2025/9/26金曜日
4時45分に起床し5時15分に畑へ。

液肥を施肥してから6時15分に帰路に。
帰宅後シャワーと洗濯。
合間にベランダガーデニングの水やりと藍建て。

品温27度。 pH10台。気温24度。
測定後、撹拌。

すると、いつものようにカラカラカラと音がして、泡がぷくぷく出て来た。

今日は布巾を試し染めした。
うっすら青くなった。
大満足。
やる事やったら読書と調べ物。
昨日に引き続き星亮一著「小栗上野介」
小栗家養子の又一も勉強に励んだ結果、フランス語の日常会話が出来るようになりロッシュのお供で大坂に行く事に。
妻の親戚で養女の鉞子も14歳に。
2人は許嫁。
又一は仏語伝習所と課程を夏頃に終え陸軍所で歩兵訓練を受ける予定。
上州権田村から数人の若者を呼んで共に学ばせる。
又一が半月で大坂から戻ると今度は忠順が海路上京。
3/25から40日間滞在。
ロッシュの提言により慶喜が外交団と謁見し日本の統治者は幕府である事を内外に誇示する行事を開く事に。
謁見に先立ちイギリス公使パークスと内謁見を行った。
一刻半にわたる内謁見でパークスは「日本人に西欧の知識を普及させるために欧米人の教師による大学の設立」を提案。
慶喜は同意した。
宴たけなわに慶喜が立ち上がり英国女王の健康を祝して乾杯を申し出ると、パークスは「天皇ではなく、大君の健康と日本の繁栄の為に」と応えたそう。
この夜、大坂城で評議があった。
その席で忠順は坂倉からコンペニーの事を慶喜に話す機会を与えられた。
忠順「恐れながら申し上げます。従来、長崎、横浜、箱館に交易に関し、幕府が関与せず、小資本の商人に任せて参りました。これでは幕府の財政に寄与せず、西洋各国のみが利益を受ける事になります。よって、今回、兵庫開港に当たり、大坂の商人をしてコンペニーを組織せしめ、大資本をもって外国と貿易競争をせしめるものでおります」
忠順「大坂の商人は鴻池屋、加島屋、米屋、辰巳屋、平野屋、千草屋、炭屋など身元よろしきもの二十人程を選び、このコンペニーに三ヵ年を限りに百万両の金札発行を許可しこれを融通して兵庫開港の資金に充て交易を盛んにすれば三ヵ年後には税が百万両に達する事間違いござおません。これを元手に幕府が百万両の紙幣を発行すれば都合二百万両の融通をなすことになります」
↑これもDSの奴らが小栗を暗殺する理由。
奴らは通貨の発行権を独占したいから。
小笠原が「諸外国は皆、このコンペニーでやっております」と言い、慶喜が「うむ」と言ったので忠順は間髪を入れずに「その利益で軍艦を整え、ガス燈、信書館(郵便制度)更には蒸気車の施設を進めまする」と滔々と述べた。
「そのことはそちに任す」慶喜から改めて信任が出て忠順もほっと胸をなで下ろした。
27日にロッシュが登城。
フランス皇帝からの信任状を提出。
「大君陛下の叡智と誠意によって幕政改革すれば日本の将来は輝かしいものがある」と讃えると慶喜が賛意を表した。
ロッシュは軍楽隊に演奏を命じ、白書院で洋食による会食を行った。
翌28日イギリス公使パークスが登城。
将軍をどう表現するかで他と大きな違いがあった。
フランス、オランダ、アメリカは慶喜を「大君陛下」と呼んだのに対しパークスは「殿下」とだけ呼び陛下とは言わなかった。
宴が終わったあともひとしきりこの事が話題に。
坂倉「パークスが大君陛下と言わなかった意味は何か」
小笠原「私も心外でござる。安芸守、このことを説明致せ」
安芸守(瀬兵衛)「恐れながらパークスは帝を陛下と呼び、将軍は殿下と使い分けたものと思われます」
それとも、既に偽物傀儡明治天皇にすり替わっていた?
この段階ではまだ、大室虎之助か?
大室虎之助が自分の愛人を皇后にしたいと駄々を捏ねたから英国帰りの箕作圭吾に交代になったとか。
イギリスは英語の話せる見た目強そうな人物に天皇を演じて欲しかった。
その為に、お父さんの孝明天皇の写真までゴリラ顔に改変。
坂倉「なんたることだ。英国政府に直ちに抗議致せっ」
今日はここまで。
12時半に昨夜以来の食事。
ハロワ帰りの夫にはラーメンを調理。
午後も読書と調べ物。
17時から夕食作り。

鮭、ししゃも、サワークリームサラダ、ご飯、もろみ汁、ウォッカ梅酒ロック+赤紫蘇ジュース。
これに残り物の餃子とゴーヤ炒めをプラス。
良く呑み良く食べた。
お皿は長男が洗ってくれた。
ありがたく、読書と調べ物をする事に。
歩数計は8015。
充実した一日だった。