸州下館藩

若年寄 永井尚服 美濃加納藩

若年寄 堀直虎 信濃須坂藩

若年寄 永井尚志 直参1000石

(先の鳥羽・伏見の戦い後、幕府軍を収拾して退坂帰府した)

若年寄 平山敬忠 直参1000石

若年寄 川勝広運 直参2573石

若年寄並 塚原昌義 直参3000石

若年寄並 竹中重固 直参5000石

若年寄並 浅野氏祐 直参2000石

尚、若年寄兼山陵奉行戸田忠至(下野高徳藩)は徳川氏の末に見切りをつけ王政復古の大号令直後新政府参与に出仕した為欠席。

また、若年寄向山一履(直参千石)は先年末の幕仏同盟締結に失敗した事を恥じて欠席。

若年寄兼海軍奉行の大関増裕(下野黒羽藩)は、前年12/9王政復古クーデター当日原因不明の急死!

↑何やら芳しい匂いがするので調べる。

 

大関増裕慶應3年12月9日王政復古のクーデターの日に30歳で急死。

狩猟中に銃が暴発だと。

慶應3年に若年寄に任命されている。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%96%A2%E5%A2%97%E8%A3%95

 

もう一人、戸田忠至は代々の天皇陵を調査、比定、修復し宇都宮藩を窮地から救った。

その功績で幕府最後の新設の藩、下野高徳藩に。

しかし、その領地は戊辰戦争の戦場となった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E7%94%B0%E5%BF%A0%E8%87%B3

 

老中、若年寄に次いでお側衆、高家衆、大目付、滝川具挙、戸川安愛、松平信敏、川村一匡、木下利義が列席。

三奉行の筆頭寺社奉行も土屋寅直、戸田忠友、内藤正誠など普段なら滅多に顔を揃えることのない三人が一堂に会した。

町奉行も同様、先任奉行井上清直、南町奉行小出秀美、北町奉行駒井信興、南町奉行外国惣奉行並朝比奈昌広。

そして首席勘定奉行兼陸軍奉行並小栗上野介忠順率いる9人の勘定奉行及び勘定奉行並。

その他、儒役、開成所頭取、御留守居、そして海陸将官へ。

大評定の冒頭、首席老中板倉伊賀守(47歳)は先の鳥羽・伏見の責任を一身に負い本評定終了後、辞職を願い出る事を前置き。

これは若年寄永井尚志が先の敗戦の責任者として松平豊前守と竹中丹後守に切腹を命じようとした事に対する一種の牽制と言われている。

開戦からの経過が説明され討論に入った。席上最も雄弁に臆すること無く自説を論じ上げたのは一人小栗上野介であったという。

「今日、徳川のお家をここまでに追い込んだものは“どうにか成ろう”という一言に尽きましょう。内憂外患あまた起こり来る中で、ただに周章狼狽し、成す術を知らぬ幕閣各位のあやふやなるお考えが徳川をここまでに追い込んだのです。今、快刀乱麻を断つ拳にいでずんば、御公儀は再び天下に覇権を握る事はかないますまい。幸い我が幕府には国内無双の二大戦力が無傷に控えております。一つは東洋一の無敵艦隊であり、今一つはフランス仕込の最新式陸軍伝習兵であります。この二つがある限り、徳川はまたまだ敗けてはおりませぬ」

上野介の意見は戦術論へと移る。

「、、、箱根、碓氷峠の線までフランス式陸軍をすぐさま発進し、天下の険を楯に偽官軍を迎え撃って一戦。敵に一打を与え、残軍を関東に追い、袋の鼠にした上で一兵も逃さずに制圧。一方、海軍は艦隊を二つに分け、一隊は駿河湾に遊弋せしめつつ東海道を砲撃させ後続を断ち、続いて大坂をつき、大坂湾を中心に神戸をも押さえて制海権を確立。もう一隊は長駆して直接防長二州及び薩州を砲撃、と同時に艦内より陸戦隊を上陸させ双方の国許を平らげる。さすれば日和見を決め込んでいる諸侯の目も醒め京の形勢も一挙に逆転。幕威は以前にも増して大いに上がりましょう」

小栗上野介は“時間”と言う敵を恐れていた。

この、戦意が高い今出撃しなければ、士気が低下する。

もう一つ、薩長の追撃体制を恐れもした。

正月七日には既に慶喜追討の大号令が発せられている。

↑誰から?

明治天皇から?

14歳の?

今日はここまで。

 

6時半に畑へ。

2日前の大雨でまだ湿っている。

酸性雨の可能性もあるので万遍なく液肥を撒いた。

そして、2日前に購入したネギ苗を定植。

うちのネギ苗は雨が降ると枯死する。

雨にかこつけて何かしら撒いとる。

これ迄に5回枯死。

相当体に良い食べ物、て事。

7時半に帰宅後、シャワーと洗濯。

ついでにベランダガーデニングの水遣り、昼食の下ごしらえ、カボチャコーンミールクッキー作り、味醂の仕込み。

気が付くと11時半。

そのまま昨夜以来の食事作り。

納豆ご飯と味噌汁メインでお腹を満たした。

午後も読書と調べ物。

17時から夕食作り。

モッツアレラチーズピザ、豚の生姜焼き、サワークリームスープ、モッツアレラバルサミコ酢サラダ、とろろと菊(もってのほか)、ご飯、ウォッカ梅酒ロック。

18時半に夫と夕食。

夫は体調が回復したようでピザをペロリと平らげた。

後片付けを済ませたら営業終了。

読書と調べ物をしてから寝る事に。

 

歩数計は7893。

充実した一日だった。