arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1495日目と畑と小栗上野介➆

2025/10/13月曜日

5時過ぎに起床し6時に畑へ。

行く途中、開花したコスモスが綺麗で思わずパチリ。

今日もイモムシに出迎えられた。

撮影した画像が全てピンボケにされたのでフェンネルをカットしてから撮影。

アゲハの幼虫が欲しい人はフェンネル付きでどうぞ。

帰り道、畦道で可愛い花に遭遇しまたまたパチリ。

7時に帰宅後、シャワーと洗濯。

ベランダガーデニングの水遣りを済ませたら読書と調べ物。

昨日に引き続き、童門冬二著「小説小栗上野介

 

横井小楠の破約攘夷論は長州の桂小五郎の唱導により京都に集まった過激派達の大きな世論に変わっていた。
攘夷実行後に、小楠は「全国の有識者達による全体会議を開いて日本国の行くべき道を決定すべきだ」と言っている。
桂達にすれば「それこそ、今の幕府を解体して、新政権を樹立する格好の時期だ」と思っている。
そして、「その全体会議の結果によって、新政府の開国論が打ち立てられるのならば、その時は攘夷の鉾を納めても良い」という戦略を既に持っていた。
彼らの目標は明らかに「幕府を倒す」という倒幕の戦略に変わりつつあった。
「今の日本の国力では絶対に不可能な攘夷を幕府に実行させて、その弱みにつけ込むべきだ」と言う巧妙な策謀を打ち立てていたのである。
評議終了後、坂倉に残るよう言われ、そこには老中小笠原も居た。
小栗は2人に先日、岡部と浅野と3人で越前藩邸で横井小楠に会ったことを話した。
その時、彼が「破約攘夷論桂小五郎達に告げた」と報告。
坂倉と小笠原は驚いた。
小栗「既に反幕派を倒幕派にまで育てている長州藩に対しては格好の口実を与えた事になります。彼らは今頃はさぞかし鬼の首でも取ったように横井先生の破約攘夷論を振りかざして居るに違いありません」
この夜三人は、徳川家と幕府を守り抜くのは我々だけだ、という決意を新にした。
更に、板倉は小栗を歩兵奉行に命じた。
それに対し小栗は金の心配が要らぬよう勘定奉行も併せて命じるよう要求。
12/1に、歩兵奉行を、12/5に勘定奉行を拝命した。
文久二年(1862)十二月、将軍後見職一橋慶喜は京都へ出発。
小笠原が同行。
文久3年1月5日に参内。
孝明天皇に謁見。
一橋慶喜はその皇威に圧倒された。
小笠原は、江戸で考えていた以上に京都の空気が緊迫。

一言で言えば「攘夷一色」であると感じた。

更に、過激な志士達はもう一歩前へ突っ込んで「この際、天皇の直属軍を結成し、一挙に倒幕の軍を挙げるべきだ」という論が罷り通っていた。
先頭に立っているのが筑後(福岡県)久留米水天宮の神官真木和泉
志士の間では〝今楠公〟と言われて尊敬されていた。

真木が立てた策は
①将軍が上洛した際に、天皇賀茂社石清水八幡宮に詣で、攘夷を祈願する。
➁この時は将軍始め諸大名を供にする。
③更に大和の橿原神宮に詣で、この時「天皇直属軍、即ち親兵」の結成を宣言する。
④同時に攘夷を実行しない幕府を討つ宣言も行う。
倒幕ではなく討幕を画策している。
背後に居るのは長州藩
こういう志士達に資金を提供。
その主張を煽り立てていた。
そういう事情を小笠原は事細かに坂倉に報告。
坂倉はその都度小栗に相談。
坂倉「京都の状況は思いの外悪い。このまま将軍を上洛させるのはどういうものかな」
小栗「将軍上洛は既に決定した事です。覆す訳には行きません。しかし、攘夷期限の奉答だけは絶対に行ってはならないと思います」
坂倉「上様がご上洛なさる時はお前さんはどうする?一緒に来るか」
小栗「私は残ります。歩兵奉行として幕軍の強化に努力します。殿を務めます」
小笠原長行の報告に気になる点が。
一緒に京都に行った勝が工作を始めている。
「頑迷な京都の公家達を大阪湾に連れ出して攘夷が如何に無謀な事か悟らせる」という試み。
勝は目下、過激派の公家のリーダー姉小路公知に狙いを付けている、とあった。
↑このお方、幕府の軍艦を見学した数日後、暗殺されまする。

勝の「攘夷が如何に無謀な事か悟らせる」行動はファインプレー。

出来れば、もっと多くの過激派公卿に悟らせて欲しかった。

 

報告の中でもう一つ気になったのは勝が上様が上洛なさった時に、何か直訴するつもりだ、と言う事。

文久三年(1863)二月、将軍家茂は上洛。
東海道の終点の三条大橋で「足利三代の木像の首」に出迎えられた。
過激派志士達が洛北の足利家の菩提寺である等持院から持ち出した。
立て札には「逆賊足利三代の首をここに晒す」
家茂への恫喝。
↑過激派志士て、こういう事をやる。
ご先祖様を大事にする日本人には考えられない行動。

 

文久三年三月二十一日、孝明天皇が「賀茂社行幸」を強行。
「攘夷祈願」か目的だ。
この行幸には将軍家茂他在京中の大名が全て供した。
この時、見物人の中から「いよー、征夷大将軍!」という声が飛んだ。
勿論、からかいの言葉である。
護衛していた幕府の役人がパラパラと声のした方へ走り発言者を求めた。
「俺だ」と顔の長い若い武士が応じた。
「貴様は?」
長州藩士の高杉晋作だ」

