arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1488日目と畑と小栗上野介㊴

2025/10/5日曜日

4時15分に起床。

5時20分に畑へ。

今日も今日とてイモムシ駆除。

液肥を施肥したら6時過ぎに帰路に。

 

帰宅後シャワーと洗濯。

合間にベランダガーデニングの水遣り。

完成した納豆を冷蔵庫にインしたら朝の家事は終了。

読書と調べ物をする事に。

 

昨日に引き続き、星亮一著「小栗上野介


4/2に屋敷の工事費の一部100両を藤七に渡し、8日には江戸の屋敷にあった大砲と母に約束した椿が届いた。
16日と19日の2度に渡って旧幕府騎兵組の桜井が来て、江戸が開城になった事を伝え、
「我々は会津へ参りますが、上野介様も是非我々と共に立ち上がって下さい。上野介様が叛旗を翻したと噂が広まっております。ここにおられては危険です」
小栗「叛旗などとんでもない。もう隠退した身だ」と断り路銀を与えた。
28日には建て前が行われ、家族皆で観音山に繰り出した。
翌29日に異変が。
高崎、安中、吉井の三藩が兵を率い東善寺へ向かうとの情報が。
四月一日(この年は4月が2回)、三藩の使者8名が兵を連れて三ノ倉から東善寺へやって来て忠順に面会を求めた。
高崎藩宮部八三郎、菅谷次兵衛、大野八百之助、安中藩星野武三郎、福長十兵衛、星野閨四郎、吉井藩山田角右衛門、黒沢省吾である。
忠順は又一を同席させ面会に臨んだ。
宮部「我々は東山道総督府の使者として参りました」
宮部がそう言って東山道総督府の回文を渡した。

小栗上野介、近日その領地上州権田村に於いて陣屋等厳重に相構え、これに加え砲台を築き、容易ならざる企てこれある趣、諸方の注進、聞き捨てがたく、探索を加え候ところ逆謀判然、上は天朝に対し奉り不埒至極、下は主人慶喜恭順の意に相戻り候に付き、追捕の儀、その藩へ申し付け候間、国家のため同心協力、忠勤に抽すべく候。万一手に余り候ば、早速本陣へ申出候。先鋒諸隊を以て一挙誅滅致すべく候事
四月
右の趣仰せ出でられ候間、御達し申し入れ候、急々尽力これあるべく候
四月二十二日 
東山道総督府執事
松平右京亮殿
坂倉主計殿
松平鉄丸殿
右回覧の上、各藩申し合わせ追捕致すべく者也

 

忠順は一読し全身に怒りが込み上げた。
即刻、捕縛せよとの回状である。
忠順「陣屋、砲台の構築など全く身に覚えのない事である。観音山の普請は雨露を凌ぐ程の家作で要害などというものではない。私は主人から罷免されて以来、隠居の身として過ごしてきた。かかる疑惑を受ける理由は無い」
宮部「その事は我々も十分に承知していますが何分にも東山道総督府の仰せにこざいます」
忠順「私に異心なきこと証拠として大砲と小銃をそちに預ける故、帰って主人に報告致し、その旨を総督府に申し述べて欲しい」
宮部は頷き「尚、念の為又一殿を我々に同行させて頂きたい。直接又一殿から総督府に申し開きをして頂きたい」
忠順「三藩に又一の身柄をお預け致す。それでよろしいな」
忠順は塚本に又一の同道を命じた。
宮部は大砲と小銃を預かり観音山を検分したあと又一と塚本、更に沓掛藤五郎、多田金之助の3人を連れて引き上げた。
許嫁の鉞子は一晩中泣きじゃくった。
協議の結果、忠順は会津へ向かう事に。
塚本の家族は上州富岡の七日市の親戚の家に身を寄せることに。
3日、三左衛門の案内で上ノ大久保の紙屋に避難。
ここで昼食を摂ったあと、亀沢へ。
忠順と荒川祐蔵、三左衛門が先頭に立ち老年の母と身重の妻は駕籠に乗り、鉞子は歩き、三左衛門の娘さいと小栗歩兵20人程が護衛に付き大井秋次郎の家にひとまず草履を脱いだ。
夕方、藤七が駆けてきた。
「殿様、又一様が人質に捕られました」
↑戦国時代再び〜。
学習能力無し〜。

