2025/10/10金曜日
3時半に起床し読書と調べ物。
開国後、横浜などで取引される品物で日本から最大の輸出品として珍重されたのは茶と生糸だった。
ところが、蚕病の蔓延によってフランスでは自国内の生糸生産が絶滅状態に。
フランスは日本の生糸に目を付けた。
公使ロッシュに
「なんとかして、日本の生糸を独占輸入できるよう日本政府と交渉せよ」
と命令。
従ってロッシュ公使がしきりに「幕府の権威再確立に助力を惜しまない」
と言う言葉の裏には「生糸の独占輸入権をフランスに与えて欲しい」という交換条件があった。
西郷に心酔している、という点では益満も金井も同じ。
金井壮介は御用党に加わってから益満休之助の指揮ぶりに感嘆。
御用党が幕府軍に攻撃された際、責任者として潔く幕府軍に捕らえられた。
実は金井壮介もその時居残った残党の一人。
↑何で打首にならなかったのか。
金井は「関東地方の暴徒を煽動して幕府を更に窮地に追い込んでやろう」と思っていた。
↑だーかーらー、何で打首になってないんだ?
ただの迷惑なトラブルメーカーやん。
幕府を窮地に追い込むと言うのは「親幕派の藩や旧幕臣達に反乱を起こさせ、これを叩き潰して二度と新政府に対して謀反心を起こさないように仕向けてやる」という事。
↑しかーし、金井壮介のやった事はただの集団強盗だったという。
小栗のは叛乱じゃなく、2千人の集団強盗団に対する正当防衛な。
一時退避していた小栗家の家族も東善寺に戻ってきた。
家族だけになると小栗は鉞子の腹部を見て言った。
「生まれてくる子に支障は無かったか?」
鉞子「ございません」
↑今知った新事実。
鉞子は妊娠していた!
3/6,山岡鉄太郎が権田村の小栗を訪れた。
勝の使いで。
勝の用事は、近く勝のお使いで駿府の東征大総督府の西郷に会いに行くので、西郷にこれだけは頼みたい、と言うことがあれば言ってくれ、ということ。
小栗「ひとつは、江戸を出るとき勝さんにお願いしましたが、寛政の改革以来、江戸の市民が主として小石川養生所の運営費に積み立ててきた、例の七分積立金の市民への返還のことです」
山岡「存じております。勝さんもその事を再度小栗さんに伺うようにとの事でした」
小栗「恐らく江戸城に乗り込んでくる新政府軍の領袖達は、あの金を発見すればすぐ軍費にまわしたいということでしょう。しかし、それをさせてはなりません。元々あの金は江戸市民が積み立てたものです。勝さんが西郷さんと交渉する時は、特段の配慮を以て、あの金は全て江戸の市民に還元してくれるようにして欲しいと頼んで下さい」
山岡「わかりました。もう一つは?」
小栗「もう一つは横須賀の製鉄所のことです」
山岡「横須賀の製鉄所?」
小栗「あの製鉄所は、幕府海軍の強化のためにフランスと協同して造り始めたものです。今は戦乱の為に建設が中止されておりますが、継続して製鉄所を造り続けて頂きたいという事です。是非完成させて頂きたい。あの製鉄所は幕府の為ではなく日本の為に役立ちます。そして絶対に必要なものです。その事を是非勝さんから西郷さんに交渉して頂きたい」
山岡「わかりました。かなり難しいとは思いますが」
小栗「かなり難しいとは?」
山岡「旧幕府の首脳部の中でも、あの製鉄所を爆破して、新政府には渡したくないという動きが強いのです」
小栗「何を馬鹿な事を!」
上野介は怒りの色を顔に表した。
小栗「まだ、そんな事を言っているのですか。あの製鉄所は、元々私は幕府だけの為に造った訳では無い。新しく生まれる国の為に造り始めたのです。だから私は新しく生まれる国家に、引き出物として土蔵付きの家を差し上げる、とまで言ったはずです」
山岡「土蔵付きの屋敷を?」
山岡鉄太郎はハッハッハッと高く笑った。
山岡「わかりました。その二つですか」
小栗「そうです。これだけが心残りです」
山岡「本当に、さっき小栗殿が言われたように、この塾から太政大臣が出るといいですな。本庄宿で勝さんが待っています。失礼します」
本庄宿で勝が待っているとは、「勝の奴は余程俺の事が心配なのだ。本庄まで来ているのならここまでくればいいのに」
訪米中、一切の費用はアメリカ合衆国持ちだった。帰国間際、小栗は持参した二万ドルをお礼として差し出した。
が、頑強に受け取らない。
礼金は宙に舞った。
アメリカ側の知恵者が「アメリカの使節として最初に日本に渡ったペリー提督の娘婿にベルモンドというのがおります。これがニューヨークではかなりの顔役です。彼に任せてはどうか」
小栗「わかりました。ではミスター・ベルモンドに一任致します。いいようにご処理下さい」
↑ペリーの娘婿てロスチャイルドでなかったか?
オーガスト・ベルモント
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%88
ペリーは1819年にフリーメイソンに入会。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%BC
