arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1500日目と畑と小栗上野介童門版⑫

2025/10/18土曜日

6時15分に起床。

7時に畑へ。

ここから畑の被害報告が始まる。

興味の無い人は、今日の小栗上野介記事へ飛んでけろ。

この勝の裏切り記事をとっとと読んで欲しくないが為に畑であれやこれややってくれた。

うちの作物ちゃん達には迷惑の掛けっぱなし。

お詫びに栄養満点の液肥をせっせと補給してますわ。

 

ニンニクが発芽していた。

が、よく見ると芽が赤い。

他のも赤い。

ニンニクには水遣りしていないのに不自然に濡れている。

なんか撒いた?

ニンニクに液肥を施肥する予定は無かったが緊急施肥。

いつものように里芋に液肥を施肥。

すると、株元に不自然な直径10cm位の穴を発見。

 

誰だ?

こんな穴掘ったの。

もしかして、芋が成ってるかどうか確認した?

悪魔くんでは無い。

魔法が使えるのに土を掘るとかダサい事しないと思うのだが。

更に落花生でも異変が。

土を掘って落花生の実を取って食い散らかしていた。

泥棒現る。

他の落花生の株でも。

こちらは食い散らかしは無い。

まだ落花生の実が未熟だから。

この株は一度緑色の液体が撒かれ葉が黄変し成長が一時期遅れた。

異変が起きた作物に一通り液肥を施肥して栄養補給。

フェンネルに居た幼虫を駆除してから帰宅。

帰宅後シャワーと洗濯。

朝の家事を済ませたら9時過ぎから読書と調べ物。

昨日に引き続き童門冬二著「小説小栗上野介

 


この会談に於いて河井継之助は次の事を指摘した。
河井「主人が京都所司代の頃、私はお供をして京都におりました。事更に暴挙に走る過激派浪士と、これを庇護する長州藩などのやり方には実に腹が立ちました。その意味では薩摩藩の動向も必ずしも純粋ではありません。かなり灰色の面があります。前年の八月十八日の政変によって、一応公武合体派が京都政局を牛耳って居るように見えますが実態は二重構造でまだまだ潜伏している過激派が多数おります。この連中の始末に妙策はありませんか」
小栗「いっその事、纏めて蝦夷へでも送ったらどうでしょうか。邪魔だから蝦夷へ送るというのではありません。若い生命をあたら過激行動だけに費やさせたのでは将来の日本の為にはなりません。熱くなった頭を冷やす為に蝦夷へ送って開拓事業にでも従事させたら、と思います。」
河井「小栗様、その案は一度実行され掛かった事があります。軍艦奉行勝海舟殿と弟子の浪人である坂本龍馬が考え出しました。が、坂本が江戸に着く前に池田屋騒動が起きて有為な若者が多数殺傷されました。その為にこの計画は水泡に帰したのです」
河井「それだけではありません。勝殿が神戸に設けた海軍操練所から池田屋騒動に参加した若者が居たのです。その為に京都におられるご老中達が幕府が作った海軍の学校から幕府への反逆者を出すとは何事かとお怒りになり。勝殿は目下謹慎中。恐らく近いうちに軍艦奉行と操練所頭取を罷免になり江戸に呼び戻されるでしょう」
牧野「先程の幕府の軍事力と財政力を強める話だが、具体的には?」
小栗「参勤交代の復活により江戸は再び繁栄します。その財力を活用し江戸周辺の軍事力を強める計画です。まずは江戸近辺に軍港を作るべきだと考えます。大鑑を自ら建造できるような造船所と製鉄所であります」
牧野「既に候補地があるのか?」

小栗は休職中に栗本瀬兵衛や木下謹吾、浅野伊賀守らと候補地を探し回り、横須賀という結論が出た。
ヴェルニーも同行し湾を見た時「まるで、フランスのツーロンの軍港とそっくりだ」
と驚かれた。
もう一度参勤交代を復活させて江戸が栄えれば「俺達は公方様(将軍)のお膝元に住んでいるのだ」という誇りを持つ。
その江戸市民の誇りを長持ちさせる為には幕府の軍事力を強める必要がある。
それも京都や大坂、兵庫などに拠点を作るのではなく「江戸に近い場所に直接軍事力を拡大できる機能」を設ける事が必要。
その意味において海軍の強化は必定。
新しく日本に赴任した公使ロッシュもこの話に乗り気に。
「その時はフランスから有能な技師を招いて差し上げる」と全面的な協力を約束。
従って小栗は勘定奉行に復帰する前に「横須賀製鉄所建設」の準備を進めていた。
牧野も河井もこの話に目を輝かせた。
長岡藩兵の近代化に関心を持った河井は後に世界に三挺しかないと言われたガトリング砲を二挺買い込む。
牧野も全面的な協力を申し出てくれた。
幕府の神戸海軍操練所の門人が過激派志士に加わっていた事を知った勝は絶望。
「この際、思い切って幕府を売る」行動に出た。

↑あんで、そうなるんだよ!