 

忠順は青ざめた。
最悪の事態である。
許嫁の鉞子がわっと泣き出した。
藤七「三ノ倉まで様子を見に行った所、官軍に捕まり殿は何処に逃げられたと厳しく詮議を受けました。東善寺においでにならないことを掴んでおり、もしお戻りにならなければ又一様を殺し、村を焼き払うと申しました。申し訳ございません」
もしお戻りにならなければ又一様を殺し、村を焼き払うと申しました。申し訳ございません
↑戦国時代再び〜。
学習能力無し〜。


日本人は江戸幕府で戦国時代とおさらばしたんよ。
しかーし、これが官軍のやり方〜。

藤七怪しいと思ったら工作員だった。
アメリカまで連れて行って貰ったのにのう。

 

三左衛門「殿様、それは脅しでございます。即、会津へ出立致しましょう。藤七、まさか殿様がここに居なさると告げ口したのではあるまいな」
藤七「何を言う」と狼狽えた。
忠順「又一を置いていく訳には参らぬ。私一人で東善寺に戻る。母と妻を頼む」
三左衛門「私の命に換えても大奥様と奥様を会津にお届けします」
佐藤銀十郎、塚越富五郎、塚越房太郎、池田伝三郎ら16名が会津まで同行する事に。
銀十郎「殿様、官賊には指一本触れさせません」
↑何せ薩長軍は会津で老婆まで強姦しとるからな。


その夜、忠順は道子の腹をさすりながら、生まれてくる子が男なら又一、女子なら母の名を貰い国子といたせ、と言った。
忠順は翌朝、荒川祐蔵と渡辺多三郎を連れて東善寺に戻った。

忠順は東善寺本堂に座した。
東山道先鋒監軍原保太郎「小栗上野介忠順、朝廷に対し奉り大逆を企てし事明白なり。よって捕縛致す」
と有無を言わせず忠順と荒川祐蔵、渡辺多三郎を縛り上げた。
何故か藤七の姿は何処にも無かった。
荒川「あの野郎、裏切ったな」
忠順は三ノ倉の名主戸塚平右衛門の家に連行され何の取調べも無いまま一室に監禁。
そこに、大井磯十郎が「殿様に何の罪があるっ」と怒鳴り込み、すぐ捕縛された。

 

翌6日四ッ(午前10時)忠順主従は烏川の水沼河原に引き出された。
村のあちこちに上野介処刑の立て札が立てられた。
村人A「小栗の殿様もあの時鉄砲撃たなければなあー。官軍にはかられたんだ」
村人B「助ける人が居ないとは何ともお気の毒だ」
村人C「早く会津に逃げれば良かったのに」
村人D「わざわざ戻って来たということだ」
村人E「藤七はどこに行ったんだべ」

 

水沼河原の真ん中に中洲があり振り返ると観音山が見えた。
河原には四つの穴が掘られて居て、その脇に筵が敷かれ、後ろ手に縛られ4人が座らされた。
その周りを槍を手にした三藩の兵が取り囲み、原保太郎が太太しい声で「処刑致す」と叫んだ。
これによると共に斬られた家臣は中村、吉田、山田
https://note.com/shiny_knot636/n/ncdd2259b23d4

最初に荒川祐蔵の首が刎ねられた。
続いて、大井磯十郎。
「我々に何の罪も無し。一言の取調べも無く斬られるのは無念っ」
↑取調べ無しの処刑は薩長軍あるある。


最後に忠順。
原保太郎「何か言い残すことは無いか」
忠順「何事も無い。ただ母と妻には寛典を望む。又一にも罪はない」
次の瞬間、安中藩徒目付浅田五郎作の長刀が一閃。
しかし、浅田の剣が乱れ一刀の下に出来ず、二の太刀で忠順の首が落ちた。
慶応四年(1688)閏四月六日
享年42歳。