ロシア軍艦の対馬侵略に関し外国奉行として交渉に向かった小栗は交渉が難航。
打開策として対馬を幕府の直轄地にすると言う案を宗氏に提案。
同意を得た為、幕府の了解を得る為、一旦江戸へ戻る事に。
しかし、その途中、老中首座の安藤はイギリスに仲介を依頼。
梯子を外された形で帰城。
程なく外国奉行を辞任した。
そんなある日、ひょっこり両替商の美野川利八が尋ねて来た。
今の両替に加えて洋銀売買を始めようと相談に来た。
小栗「何故洋銀売買などを思い立ったのだ?」
美野川「開国後、物の動きが活発になりました。外国との貿易が盛んになるにつれて、金の動きも活発になりました。しかし、どうも今の様子を見ておりますと、日本の金の扱われ方が外国側の良いように振り回されていて、この国の不利になるような事が多うございます。その事を、若殿様がメリケンにおいでになった時にビシッと向こうの人間達におっしゃったという話を伺いました。そこで、私も若殿様から色々お教えを頂いて洋銀も扱う両替屋を始めたいなと思った次第でございます」
小栗「お前は素晴らしい男だ。父の所に居た時からかねがねお前の能力を高く評価していたが、そうか、そんな所に目をつけたか。利八、それは正しい」
利八「本当でございますか」
小栗「正しいよ。つまり、今の幕府を始め、この国の商人達が気付いていないのは、お前が今言った金と金との両替の問題だ。こっち側の目安はめちゃくちゃだ。だから、外国人のいいように振り回されている。お前の言う通り、俺はメリケンで、その事を主張して向こう側は流石に驚いて頷いた。ところがこっち側の上層部にはそんな考えの人間は一人も居ない。依然として日本に不利になるような事ばかり行われている。だから、日本の大切な金や銀がどんどん海の外へ流出している。これを食い止めるのは、正しい貨幣の交換以外に無い。お前がそれをやろうと言うのだな」
↑この知識があったからこそ、小栗は岩倉の暗殺処刑リストに載ったと思う。
東山道暗殺軍の。
利八「はい」
小栗「素晴らしいよ。利八。お前がやろうとしている事は利八個人の利益ではない。この国の利益になる。勿論幕府の利益にもな」
利八は「政府(幕府)が手にしている金融情報を前もって教えて欲しい」のだろう。
現在ならインサイダー取引問題となり小栗は「国家公務員の秘密漏洩の罪」を犯す事になる。
現在の国家公務員法では「知り得た国家秘密は在職中も退職後もこれを漏らす事は出来ない」
しかし、小栗の時代はそんな物は無い。
従って守秘義務も無い。
ましてや小栗は潔癖な三河武士だから賄賂など絶対に取らない、
孫引きになるが「三野村利左衛門伝」に引用されている「三井銀行八十年史」には小栗と利左衛門の関係について次のような記述がある。
「彼がどうして三井家に出入りするようになったかというと、彼がかつて奉公していた小栗上野介の屋敷に行った時、偶然天保小判一両が洋銀の交換比率の関係で万延小判三両一歩二朱(約三倍強)と換価する旨の発令が出る事を聞いて、事前に買い占めを図り、また買った小判は葭屋両替店に質入れして金を借り、更に買占めた。葭屋の主人が林留右衛門と言って三井の手代をしていた関係で、彼は買い集めた小判を三井両替店へ売り込んだ。こうした機敏な振る舞いから紀伊国屋利八は三井家の主席番頭の斎藤純造に認められる事となったのである。彼はこのように時の権力者に近づく事が巧みであったし、また、極めて企画性に富み俊敏な性格であった。その後彼は三井両替店にいつも出入りするようになり「紀の利」「紀の利」と言って重宝がられるようになった」とある。
この、天保小判と洋銀の交換の情報を小栗は利八に伝えた。
↑もしかして、これか!小栗が殺された理由。
奴ら金の亡者だし、嫉妬の鬼やから。
常に嫉妬してる。
この情報による美野川利八の大活躍により三井家が一躍隆盛。
↑嫉妬♥しっと♥焼き餅♥Jealousy♥ジェラシー♥
美野川利八はその後三井家の番頭として三井系の貿易会社の設立、銀行の設立、物産会社の設立など三井商店の近代化に力を尽くす。
↑利八は明治十年(1877)に亡くなるまで小栗家遺族の面倒を見たのであった。
今日はここまで。
5時20分に畑へ。
今日も今日とてイモムシ駆除。

堆肥と液肥を施肥したら6時に帰路に。
帰宅後シャワーと洗濯。

品温25度。pH9から10。気温21度。
布巾を藍染め。
うっすら青くなった、
9時過ぎに買い物へ。
帰宅すると夫がお腹が空いたと言うのでラーメンを調理。
そのあと、読書と調べ物。
12時から昨夜以来の食事。
午後も読書と調べ物。
17時から夕食作り。

ブリの刺身、なめこの味噌汁、生鮭の粕漬け、豚キムチ、サラダ、ナッツ、チーズ竹輪、残り物の煮物。
これにご飯とウォッカ梅酒ロック+赤紫蘇ジュースをプラス。
19時に食べる事に。
歩数計は8037。
充実した一日だった。