2025/10/1水曜日
4:45に起床し5時15分に畑へ。
知人から頂いたブロッコリーと白菜の苗を植え付け。

大根の発芽率が低かったので助かった。
ついでに持参した液肥も施肥。
フェンネルに居たイモムシも駆除。
6時過ぎに畑を後に。
帰宅後、洗濯をしようと思ったが雨予報なのでパス。
7時半に次男を送迎。
帰宅後、読書と調べ物。
昨日に引き続き星亮一著「小栗上野介」
都で大政奉還の政変が起こったあと、上州権田村から藤七が駆け付けて来た。
↑藤七はアメリカに連れて行って貰ったのに裏切った奴な。
「殿様、どうなるのでございましょうか」
と問われたが忠順にもわからない。
取り敢えず、藤七に権田村に家を建てる事を依頼した。
そして、村の皆と共に農業をする、と。
↑それなのに、岩倉具視一派は小栗を殺した。
この頃、忠順の屋敷にフランス軍事顧問団のシャノワンヌとブリューネが到来。
「オグリ、我々は大政奉還に不満である。しかも、将軍は陸軍の派遣を断ってきた。相手は戦いの準備をしているのだ。ロッシュも怒っている。速やかに歩兵大隊を上京させ、我々が指揮を取らなければ敗れるぞ。薩長の兵は元込め銃で武装している。刀や槍では戦えない。作戦を立て、参謀の命令に従って万一に備えなければ手痛い敗北を喫する」
シャノワンヌ「新しい国家は戦うことてしか造る事は出来ない」
ブリューネ「我々が得ている情報ては薩長は必ず仕掛けてくる。しかも士官の能力が高い。彼等を叩くのは容易てはない。砲兵、騎兵、歩兵を連携させる高度な用兵が必要だ」
忠順「私もその事を心配している。ところで我軍はどの程度戦えるようになったのか」
シャノワンヌ「伝習第一大隊八百名、第二大隊六百名は小銃大砲の扱いに慣れ、一応戦える部隊になった。但し指揮官次第である。敵を十分に探索し作戦を立てなければ勝てない」
11/13,養子の又一に歩兵差図役頭取付きの辞令が出た。
又一は横浜仏語伝習所の課程を終え5月中旬から神田橋外の陸軍所に詰めた。
陸軍は横浜の太田陣屋を引き払い、砲兵は竹橋屯所、騎兵、歩兵は小川町と大手町に移り、深川や駒場野など江戸近郊の演習所で実弾訓練に。
又一は士官候補生として本部付になり、小川町の歩兵伝習隊長には大鳥圭介が任命された。
大鳥は播州赤穂の在の医師の家に生まれ大坂の緒方洪庵塾で蘭学を修めた。
それがいつの間にか兵書に親しむように成り幕府の開成所教授となって兵学を教えるように。
忠順が出会ったのはその頃。
其の後、横浜の太田陣屋でフランス式操練の伝習を受け、小川町伝習隊長に就任。
更に大手前大隊長、歩兵差図役頭取、歩兵頭並、歩兵頭と順調に出世。
幕閣には入らず現場に留まっていた。
生ぬるい幕閣には批判的。
現状打破を訴える忠順を支援している。
忠順は陸軍所に大鳥を訪ねた。
大鳥「だいたい上野介殿が老中にならないのがおかしい。坂倉公も小笠原公も口では上野介殿が頼りと言いながら上様がどうこう言うと老中へのご昇進を引っ込めてしまう。そんな連中ばかりだから薩長にいいようにかきまぜられる」
大鳥は開口一番そう言った。
緒方塾で一緒だった大村益次郎は長州の最高幹部になっている。
長州の軍備は大村益次郎が仕切っている。
大鳥「あいつは好きなようにやっている。それを長州藩は認めている。ところが幕府はどうですか。私を都に上らせようともしない。これではいざ戦いとなった時、大村に太刀打ち出来ませんよ」
小栗「それではどうすべきかね」
大鳥「戦などやめたほうが良いですね。幕府陸軍といったところで戦えるのは二大隊位であとは話になりません。フランスに注文した武器も着いていない」
フランスに注文した小銃二万五千挺、大砲五十門は船積みされたが大半はまだ航海の途上。
一部届いた物もあったが金が無い為運上所の倉庫から出せないでいた。
小栗「最大の努力をしてくれぬか」
大鳥「私や古屋佐久左衛門に任せてくれれば、そこそこにやって見せますよ。海軍は榎本君が居るし、ここは我々の出番を作って下さい」
忠順は城に戻って早速、この事を小笠原に申し入れた。
古屋も医者で横浜でイギリス軍に用兵を学んでいる。
小笠原「分かってる。しかし、何分にも上様が来るなと言っておる」
小栗「上様のせいにばかりするのは無責任ではござりませぬか。だから幕府はこの様な事に相成ったのでござります」
慶応三年(1867)十二月九日、西郷吉之助が指揮する数百の兵が、御所の九門を固め、会津、桑名藩が御所から締め出された。
帝が奪われた。
↑王政復古のクーデーター。
玉が奪われたよ〜。
1867/12/9は日本の主権が失われた日。
日本という国体を守ってくれていた江戸幕府が軍事クーデターで倒れた日。
薩長政権はイギリスの傀儡政権。
植民地生活の始まり〜。
小栗上野介の死へのカウントダウンが始まる。
江戸城に知らせが入ったのは12/14。
木村摂津守の日記には「十二月十五日 曇りまた雨。例刻通り早めに登営。昨日京師より新報これあり。九州諸藩九門の警を奪う。また長州大膳その他五卿ら復官。会津、桑名免職等の事件、申し来り候由。尤も未だ確実の事は相分からず由、席々において演達これあり」
5日過ぎても確実な事が分からないというお粗末さである。
17日に京都から目付遠山修理亮が到着、詳細が報告されるに及んで、事の重大さが明らかに。
将軍は既に政権を返上。
日本の最高権威は天皇。
↑だが天皇は14歳の子供。
だから、岩倉具視の天下ですわ。
天皇を手中に収めればどんなことでも出来る。
詔勅も出し放題。
西郷や大久保は岩倉具視ら宮廷勢力と結託。
クーデーターを断行。
玉を奪い、日本を乗っ取った。
今日はここまで。
12時に昨夜以来の食事。
午後も読書と調べ物。
14時に気分転換に藍建てチェック。

