2025/10/24金曜日
4時過ぎに覚醒し読書と調べ物。
徳川慶喜の新将軍としての四カ国公使謁見の成功は薩摩藩に衝撃を与えた。
中でも大久保一蔵と西郷吉之助は危機感を強め、「薩摩・伊予宇和島・土佐・越前の四賢侯の会議」を企画。
四賢侯会議に於いて次のように合意。
一、朝廷に人材を登用し兵庫開港を朝廷の責任に於いて条約を結ぶ事。
二、朝敵の汚名を被っている長州藩の罪を許す事。
三、先に将軍が勅許が無いのにも拘らず兵庫開港を自分の責任に於いて外国に表明したのは大変な問題だ。この責任を追及して将軍職を奪い、減俸の上、一大名の列に加える事。
この頃、薩摩藩は西郷吉之助が主導者となってイギリス公使パークスやアーネスト・サトーと相談して「神戸薩摩商社」の設立を計画。
小栗が実現しようとしていた「日仏神戸商社」に対抗。
しかしだからといって「フランスが神戸商社を通じて日本の生糸を独占買い付けをする」という事を認めるという事ではない。
薩摩藩の企みを知る三候は兵庫開港問題を棚上げに。
賢候会議の結論は長州藩処分問題を゙先決する、に。
朝議を要求。
午後八時から朝議を開始。
慶喜は大きな声で自分の意見を述べた。
「幕府として長州藩に対して寛大な処分を゙行いますのでどうか兵庫開港をお認め頂きたい」
朝議は翌朝に持ち越された。
反幕派の公家中御門経之や大原重徳などは「兵庫開港は絶対に反対する。兵庫を開港すれば朝廷がお嫌いになっておられる外国人が我が神州に上陸する」
日本人が中国人みたいにイギリス人に足蹴にされてもええんか?
慶喜「貴方方の意見はまるで日本書紀や古事記から抜け出したようなものだ。今の世の中には通用しませんぞ」と指摘。
↑鎌倉時代の元寇の時から変わらず、朝廷は外敵(外国からの侵略)に対する危機感の欠如。
朝廷「長州を寛大な処分にする事は受け入れよう。しかし兵庫開港問題については丁度京都に来ている四候の意見を聞きたい」
慶喜「四候に相談しても意見は纏まるはずがない。現に、本来なら兵庫開港についての助言を纏めて私に提出するべきであるにも拘らず、貰った助言には、単に長州藩に寛大な処分を行って欲しいとしか書かれていない。そんな連中に今更相談しても結論は分かりきっている。この問題は四カ国の代表も注目しているので一刻を争う。是非とも朝廷独自のご決定を頂きたい」と迫った。
過激派公卿「何をいうか、朝議は打ち切りだ」と息巻いた。
↑兵庫開港を拒んだら外国軍艦に砲撃されて、日本人が外国勢の奴隷となって足蹴にされるかもしれないのに、まだこれよ。
幕府に通じている前の関白鷹司輔煕や中川宮朝彦親王が「将軍の意見を受け入れるべきである」と明治天皇の摂政、二条斉敬に迫った。
午後八時、お沙汰書が下された。
・長州を寛大の処置に付すること。
・兵庫開港を承認する。
と書かれてあった。
慶喜の大勝利。
直後、小栗は慶喜に「急ぎ京都二条城へ来るように」と呼ばれた。
到着すると慶喜が書いた「各国封建の旧制を革し仕法」を読むよう言われた。
①幕府の権力を強化する為に外様大藩の勢力を削る。
②譜代大名は外様大名と違い徳川家と一体を為すものであるから軍役を免じてそれに応じた役金を出させるようにする。
➂譜代大名の家来のうちで優秀な者は将軍の親兵として登用し無能な者は農商に帰させる。
④直参である旗本や御家人も同様で無能な者は整理して農商に帰させる。これによって無用の兵を養う費用を省ける。
⑤朝廷については将軍は国政の全権を委任されているとの立場を再確認し、天皇と公家は完全に現実政治から退け、幕府の厳重な監視のもとに陰謀家との接触を禁止する。
⑥これによって、天皇の許可がなければ幕府は何も出来ないという現状を改善し、天下統治の権は幕府にある事を改めて国民及び外国に知らせる。
➆こうして将軍の地位を日本皇帝に一層接近させる。徳川家は、清和源氏の出身なので資格に於いては天皇と異ならない。
⑧幕府の官僚機構を改善する必要がある。日本では職務が家格と個人の功績に対して与えられているが、この為真の行政が存在しない。例え日本の旧習を温存するとしても、やはり職務に通じた専門家が必要である。
