2025/10/14火曜日
5時過ぎに起床し6時に畑へ。
今日のイモムシ駆除は一匹。
食用菊もってのほかが見頃に。

ニンニク🧄植え付け用のマルチを張った。

そして、種ニンニクを植え付け。
7時半に帰宅後、シャワーと洗濯。
合間にベランダガーデニングの水遣りと藍建てチェック。

品温23度。pH9台。気温21度。
撹拌するとカラカラカラと音をさせる。
そして、アブクをブクブクブクと立たせる。
生きてますわ。

タオルハンカチを染めた。
薄っすら染まった。
10時に再び畑へ。
ニンニクの植え付け動画を見ていたら、浅植えでも3〜5cmの深さに植える、とあった。
自分は先っちょが見えるくらい浅い。
ワケギと勘違いしたか。
慌てて深く植え直した。
帰宅後、読書と調べ物。
小栗は直ちに手を廻して小笠原に従う将兵1600を選別。
京都に居る坂倉には「一橋慶喜様はあくまでも将軍後見職に徹すべきで絶対に禁裏守衛総督になるべきてはありません。私は職を賭して反対します」と急使を立て二条城へ送った。
が、坂倉からの返書には「意見書は読んだ。しかし情勢はお主のいうような簡単なものではない。一橋慶喜様はやがて将軍後見職を゙解かれ禁裏守衛総督におなりになる予定だ」と返書が来た。
坂倉「お主の意見書は一応一橋様にもお見せした。上様にもお見せした。一橋様は激怒され上様はお宥めになるのにえらく骨をお折りになった。そして結果としておぬしの辞表を受け取ることにした」
坂倉の話によると京都守護職になった会津藩主松平容保が不逞浪士の取り締まりに躍起になっている。
三条大橋に晒された足利将軍三代の木像の首の犯人を捜索。
自分の腹心の大場を過激浪士の中に送り込み、情報を探らせ犯人が判明。
次々と逮捕された。
坂倉「上様を別な形で護衛し中山道を辿ってきた浪士達230人のうち大半は横浜で攘夷を決行すべく東海道を戻った。しかし、13人の忠義な浪人が居て、これが京都守護職預かりという形で新撰組を結成した。日に日に入隊者が増え、今では百人を越えている。今どきの浪人には珍しい連中だ」
次々と起こる現象は小栗上様介の常識を超えていた。
しかし、全体を判断すると小栗には「真っ当な政道が何処かへ失われている。京都で行われているのは権謀術策の争いだ」と思えた。
潔癖な三河武士である小栗上野介には容認しがたい事である。
小笠原長行による上様奪還の企ては失敗に終わった。
というよりも、京都に入る前に二条城に居た幕府首脳部のより阻止された。
それ以上に小笠原の身に降りかかった災難が〝生麦事件〟
イギリス側は薩摩藩に対し「死傷者に対する賠償金と犯人を引き渡せ」と要求。
薩摩藩「大名の行列の前を横切る者は日本人でも斬殺する。これは幕法だ。文句があるなら幕府に言ってもらいたい。我々は幕法に従ったまでだ。従って賠償金は払わない。また犯人は何処へ行ったか行方不明だ」
これを受けイギリス代理公使は矛先を幕府に変更。
当時、老中格で外国事務を扱っていた小笠原長行は勘定奉行の小栗上野介に相談。
小栗「幕府が薩摩藩に代わって賠償金を支払うべきです」
↑新事実!
小栗がそう言ったのは知らなかった。
これこそ、幕府のお金を減らす為の薩摩とイギリスによる策謀やないか。
小栗「島津久光の言う通り、大名の行列の前を横切った場合には、確かに日本人でも斬殺されます。これは、日本の武士の常識です。従って、島津久光の言い分は筋が通っています。幕法を定めたのは幕府なのですから、やはり幕府が薩摩藩に代わって支払うべきでしょう」
小笠原「しかし、攘夷論がこれほどやかましい時にそんなことをしたら京都側ではいよいよ憤激するぞ」
小栗「如何に京都側が憤激しようと、我々は筋を通すべきです」
小笠原は小栗の同意を得て26万8千66両の賠償金を支払った。
「老中小笠原が大軍を率いて京都に乗り込んでくる」という報告は攘夷派にも行き渡った。
↑この賠償金の額はどう考えてもイギリスのぼったくりやろ。
攘夷派は「小笠原は軍勢を率い京都に居る攘夷派を弾圧し一挙に条約の勅許を求め、更に人質にしている将軍を救出するつもりだ」と読んだ。
そこで、攘夷派は小笠原を京都に入れるなと言うことで一致。
長州藩の桂小五郎・高杉晋作・久坂玄瑞・寺島忠三郎などが知恵を絞り走り回っていた。
攘夷派は「小笠原は将軍が既に攘夷期限を奉答したにも拘らず、その奉答に背くような賠償金支払いを独断で実行したけしからぬ男である」と宣伝。
二条城に居る幕府首脳部に「朝意に背いた小笠原を処分せよ」と迫った。
小笠原は大坂に上陸するや京都へ向かった。
淀まで来た時、二条城から次々と幕府首脳部が馬を飛ばしてきた。
そして、
首脳部A「京都に軍勢を入れるなどとんでもないことだ」
首脳部B「おぬしが独断でエゲレスに賠償金を支払ったので朝廷は憤激している。おぬしを罰せよという詰問が毎日のように二条城に来ている」
小笠原「そんな弱腰でどうなさるのですか。一体人質同様になっている上様をいつ救出なさるおつもりですか」
しかし、首脳部は「京都へ軍を入れる事はならん」と繰り返すのみ。
今日はここまで。
12時に昨夜以来の食事。
午後も読書と調べ物。
17時から夕食作り。

小松菜ともってのほかの酢味噌胡桃和え、サラダ、ひき肉ゴーヤ丼、ロースト胡桃、ウォッカ梅酒ロック+赤紫蘇ジュース、長男のお弁当のおかず、昨日のトマト煮。
19時に食べる事に。
歩数計は9406。
充実した一日だった。