2025/10/19日曜日
5時に覚醒。
まだ畑に行くには暗いので読書と調べ物。
予想通り小栗は元治元年十二月に勘定奉行を免ぜられ軍艦奉行に任ぜられた。
勝は江戸に召還されたあと、氷川の自宅に謹慎。
倒幕(討幕)が「フランスとイギリスの対立」であったように幕末の徳川海軍の強化拡充についてはフランス派とオランダ派の鋭い対立があった。
勝海舟は長崎に幕府が作った、後の海軍大学とも言うべき長崎海軍伝習所の第一期生。
しかし、勝は理屈っぽい割には数学が不得意。
↑確か赤松小三郎も言ってた。
その為に伝習所では良い成績を上げる事は出来なかった。
↑確か落第した。
しかし口が達者で交渉事が得意なのでオランダ側では「勝さんを伝習所の教官として残して欲しい」と幕府側に依頼。
↑落第スレスレの人間を教官として残すて、オランダの行動は怪しい。
長崎海軍伝習所は安政二年(1855)十月二十二日(笑)に開所式。
総督は永井尚志。
永井の後は木村喜穀がその任に。
木村と勝は仲が悪く勝は事あるごとに木村に抵抗。
木村は好人物だが勝には手を焼いた。
↑勝はトラブルメーカー。
メモメモ。
小栗は勝に好感を持たない連中から「長崎伝習所時代における勝の行状」を聞いていた。
にも拘らず旧伝習所派が批判の声を上げたのは、やはり「海軍はオランダに限る」と考える連中が沢山居たからだ。
↑言葉の問題もあるのでは?
「伝統と実績のあるオランダを差し置いていきなりフランスと組む小栗はけしからん」となった。
長崎の海軍伝習所に入学の伝習所生達は「一期・二期・三期」に分かれる。
勝は艦長要員として永持享次郎、矢田堀景蔵と共に入学。
教授陣としては第一次教師団団長にオランダの海軍大臣になるライケン大尉、第二次教師団団長にカッテンダイケ大尉等が就任。
ライケンは根っからの海軍軍人として大臣に。
カッテンダイケは一端政治家になってから海軍大臣や外務大臣を歴任。
この気質の違った団長は日本人でも親密にする人物が違った。
最も優秀な学生としてペルス・ライケンが推したのは小野友五郎。
↑咸臨丸を操舵したアメリカ海軍のブルック大尉も小野友五郎を絶賛していた。
カッテンダイケは勝海舟を。
小野友五郎は一年契約の常陸国笠間藩士。
身分の不安定な武士だった。
学問に熱心で長崎伝習所に入学する前は幕府の天文方に所属。
数学が得意だった。
そこへいくと、勝は数学が不得意。
軍艦の運用術や天体の測定が出来ない。
しかし、口が達者で渉外能力があった。
↑だからアメリカに行く時の咸臨丸の艦長でありながら、病気と称してずっと船長室に籠もって、アメリカ兵に操舵を任せていたのか。
実は小栗は非公式にオランダにも造船所・製鉄所計画に全面的な協力が出来るか打診している。
オランダ側は「今から日本国が独自の造船所や製鉄所を作っても実際にそこで軍艦が作られ発進できるのは5年後や10年後になるでしょう。多端な折、そこまで努力なさる必要はありません。というのは我が国に発注下されば僅かな年月で必ずご希望の軍艦を作って差し上げます」
と渋った。
小野友五郎も咸臨丸に乗ってサンフランシスコに行った。
この時同乗した軍艦奉行の木村摂津守が「米国人にも恥じないような実績を上げた。まさに比類が無い」と褒めちぎった。
帰国後は木村の推薦で単独で将軍に謁見。将軍からも褒められた。
その小野友五郎も小栗の計画に賛同。
協力を申し出てくれた。
海軍気質・技術者気質の小野は徳川幕府が倒れた後も明治政府に登用された。
老中の中で特にこの計画に熱意を示したのが水野忠精、阿部正外、諏訪忠誠などである。
現在でも同じだが組織の上層部に行けば行くほど権力争いや派閥争いを避けることは出来ない。
幕閣にもそれはある。
純粋無垢な小栗の三河武士精神はそういうドロドロした争いに一種の清涼剤となった。
どんなに派閥争いに熱中している連中でも小栗上野介の姿勢を見ると「あの男に恥ずかしい」と言う気持ちを持つ。
小栗がオランダ派から攻撃の矢に晒されていても一部の老中達は上野介を支持。
だから小栗が「本日はフランス公使ロッシュ閣下に会って頂きたい」と言えば諏訪・水野・阿部達は快諾する。
小栗と懇意の栗本瀬兵衛とフランス公使館の高級職員カションの世話で建設指導にあたる二十代ながら中国での実績を持つヴェルニーが決定。
彼はツーロン工廠の高級ポストが要求されていたが公使ロッシュからの「日本での新造船所・製鉄所の指導に当たって欲しい」との依頼を受けフランスを発った。
✨若き技術者ヴェルニー✨
ヴェルニーは中国で散々イギリスから妨害を受けた。
中国では完全に技術界に於ける仏英戦争。
情報によれば、日本ではオランダ派が、小栗がフランスと結びついた事を非難。
オランダだけでなくイギリスも非難の声を挙げている。
イギリス公使達は「海軍と言えばイギリスが世界一。それを忘れて貰っては困る」
↑なら、小栗の計画に全面協力を申し出れば良かったのにね。
それは絶対に不可能。
だって、薩長に肩入れして幕府倒す計画だから。
手の内バレちゃう。
アーネスト・サトウ英国策論は倒幕の予言書。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E7%AD%96%E8%AB%96
今日はここまで。
7時半に畑へ。
でっかいイモムシがお出迎え。

うちのサツマイモの葉っぱは美味しかろう。
いつものように液肥を施肥したら8時過ぎに帰路に。
帰宅後シャワーと洗濯。
久しぶりに藍建てチェック。

品温22度。pH9台。気温21度。
そろそろ終わりなのか?
撹拌すると、いつものようにカラカラカラと音をさせてプクプクプクとあぶく。
後で調べてみることに。
16時半から夕食作り。
17時半に夕食。

ゴーヤと豚肉の鍋、ウォッカ梅酒ロック。
青唐辛子を効かせて美味しく頂いた。
お皿は長男が洗ってくれた。
ありがたく読書と調べ物をする事に。
歩数計は8809。
充実した一日だった。