arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1471日目と畑と藍建て㉑と小栗上野介㉒

2025/9/18木曜日

4時半に起床し5時過ぎに畑へ。

まーた、イモムシ🐛

韮にも引っ付いてた。

この人達ホントに韮を食べるの?

イモムシ展示会場やないかー。

水遣りを終えたら6時20分に帰路に。

帰宅後シャワーと洗濯。

そして、藍建てチェック。

品温30度。pH10台。画像には薄い緑に映り込むが、実際は藍色。

念の為、pH13の灰汁を500ml追加。

しかーし、リトマス紙が切れた。

ネットで注文したが到着するまでpH試験はお預け。

ただ、藍ちゃんから泡がプクプク浮いてくるので、活動中である事は確か。

 

 

9時半に買い物へ。

10時半に帰宅後、読書と調べ物。

 

昨日に引き続き星亮一著「小栗上野介

 


ヴェルニーはフランスの超名門、エコール・ポリテクニックを最優秀な成績で卒業した技術者で、シナのニンポウの製鉄所建設を任された。
忠順はヴェルニーと横須賀港を具に視察。三ヶ保岬の南を最適地に選んだ。
これに合わせ日仏両国の建設委員も決定。
日本側は老中首座格の水野和泉守を長に勘定奉行軍艦奉行、目付で構成。
フランス側はロッシュとヴェルニーが入った。
そして、船廠起立の端緒、工廠設立の方法、船廠事務、仏人組織、邦官組織、仏国品購入概略、内国品購入概略、船廠起立結果の八節から成る「横須賀製鉄所起立原案」を纏め、直ちに建設に着手する事を決めた。
初年度の工事は建設地の山地伐取、海岸埋立て、従業員宿舎の建設など。

フランス人の雇入れ及び機械の買付けは柴田剛中が10月に渡仏して決める事に。
薩摩、土佐、越前など雄藩から激しい批判が。
イギリス公使パークスもフランスの生糸独占に猛烈に反対。
またしても忠順罷免の声が上がった。
「薩摩や土佐は幕府が強くなる事を恐れておる。奴らにやいのやいの言われるので一橋どのや春嶽どのは小栗が勝手にやった事だと逃げている。上野介、こらえてくれ」と水野が宥める。
瀬兵衛「お前に辞めて貰いたいと老中どもが言っている。薩摩などの批判を躱すためだ」
薩摩などの批判を躱すためだ。
薩摩などの批判を躱すためだ。
薩摩などの批判を躱すためだ。
瀬兵衛「三月程辞めていてくれと言っている。そうすれば勘定奉行に戻すそうだ」
忠順「こんな幕府は長くないぞ。この製鉄所が完成する頃は、もう幕府は無いな。そっくり熨斗を付けて新しい持ち主に渡すか、土蔵付き売り家なら栄誉を残せるというものさ」
↑ここで有名な「土蔵付き売り家」のセリフを゙言ったのな。

 

忠順と時期を同じくして外国奉行を外された浅野美作守が何かと言っては忠順の屋敷に顔を出した。
↑広島安芸藩の浅野氏とは無関係。

 

この間隙を゙縫って長州は軍備を拡大。

瀬兵衛によると、グラバーから小銃7000挺を購入。

足軽、中間、農、商皆動員し武備を固めている。
忠順はここのところ立て続けに横浜に行き瀬兵衛と政局を話し合っている。

ここ横浜にはイギリスのジャーディン・マセソン商会、デント商会、アメリカのウォルシュ・ホール商会などが店を構え日本の生糸や茶を世界に輸出。
天下の豪商三井も横浜に店を出し外国人を相手に絹織物や縮緬を扱い、甲州屋、野沢屋など新興商人も店を大きくしている。
横須賀製鉄所や陸軍の装備の一新などこれからどんどん金が掛かる。
財源は生糸が頼り。
商社の設立も含め商人との結び付きが一層大事になる。
それなのに、幕府の台所は火の車。
文久二年の将軍家茂の上洛費は2回で金1007万6100余両、銀6800貫、長州征伐費315万7000両、勝が買い漁った軍艦が、115万ドル、生麦事件の賠償金44万ドル、馬関戦争の賠償金300万ドル、和宮の降嫁に伴う費用約百万両。
数え上げたらきりがない。
そのやりくりを忠順がやってきた。
上海に千歳丸を出してシナとの貿易を検討させたり、外国商品に対する関税や幕府公認の運用なども忠順の独壇場。
瀬兵衛と連れ立って街を歩くと、生麦事件や長州の攘夷実行などで外国人部隊の数も増え、山手には英仏軍の兵舎が増設されイギリスは数千人規模の陸軍部隊を駐留させている。
横浜居留地外人部隊に守られており、上海のような租界になりつつある。
これも日本にまともな政治と軍事力がないからである。
アメリカの共和政治を見て以来、幕府がもう駄目と言うのは百も承知。
そこは勝麟太郎も一緒。
が、勝は薩摩の西郷や土佐の坂本と付き合いながら、そのように言っているが、具体的に日本をどう変えるかととなると何も無い。
フリーメイソンにやらされて、言わされているだけだからね。

勝とその仲間達はノープラン。

 

ロシアに狙われている蝦夷地をどう守るか。
内乱を起こさせて金儲けを企んでいるイギリスの商人どもをどうするのか、大局的な事になると忠順しか居ない。
↑だから、奴らの手先に斬殺された。

哀悼。

 

もう一つの問題は京都。
慶喜は朝廷の虜。
一体どちらの立場なのか。
旗色甚だ不明。
二心殿と言われるゆえんた。
慶喜公は小笠原が兵を上京させた時、いち早く逃げた。
↑梯子を外した。


朝廷に対しても攘夷不可能とはっきり言わない。
都合が悪くなると将軍後見職を辞するが、すぐ復帰。
遂には禁裏守衛総督なる役職に就任した。

更に、会津の容保と京都所司代桑名藩主松平越中守定敬は実の兄弟で、加えて、水戸の出。
水戸藩主は攘夷で、何かにつけ都の肩を持つ。一橋、会津、桑名は同じ血筋。
水戸の尊王攘夷が幕府の足を引っ張り日本の政治を混乱させてきた。
瀬兵衛「会津を変えなきゃいかんな」
忠順「ロシア、ヨーロッパ、どこでも良い。会津の連中を海外に出してやれ。そうすれば変わる」
会津の武力は頼りになる。
が、刀や槍じゃ駄目だ。

頭を切り替えないと長州にやられる。
長州は文久三年五月に航海術修得のため伊藤俊輔井上聞多。遠藤謹助、野村弥吉、山尾庸三の5人をロンドンに留学させている。
高杉晋作の狂に彼らの智が加わっている。

今日はここまで。

 

12時に昨夜以来の食事。

納豆ご飯と味噌汁と残り物でお腹を満たした。

午後も読書と調べ物。

17時から夕食作り。

冬瓜と油揚げの炒め物、冬瓜と油揚げの煮物、もずくサラダ、長男のお弁当のおかずの卵焼きと茄子、エリンギ、長芋の豚巻き、ご飯、ウォッカ梅酒ロック+赤紫蘇ジュース。

今日も暑かった。

良く呑み良く食べた。

後片付けを゙済ませたら営業終了。

読書と調べ物をする事に。

 

歩数計は10007。

充実した一日だった。