高杉晋作 27歳没。

早々と証拠隠滅されとる。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%89%E6%99%8B%E4%BD%9C

 

 

幕府の役人「何故あんな声を掛けた」
高杉「感動したからだ。天皇のお供をして攘夷祈願をする将軍様のお姿を見たら思わず声が迸り出た。美しい光景だ」
↑武士とは思えない言い草。
庶民みたい。

 

政治資金が惜しみなく投入されている長州藩士は花街で大人気。
京都市民の支持を受けている。

役人達は「二度と妙な声を掛けるな。行儀良く見物しろ」と注意すると引き揚げた。
見物人達が一斉に声を上げると高杉はガッツポーズ。
こんな事を細々と小笠原は書き送ってくる。
「幕府の威信は完全に失墜した。このままだと上様も否応なく攘夷期限の奉答をせざるを得まい」
小笠原の観測だ。
4/11(笑)には孝明天皇石清水八幡宮行幸

↑誰だよ、4/11に設定したの(笑)

 

真木和泉らは「この日は将軍家茂に攘夷実行の節刀を授ける」と言うことが密かに決められていた。
この情報は幕府も得ていて対策を講じた。
①当日は将軍は急病と言って石清水八幡宮行幸に供をしない。
➁代理として将軍後見職一橋慶喜が供をする。
③しかし、慶喜も「攘夷の節刀を授ける」という段階に立ち至った時は急遽病と称しその場から脱する。

この策で攘夷の節刀授与は免れた。
在洛中の家茂は窮地に。
攘夷期限を何月何日に定めるかを明らかにしなければ京都から脱出する事が出来なくなった。
4/20,参内した折、遂に攘夷期限は本年五月十日とします、と奉答してしまった!
↑5/10の次の日なーんだ?

 

この事を知った長州藩は花街で「勝った!勝った!」と祝宴。
長州藩は既に「馬関海峡を通過する外国船を片っ端から打ち払う」という態度を決め、砲撃の準備を瀬戸内海に面した築造された砲台に命じていた。

↑5/11未明にな。

 

砲台には続々と長州藩兵が押しかけ待機。
家茂が奉答した4/20の段階で長州藩は完全に「外国船砲撃」の態勢を整えていた。
ある日突然江戸城小笠原長行が埃だらけの姿で登城。

小笠原によると、「攘夷期限の奉答をしたから上様は江戸にお帰りになられると思ったが、そうじゃねぇ。

過激派の野郎共が攘夷を実行するまでは上様を返さねえとぬかしやがる。」
↑最早、やり方がゴロツキや博徒と一緒やな。

 

つまり、上様は人質に取られた。
横浜辺りで幕府が実際に攘夷を実行しなければ上様は最後まで京都から抜けられない。
俺は上様を救出する為に戻って来たのだ。
更に、小笠原は小栗に「お前さんが訓練している軍隊を貸してくれ。上様を救いに行く」
小栗「わかりました。千でも二千でもどうぞ。あと、勝の様子は?」
小笠原「前に手紙で書いた姉小路公知卿を勝は見事に大阪湾に連れ出し軍艦の上から大阪湾を見せて、日本の防備状況の劣悪さをしっかりと見させた。姉小路卿も考えた。そして、当面攘夷は無理だとお悟りになった。早く言えば、姉小路卿は過激な攘夷論から、この日、開国論にくるりと変わってしまったということだ。しかし、この事を知った攘夷派の連中に姉小路卿は暗殺されてしまったよ。勝の野郎は上様も大阪湾に引っ張り出したよ。そして、直訴しやがった。」
小栗「なんです?その直訴というのは?」
小笠原「なんでも、神戸に海軍の操練所を作りたいと言って上様の許可を頂いたそうだ」
小栗「神戸に海軍の操練?」
小笠原「今ある幕府の江戸の操練所とは違って幕臣の子弟だけではなく、大名の家臣だろうと、子弟だろうと、或いは一般市民の子弟までも入学させるという海軍大学だ」
小栗「上様はそれをお許しになったのですか?」
小笠原「ああ。但し、費用の事は勘定奉行に良く相談するように、と仰った」
現在勘定奉行の小栗は相談があれば断る。なぜなら、「幕府の軍制改革は自分の責任に於いて行っている。勝の権限ではない」からだ。
軍制改革は陸軍だけでなく海軍にも及ぶ。
小栗は統合参謀本部の議長のような役割を持っている。
陸軍・海軍のあらゆる編成や改良については全て自分の考えに発する。
そのために家茂から「御軍制御用取調」
命ぜられている。
小笠原「小栗さんよ、勝は油断がならねえ。勘定奉行がお前さんだと知っているから簡単に幕府が金を出すとは思っていない。金を借り歩いているよ。越前の松平慶永さんや大きな商人や紀州の醤油商人達や蝦夷の貿易商人達に。
これは何れ大事になるぜ」

今日はここまで。

 

11時に顔合わせ会へ。

先日長女が入籍したので、お相手のご両親と顔合わせのお食事会へ。

個室でお庭の眺めを堪能しながら、楽しい会話と美味しい食事を味わった。

14時半に御暇し帰宅。

17時から夕食作り。

サラダ、チキンのトマト煮、チーズ竹輪とスルメ、納豆、長男のお弁当のおかずの卵焼き、鱈のムニエル、ソーセージ、カボチャ、じゃがいも、人参。

これにウォッカ梅酒ロック+赤紫蘇ジュースをプラス。

18時半に食べる事に。

 

歩数計は8227。

おめでたい一日だった。