勝は弟子の坂本龍馬をその頃大坂に居た薩摩藩の実力者西郷吉之助の所へ派遣。
面会を申し入れた。
元治元年(1864)の9/11(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)の夜、勝海舟は西郷吉之助と面会。
この時幕府の重大な秘密を漏らし、同時に「徳川幕府はもう駄目です。あなたがた雄藩が連合して幕府をお倒しなさい」と唆した。

↑反逆罪。


この一事はどう勝が弁解しようと「徳川家並びに徳川幕府への重大な裏切り」である。
後に、これが縁となって勝は東征大総督府参謀となった西郷と会見。
「江戸の無血開城」を行う。
しかし、そういう事態を招いた遠因はこの元治元年九月十一日夜の「勝海舟と西郷吉之助の密談」にある。

↑幕府を裏切った勝を何で慶喜公は幕府の代表に任命?


何故ならこれを契機に西郷はそれまでの「徳川幕府を支持、長州藩を叩け」という方針を百八十度転換してしまう。
「徳川打倒、長州藩と友好提携」の方針に変わった。
この時、西郷は「長州藩征伐軍の参謀」
仮にも、京都御所に突入し天皇の心をも寒からしめた長州藩の行動に対し「寛大な処分」を提言するのは西郷。
つまり、「長州藩の罪は長州藩自身によって裁かせるべきだ」と主張。
天皇の住む御所に銃弾を撃ち込んだのに?
長州藩の領土を削減する訳でもなく、御所に突入した首謀者と参謀7人の首を取って、それで事たれりとした。
征長軍の中には「処分が甘過ぎる」と大いに不満を漏らす者も。
↑畏れ多くも天皇の住む御所に銃撃したの前にも後にも長州藩だけ。
こんな奴らが錦の御旗引っ提げて官軍とか言って北日本に攻めてきたんやで。

 

西郷は「長州藩に恩を売ってやがて薩摩藩と提携し幕府を倒そう」と思っていた。
勝と会った翌日、西郷は故郷の同志大久保一蔵に手紙を書く。
「この上は日本に共和制を行わなければならない」と西郷にしては珍しい言葉を使っている。
共和制というのは勿論、勝がサンフランシスコに行って見て来た「アメリカの民主政治」の事。


・大統領や議員、並びに政府・地方の高級官僚は全て人民の入れ札(選挙)によって選ばれている。
・その任期は四年。
・立候補者の資格は問わない。
・身分制などないから商工業者でも立候補出来る。
・議会というものがあって、政治のチェック装置として機能している。
・ワシントン大統領の子孫が今何をしているか、アメリカ国民は全く知らない。


などと言う事。
西郷は感動。
西郷も身分が低い武士。
「低身分の俺達が国家政治を行えるようになったらそんな素晴らしい事はない」
という野望も湧いた。
冷静に見れば小栗上野介が「改めて徳川幕府の権威を強化する、その為に横須賀に造船所を作る事を始めとして関東地方の幕府軍事力を近代化していく」という構想の実現化に踏み出した頃、勝海舟は「徳川幕府を倒すべきだ」と言って薩摩藩という九州最大の実力藩に幕府の秘密を全部バラした。

↑反逆罪。


一方が建設しようとして着々と石を積み始めれば、一方では勝がその石を片っ端から崩したということである。

今日はここまで。

 

12時に昨夜以来の食事。

午後も読書と調べ物。

17時から夕食作り。

茄子と筍とゴーヤの炒め物、もってのほかとろろたらこ、ナメコと黄色ゴーヤの味噌汁、サワークリームサラダ、昨日の煮物。

これにウォッカ梅酒ロックとご飯をプラス。

夫と食べる事に。

 

歩数計は6399。

充実した一日だった。