arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1481日目と畑と小栗上野介㉜と昨日の藍建て

2025/9/28日曜日

4時に起床し5時過ぎに畑へ。

水遣りしているとフェンネルに大量のイモムシを発見。

15匹以上を駆除。

明日もチェックしないとだな。

6時15分に帰路に。

帰宅後シャワーと洗濯。

やる事やったら読書と調べ物。

 

昨日に引き続き星亮一著「小栗上野介

 

フランスとの友好促進とパリ万国博に出席するため、マルセイユに着いた慶喜の弟徳川昭徳の一行は薩摩藩琉球王国の名でパリ万国博の一区を借り受け丸に十の字の藩旗を掲げモンブラン伯なる男を使って「幕府は日本の一大名に過ぎぬ」との説を流していた。
初代フランス公使に任ぜられ首席随行の大役を仰せつかった向山隼人正は顔面蒼白に。
加えて昭徳の体調が思わしくない。
航海中も嘔吐を繰り返し、マルセイユ到着後も強行日程。
口も聞けない程疲労していた。
今回の旅は大君の地位を西欧諸国に顕揚するのが狙い。
フランス外務省に抗議する事に。
宿のグランド・ホテル・パリに入ると日露国境交渉の為ペテルブルグに派遣されていた小出大和守秀実が待っていた。
小出は日本への帰国途中。
昭徳に挨拶をした。
翌日向山はフランス外務省に琉球の件を抗議。
博覧会の会議が17日にある。
田辺太一に交渉を命じた。
その前日「琉球王国博覧会委員長(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)」のフランス人モンブラン伯が向山を訪ねてきた。
薩摩は幕府の目を掠め、長崎の商人グラバーの手で二百五十箱の展示品をパリに直送。
↑グラバーも薩摩に協力。

メモメモ。

 

17日に田辺と山内が日本出品取扱委員長のレセップ男爵の所に行くとそこにモンブラン薩摩藩士が。
「私は松平修理太夫の家来、岩下佐次右衛門と申す者にて、民部大輔殿御到着の儀も風聞にて伺いましたが何分にも土地不案内で御機嫌伺い申さずお詫び申し上げます」
パリのグランドホテルが分からないとはとぼけた野郎だが身分は家老。
部下を何人も連れパリに乗り込んだという。
田辺「こたびの万国博の国産出品は幕府として申し込みをいたしておる。それについては如何心得るか」
岩下「いや何分にも薩摩は遠く離れた地故、江戸のことは承知いたさず、全てモンブラン伯に委任したまでごわす。私は何分言葉が分かりかねますので、これでごめん被ります」と退室してしまった。
そのあと、田辺はモンブラン琉球王国の文字と丸に十字の旗を取り下げるよう求めた。
そして、薩摩産品の上に日本と大書。
幕府出品の上には大君と書かせる事でこの場を納めた。
が、薩摩太守(琉球国王)の名がパリ市民に印象付けられる結果に。
琉球王国の方が有名になったべ。

 

万国博で日本の生糸、漆器、工芸品、和紙ご第一等のグランプリを得た。
が、向山にとって不快極まりない博覧会に。
更にもう一つ問題が。
カション「オグリとフランスとの間の借款が上手く行かない。ムカイヤマ、フランスの前外相リュイスはロッシュを支持したが、新しい外相ムスティエはイギリス寄りの男で、幕府の力は弱いというイギリスの見方に関心を寄せている。だから借款を認めない」
↑ムスティエはイギリスが幕府を倒す事を知ってるな。

 

忠順は向山にパリでの滞在費は全てクレーに相談せよと命じていた。
しかしクレーは資金は無いと断り向山はオリエンタル・バンクから三万ドルを借りる破目に陥った。
↑クレーも信用ゼロ。

 

パリで向山が資金繰りに困っている間、アメリカに渡った幕府海軍の小野友五郎は予期以上の効果。
3/28,小野らは国務長官スーワードを公式訪問し、4/1にはホワイトハウスアメリカ合衆国第十七代大統領アンドリュー・ジョンソン夫妻に謁見。
ジョンソン大統領は日本海軍の強化に全面的に協力する事を約束。
ジョンキンス準将にこの問題の担当を命じた。
小野は早速アナポリス海軍兵学校に行き、校長のポーター海軍中将と購入艦について意見交換。
装鉄艦「ストーンウォール」を候補に選んだ。
ストーンウォールはワシントンのネイビーヤードにあると言うのでジェンキンス准将の案内でワシントンに戻りネイビーヤードへ。
北軍はストーンウォールに苦しめられ何隻もの軍艦を沈められた。排水量3158トン、1200馬力の機関です。どんな荒天もびくともしない」
ジョンキンスの説明も要を得ており、値段も回送費も含めて60万ドル。
小野はこれを購入する事に決めた。
更に16連発の元込めライフル銃300挺、スペンサー銃1000挺、11インチダールグレン大砲、科学技術書二万ドルを買い求め、6/5,小野はサンフランシスコから日本へ向け出航。
5/7に郵船ファーズ号で外国奉行箱館奉行の小出大和守一行が帰国。
小出はベルギープロシアポーランドを経て12/12のロシアの首都ペテルブルグに到着。
ロシア皇帝アレクサンドル二世との謁見があってロシア政府アジア局長ストレモウホフと領土の交渉を開始。
ストレモウホフ「カラフトはロシアの領土である。カラフトの扮装はアイヌを唆し不当に領土を侵略した日本に原因がある。ストレモウホフはそう言い続けました」
小出は「カラフト南部は日本固有の領土である。北緯四十八度で国境を引きたい」と反論。
ストレモウホフ「そのような話は問題外だ。ウルップ島と近隣の島は日本に譲って良い」
小出「なんだって。ウルップ、エトロフ、歯舞は元々日本の領土ではないか!」
都合9回の交渉とも平行線をたどり交渉が決裂した事を認めさせるのが精一杯でした、と報告。
忠順「ご苦労であった。ロシアの言う事を認めないと言ってきただけでも成果があった」
ロシアはカラフトの兵力を増強。
アニワ湾のトーフツ湖畔に三百人の兵が駐屯するサハリン最大の基地「ムラヴィヨフ哨所」を造り圧倒的な武力で日本側と対峙。
仙台、庄内、秋田の三藩は物入りの高騰を理由に次々と越冬を拒否。
北方警備のあり方が問われていた。

↑フランスは協力的な人もいればそうで無い人も居る、と。

メモメモ。

今日はここまで。

 

12時に昨夜以来の食事。

午後も読書と調べ物。

16時から夕食作り。

サラダ、ナスのべったら漬、トマトスープ、長男のお弁当のおかず、ウォッカ梅酒ロック。

ブログ編集中にメインのミートローフが焼き上がった。

そして、昨日の藍建ての計測。

品温28度。pH10台。気温23度。

かき混ぜた後はカラカラカラと音をさせて泡がぶくぶく。

めっちゃ、生きてるよー、頑張ってるよーアピール。

今日もくせーくせー煩い夫が自室に籠もってから藍建てチェックをする予定。

18時半に長男が来てから皆で夕食を食べる事に。

 

歩数計は7104。

充実した一日だった。