⑨それには職制を改善して国務を担当する閣僚と省を設けるべきだ。
閣僚・省としては首班のほか外務・内務・陸海軍・財政・商農土木・司法教育宗教の六省を設け六人の閣僚に責任を持たせる。つまり「責任内閣制」を実現すべきである。
⑩各省に次官を置き、これを若年寄とする。若年寄には旗本の有能な人材を抜擢する。
⑪軍制改革が必要だ。現在日本にあるのは汽船の寄せ集めと未訓練の烏合の衆に過ぎない。本当の陸海軍は存在しない。
⑫外様の大藩を抑えるには、まず幕府の陸海軍を整備する事が緊急だ。三万の精兵と十五、六隻の軍艦さえあれば、国内を抑えるのには充分であろう。
⑬長州藩などは、幕府の軍備が整わないうちはせいぜい甘言をろうして手懐け、幕府の軍備が整った際に一挙に叩き潰すべきである。
⑭陸海軍のうち、特に陸軍を整える事が先決だ。それには譜代大名の兵を江戸に召集し、将軍の直接の部下である陸軍と同様の訓練を施す事が大切だ。同時に装備や兵器を統一することも必要である。
⑮幕府の新陸軍は歩兵・騎兵・砲兵の三兵を主力とする。
⑯この新陸軍を訓練するにはフランスから軍事施設団や指揮者を迎える用意がある。
⑰財政制度については、長く日本が用いてきた諸制度の思い切った改善が必要である。
⑱それには徴収した年貢米は全て売り払う。家臣への俸禄は何ヵ年かの平均米価で換算した貨幣で支払うこと。この俸禄を差し引いた残りを一般経費に充てる。
⑲これらの事務遂行には大蔵大臣が中心になって将軍の承認を得て各省へ割り当てるべき経費を定める権限を持たせる。
⑳新陸海軍の整備費は莫大な費用を要する。今の幕府財政では当然赤字が出る。この赤字の穴埋めには借款を活用する事が大切だ。
㉑陸海軍の建設費の収入源として、今後家屋・宅地税・商人税・船税・酒・タバコに課する税、産地に於ける茶・生糸税などを新規として考える。
㉓今ヨーロッパから輸入している商品を限定すること。そして、国内生産に切り替える。
㉔この自給体制の為には鉱物を新しい技術で採掘し、またラシャ製造技術の伝習を受けること。更に毛皮の製造法なども学ぶ。
㉕これら一連の政治・軍事・経済の制度改革について必要な借款は日本に於ける資源の開発を担保とする。
㉖当面、フランス技術の導入と、フランスが提供する資本の投下を重視する。
㉗日本国内の交通運輸手段の増強をはかること。これは幕府の権力を強化する上においても欠くことは出来ない。そこで、政府事業で牛馬の道路を開くこと。これは軍隊の移動についても必要な事である。
㉘交通・運輸手段の改善は馬車から始めて汽車に到達させる。
以上のような内容であった。
↑小栗が言ってた「慶喜様は馬鹿ではない」事の証明。
素晴らしい。
読み終わった小栗は体の底から激しい力が湧いてくるのを感じた。別に目新しい事ではない。読んだ限りの「各国封建の旧制を革し仕法」の大部分は既に小栗が手を付けているものだ。
小栗の幕府改革の基本路線はまさしくこの文書と同一た。
「改めてフランス公使に意見をただしたところがこのような回答がきた」と告げた。
慶喜「お前も幕政改革をこの線に沿って速度を進めるように」と命じた。
慶喜は大勝利の喜びを小栗と分かち合いたかった。
↑しかし、これにより、イギリスは、幕府が息を吹き替えしては日本侵略の夢が潰える、と危機感を強め、アーネスト・サトウを以て薩摩藩の尻を叩き、中川宮朝彦親王の失脚、明治天皇のすり替え、王政復古のクーデターや江戸騒擾作戦を計画したか。勿論、岩倉具視が担当し大音龍太郎に実行させた小栗暗殺の計画も。
今日はここまで。
6時過ぎに畑へ。
今日もキャベツのイモムシを数匹駆除。
気温9度でよう生きてるな。
あと、落花生泥棒再び。

帰宅後、洗濯とベランダガーデニングの水遣り。
そして、米麹作り。

12時に昨夜以来の食事。
午後も読書と調べ物。
17時から夕食作り。

チーズinハンバーグ、鱈のムニエル、とろろ菊たらこ、サラダ、めかぶ納豆、残り物のスープ、ウォッカ梅酒ロック。
19時半に食べる事に。
歩数計は10164。
充実した一日だった。