あとがき
忠順が斬首された水沼河原に顕彰碑が建っている。
「偉人小栗上野介、罪なくして此処に斬られる、岳南蜷川新」
蜷川新は忠順の妻道子と血縁。
新の母が播州林田藩一万石建部内匠頭の三女。
その上の姉が道子。
蜷川は国際法学者として活躍する一方、忠順の名誉回復に生涯を捧げ、村の人々の協力でこの碑を建てた。
養子又一と忠実な家臣塚本真彦、沓掛藤五郎、多田金之助も高崎で斬首されている。
塚本の家族は途中、逃げ切れぬと幼女2人を川に沈める悲劇を起こしている!
忠順の母と妻は無事、会津に逃れ、妻道子は会津若松で女子を出産。
国子と名付け明治の世を生き抜いている。
上州権田村は戦後、天領になった。
↑国の監視下に。


周辺の村と合併し倉渕村に。
栗本瀬兵衛がパリから帰ったのは忠順の死後。

今日はここまで。

 

午後も読書と調べ物。

16時に藍建てチェック。

品温26度、pH9から10、気温24度。

昨日よりも浮いている枯草の量が増えた。

それでも、かき混ぜるとアブクがプクプク浮いてるし、青みがかった部分もあるし。

明日、染めてみよう。

 

引き続き夕食作り。

ジョージア郷土料理シュクメルリをサワークリームで食べてみる事に。

17時半にホットプレートをオン。

香ばしい匂いがしてきたので18時からは余熱調理。

18時半に食べると思いブログ編集を開始。

すると、夫がお腹が空いたと言うので「先に食べて〜」と伝えた。

夫は11時半にサンドイッチを食べただけ。

その後、マンションの管理組合理事長と会合があり出向いた。

 

先日、管理組合の臨時総会が開催された。

春の定例総会で建物診断や追加工事予算の議題等があったが、余りに高額で話し合いが紛糾。

採決に至らなかった。

それで、臨時総会になったが、そこでも見積書原本の提示が無い等の不備が判明。

管理組合理事長に見積書原本の閲覧を依頼していた。

驚く事に管理組合は見積書の原本を見ないまま管理会社にお任せ。

結果、建物診断で200万。

廊下の防水工事で900万円。

合計1,100万円の臨時支出を議案にし、臨時総会で賛成多数で通過させた。

2年後の大規模修繕で既に1,700万足りない状況での追加支出だから、これで2,800万円のマイナスになった。

それを戸数56戸で割ると一戸当たり50万円の追加負担。

管理組合の理事によると、これまで30年間、管理会社を信頼し、管理会社に丸投げ。

一度も見積書をチェックした事も無いそうだ。

そんな管理組合ある?

管理会社が修繕積立金使いたい放題や。

仮に、2年後の大規模修繕時に追加負担の50万円を払えませんて拒否したらどうなるん?

ネットで検索すると、大規模修繕時に修繕積立金が不足するのを理由に月々徴収する修繕積立金を値上げしたりするそうだ。

そうならないように、不必要な支出を抑えるべきでは?

その為には管理組合の理事はきちんと見積書等を精査するべきでは?

輪番制の理事だけれども。

だって、月々の修繕積立金が値上がりしたら、年金暮らしの人にとって痛くないか?

追加工事は賛成多数で通過したけど、最初に入居した人達は360万円積立ているけど、それらを管理会社にATMのように使われている事を何とも思わない?

ドMですか?

慈善事業家?

それともこれは管理会社を通してのお布施か何か?

DSさん達がマンションの修繕積立金にたかりに来ていると感じた。

 

歩数計は6162。

充実した一日だった。