品温28度。pH9〜10。気温25度。
攪拌するとカラカラカラと音をさせ泡をプクプク見せてきた。

pH13とpH12の灰汁をそれぞれ250と600ml追加後、攪拌。

泡見せ無し。
追加の灰汁要らんかった?
畑では悪魔くんと混植を楽しみ、藍建てては藍ちゃんと対話。
日々楽しんでますわ。
ちなみに悪魔くんと混植してる畝は幾つかあってその代表的な物はこちら。

サツマイモと里芋の混植を考えたのはわい。
そこに悪魔が勝手に冬瓜を植えた。
わいは、冬瓜の苗は違う畝に植えたのに、何故か胡瓜とズッキーニ苗にすり替えられた。
で、多分、お詫びにここに植えた。
とゆーか、いきなり冬瓜が成ってた。
ワイをびっくりさせたかったらしい。
「ドッキリカメラ」の看板も用意しとけゴラァ。
17時に夕食作り。

栃尾揚げと油揚げのネギ味噌挟み焼き、ゴーヤの肉ボート、長男のお弁当のおかず、サワークリームレタスサラダ、卵焼き、残り物の中華スープ、ウォッカ梅酒ロック+赤紫蘇ジュース、ローストナッツ。
19時に食べる事に。
歩数計は7287。
充実した一日だった。