arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1504日目と小栗上野介童門版⑯と畑

2025/10/22火曜日

5時に覚醒。

まだ暗いので読書と調べ物。

昨日に引き続き童門冬二著「小説小栗上野介

 


幕府は長州藩が第一次長州征伐の処分(①山口城を破却➁藩主は謝罪の意を表し謹慎する③藩主は萩城に移る④高杉晋作桂小五郎などの国事犯を幕府に引き渡す等)を守っていない、という理由で第二次長州征伐を行う事に。
慶応元年(1865)五月十六日に将軍家茂は江戸城を出発。
長州征伐の勅許は慶応元年九月二十一日に下った。
ところが参加した各藩の足並みはバラバラ。

士気が低い。
そんな中、薩摩藩が参加表明をしないので代表を大坂城に呼んだ。
やって来たのは大久保一蔵。
「この度の出兵はお受け出来ません」と言った。
これも他の大名に影響。
薩摩藩が参加を蹴ったそうだ」
薩摩藩代表は家老でも何でもない大久保という一介の平侍だったそうだ。幕府も随分と馬鹿にされたものだな」

この頃薩長は既に軍事同盟を結んでいた。
↑馬脚を現した。

 

慶応二年一月二十一日、勝海舟の弟子坂本龍馬の仲介で。
幕府軍に参加していた大名家の領地では大久保一蔵が言ったように農民一揆が頻発。
↑予言してから実行。

 

都市部では打ち壊しが。
特に江戸や大坂のそれが激しかった。
↑得意の騒擾作戦。

 

大坂では一揆の指導者が城の間近まで押し寄せて「災厄の発頭人はこの城の中に御出なさる」と叫んだ。
アカデミー賞主演男優賞もの!

 

家茂は7/20に急死。
幕府首脳陣は一橋慶喜に将軍職を継ぐ事を希望した。
彼の側近の用人の原市之進、法制関係のエキスパート西周、財務担当の渋沢栄一と益田孝などは今で言えばグローバリズムに徹していた。
↑やはり、皆、グローバリストだったか。

 

慶喜の本心を見抜いた原市之進は取り合えす徳川家だけを相続する事を勧めた。
ところが、内密にしていた家茂の死がどんどん漏れ、征長軍の足並みが揃わなくなった。
「領地で農民一揆が起こっておりますので」と勝手に軍を離れ藩地に戻る将兵も続々。
慶喜は弱り果てた。
そこで、勝を軍艦奉行に戻し、長州と交渉させる事に。
↑勝は長州と人脈がいぱーい。

 

勝海舟は八月二十一日に広島に到着。
芸州藩浅野家に長州藩との仲介を頼んだ。芸州藩は承知し会談場を宮島に設定。
勝は長州藩広沢真臣井上聞多(馨)と会談。
交渉は成功。
しかし、長州藩は、すぐ裏切られた事を知った。
勝が宮島で談判している最中に慶喜は朝廷に奏請。
「和談をすすめる勅命」を発布してもらった。
征夷大将軍が死んだので戦争などやめなさい。暫く休戦せよ。
長州藩は占領した地域から撤兵せよ。
長州藩はまだ「逆賊」のレッテルを貼られていたから慶喜が派遣した幕府軍はそのまま「官軍」
勝は江戸に戻ると小栗を訪ねた。
勝によると「流石に慶喜さんも気が咎めたのでしょう。俺にくれた軍艦奉行という役職はそのままにしておくから仕事は続けるようにとの仰せでした。俺が受け持つのは海軍です。そこで海軍は陸軍とは違って少しエゲレス色を強めようと思っていますがご了解下さい」
小栗はムッとした。
勝は小栗がフランスと組んで陸軍をフランス流の近代組織に変えていることを知っている。

↑出た。

勝の横槍。


それを知りながら海軍はエゲレス流にするというのは俺のやっている事に対する挑戦。
ましてやイギリスが今は完全に薩摩藩長州藩の後押しをしていて「徳川幕府は日本の主権政府ではない」と公言している事も知っている。
勝は幕府に敵対する長州藩薩摩藩の背後に居るイギリスを重視しようということだ。
勝の持論である「幕府を解体して有力な大名の連合政府にすべきだ」という案はイギリス公使も支持。
小栗は勝を幕府の人間だとは思っていない。

むしろ「幕府を倒して薩摩藩長州藩を主体とする新しい政府を作ろうとする側だ」と見ていた。

↑その通り。

 

 その後、慶喜は大名会議を招集。
それは「徳川慶喜を次の将軍に推薦する」というヤラセ会議。
怒った松平慶永は越前に帰った。
これが慶応二年(1866)十月一日。
その頃大坂城慶喜から小栗に「至急上坂するように」という命令が。
慶喜「小栗、私はこの際幕府の大綱を変革し政体を挽回したい。改めて将軍と幕府の強幹培根の対策を立てたい。まず、今行っている方策を私が認識し、こちらの考えている事をお前に告げて両方の綱をより強く編み合わせたいのだ」
小栗「先頃の、第二次長州征伐で幕府が敗退したのはやはりフランス流に三兵を改めたとはいえ、その動員方法に古いものがかなり残っていたからでございましょう。そこで、現在はこの動員方法を新しく変えるべく旗本たちにかなりの負担を強いています」
慶喜「具体的には?」
小栗「前は旗本五百石につき一人、千石につき三人、三千石につき十人といった割合で、動員をしておりました。それを現在は六百石で三人、千石で六人、三千石で24人という人数で提供させております。しかも、動員した兵は全て刀や槍という武器を改め、銃を持たせるようにしております。つまり銃隊を編成しております」
慶喜「それは凄まじいな。また旗本共がかなり不平を申しておろう」
小栗「その通りでございます。しかし、幕府の危機存亡の折でございますのでこれは是が非でも協力させております。その為に動員すべき幕府軍側に於いても陸軍奉行と歩兵奉行と歩兵頭という職制に改めました。また刀や槍についても名人級の技術を持つ者は特別扱いとし従来通り勤務させております」
慶喜「わかった。ところで、改善に必要な武器の調達と訓練については?」
小栗「これは先程上様が仰せられた通り、フランス公使ロッシュ殿の好意によって幕府側に於いても栗本鯤や浅野氏祐らと共にフランスから派遣されましたシャノワンヌ大尉などの指導によって次々と調練を続けております。また、ご案内のようにフランス人の若い技師ヴェルニーを招きまして、横須賀に新しく製鉄所を建設中でございます。武器もどんどん買い入れており国内での鉄砲製造も既に韮山代官江川太郎左衛門の力を借りて国産の洋式銃を製作中でございます」
慶喜「予想以上の努力だ。ご苦労である。が、そういう改革を行うにはさぞかし金ががかろう。資金の調達の目途は?」
小栗「フランス公使ロッシュ殿と協議致し六百万ドルの対仏借款を交渉中でこざいます。現在フランスからクーレー殿が日本に参りまして私と最後の詰めを行っているところでございます」
慶喜「借款の具体的方法は?」
小栗「先般ご老中のお手元に提出致しました通り、神戸に商社を作り日本国内の生糸を買い集めます。これをフランスへの借款の担保といたします。フランス国は世界最大の生糸需要国でこざいます。しかし、近年フランス国内に蚕の病気が流行り殆ど全滅状態にあると聞きました。その為ロッシュ殿は日本の生糸を独占して買い付けたいと申されます。その代償として六百万ドルの借款を成立させようと言う事でございます」
慶喜は今度の長州征伐ではっきりわかった。
この征伐に参加した大名軍は殆ど身を入れた戦争をしなかった。
何と言っても真剣に戦ったのは幕府軍だけである。

今日はここまで。

 

6時45分に畑へ。

今日も大根や白菜に付いた青虫やヨトウムシを駆除。

そして、持参した液肥を施肥。

7時過ぎに畑を後に。

帰宅後、朝の家事。

合間にカボチャマフィンを焼いた。

焼いている途中にオーブンレンジを止められる嫌がらせ。

10分追加で焼いたら中まで焼けた。

9時半に買い物へ。

帰宅後、食材を収納し終えたら11時半から読書と調べ物。

お腹が空いたので12時半に昨夜以来の食事。

夫は3カ月に一度の受診日で不在。

残り物で済ませた。

午後も読書と調べ物。

17時から夕食作り。

サンマと大根おろし、煮卵、麻婆春雨、とろろ菊ワカメ、サラダ、残り物のチャーシューと梅奴、ウォッカ梅酒ロック。

19時に食べる事に。

 

歩数計は9469。

充実した一日だった。