arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1465日目と畑と藍建て⑮と小栗上野介⑯

2025/9/12金曜日

4時半に起床。

5時半に畑へ。

緑色の液体が多く撒かれている所を゙中心に液肥を施肥。

6時に帰路に。

帰宅後、シャワーと洗濯。

8時半に買い物へ。

9時45分に帰宅後、食材を収納し終えたら、読書と調べ物。

昨日に引続き星亮一著「小栗上野介

 


アイヌがロシアを選べばカラフトはロシアの領域に。
日本を選べば日本。
アイヌ逃亡の背景には日本人商人の過酷な扱いがあった、
瀬兵衛は雪解けと共に箱館に戻り、秋には江戸に帰る。
その前に千島の島々も巡視せねばならない。
カラフトから箱館に戻った瀬兵衛は忠順の手紙に目を通している。
幕府が帝に押し切られ尊王攘夷を約束させられたと言う。
馬鹿げた話だが、箱館にとっても死活問題。
ロシアはこれ幸いと箱館を軍艦で攻めカラフトから陸軍が宗谷に上陸する可能性がある。
日本が国際的に通用しない理由で通商条約を破棄し港を閉ざすというのだから弁明のしようがない。
「ロシアの軍艦の出入りが多い」
諸術調所教授役の武田斐三郎も気になる様子。
斐三郎は五稜郭と弁天砲台の建設責任者。
日夜の突貫工事で仕上げを急いでいる。
五稜郭は対ロシアを想定した箱館の砦。

↑ロシアを想定した砦なのに薩長がぶっ壊した。


瀬兵衛も亀田村の五稜郭に足を運んだ。
完成間近である。
一日四千人の人夫が動員され石を積み土砂を盛り、黒光りのする大砲も運び込まれている。
「今になって見ると、些か海に近すぎました」
最近の軍艦は射程距離がゆうに一里は越えるアームストロング砲を備え始めている。
斐三郎は図面を広げ「弁天砲台が鍵になります」と説明。
箱館の港にも砲台を築き敵艦の侵入を阻止する目論見だ。
五稜郭は従来の城郭と異なる星形の洋式要塞である。
曲輪の周囲は1900間、そこに高さ21尺の土塁。
深さ18尺の壕を巡らせ5カ所に独立した保塁を設けてある。
天守閣が無いので敵が狙い難い構造である。
ここに備えるのは、ロシア艦隊の旗艦ディアナ号搭載の大砲。
下田で難波し、救出に当たった戸田村の人々に寄贈して行った。
斐三郎「大砲はイギリス海軍が最も進んでおります。1日も早く購入して貰いたいのですが、破約攘夷では如何ともし難い」
瀬兵衛「もしロシアの軍艦が攻めて来たらどうなる?」
斐三郎「弁天砲台もあるので暫くはもつでしょう」
瀬兵衛「弁天砲台の能力は 」
斐三郎「60斤2座、24斤砲13座を備えます。こちらは強力てす。上は石の天蓋で覆い、15の砲眼から打ち出す構造です」
瀬兵衛「この二つが出来て、軍艦が浮かべばロシアも簡単には攻めて来れまい」
五稜郭が海からの砲撃に弱い問題は箱館戦争で現実に。
榎本軍がここに立て籠もり薩長軍と戦うが、忠順がアメリカから購入した戦艦ストーンウォール・ジャクソン号搭載のアームストロング砲によって連日連夜砲弾を撃ち込まれ、遂に降伏。
これを防ぐには軍艦が必要だった。
榎本軍は旗艦開陽を失い、回天も座礁

弁天砲台も全ての砲弾を撃ち尽くし五稜郭は裸のまま敵艦の砲撃に曝された。
後日談だが(対ロシアの)五稜郭の建設が各国の外交筋に影響をもたらしているのは明らかである。
瀬兵衛がロシア領事館に領事のゴシケヴィッチを訪ねると「セイベイ、カラフトはロシアの領土だ。何故、日本はカラフトを自国のものと主張するのか。あの極寒の地に日本人は住めない」
とまくし立ててきた。
更に続けて「箱館を閉ざすこと、絶対に認めない。我が沿海州軍務知事カザケヴィチ閣下は極めておかんむりだ。ロシアの権益を損なう事は断じて許さない。戦いも辞さない」
瀬兵衛「それは脅しですか」
ゴシケヴィッチ「脅しではない。外交は力と力のぶつかり合いだ。長崎、横浜は兎も角、箱館は譲れない。千島も我がロシアの領土であることを忘れないで欲しい」
以前にも増してゴシケヴィッチは強硬。
従来、イギリスとフランスがロシアを牽制し日本に味方してくれたが帝が破約攘夷と言ってから、各国が一丸となって日本を攻撃。
ゴシケ「セイベイ、五稜郭はもう役に立たない。何故なら我が国の軍艦ははるか沖合から五稜郭を砲撃することが出来る」
ゴシケヴィッチは五稜郭にケチをつけることを忘れない。
瀬兵衛は彼に会うといつも腹が立った。
これに比べ、フランスのメルメ・カションは紳士だった。
カションは文政十一年(1828)フランスとスイスの国境に近いジュラ県に生まれ、パリ外国宣教会神学科に学び、司祭となった。
中国で日本語を学び訪日。
瀬兵衛はカションとの会話を『鉛筆紀聞』と題して纏めている。
それは次のような一問一答の形式になっていた。

 

問、貴国の郡県はどうなっているか。
答、わが国は5部96州に分かれている。1州毎に5郡がある。師たる人はパリにおり、皇帝が選んで任命する。軍備は陸軍百万、水軍二十万である。わが国も嘗ては日本と同じように諸侯強弱大小があり、相争って合戦止むことが無かった。ルイ十六世の時代に諸侯を゙減じ郡県制にした。
その後ナポレオンが出て96州に分けた。

問、民は士農工商に分かれているのか。
答、それは日本と同じだが聡明特達の者は、農工商の子でも士になれる。


問、士官は世禄か。
答、世禄ではない。但し父が抜群の業績であれば死後、子供が恩典を受けることがある。一般には高位高官といえども死すれば禄は無い。


問、農祖はどのような基準で決めるか。
答、土地の広狭、厚薄に応じて決める。軍事費がかさむ時は別途徴収する。


問、商人からどのようにして税を取るか。
答、昔は無税だったが20年前から税をとるようになった。家ごとに窓を数えて税を出させている。家の間口が十間であれば窓は5と決まっており、それに応じて課税する。


問、産物を多く輸出すると、物価が追々騰貴し、細民が困窮するのではないか。
答、わが国は産物が多く、金銀貨幣の少ない国である。輸出を盛んにしないと産物がだぶつき物価は下がる。民間が争って産物を開き輸出することが大事て、それが経済の大基本である。この為、海に火船を走らせ陸に汽車を通し、運輸の便を良くし、速やかに輸出できるようにしている。

今日はここまで。

 

12時に昨夜以来の食事。

夫には蕎麦を調理。

自分は納豆ご飯と味噌汁メインでお腹を満たした。

午後も読書と調べ物。

17時に藍建てチェック。

品温31度。pH10台。気温27度。

また、泡がポコポコいっている。

今日は藍染の試し染めを予定したが朝から雨が降り、生憎の曇り空。

延期する事にした。

 

引続き夕食作り。

鶏むね肉でチーズダッカルビ

ホットプレートで20分蒸し焼き。

18時40分から夕食。

ウォッカ梅酒ロック+赤紫蘇ジュースと共に美味しく頂いた。

後片付けを済ませたら営業終了。

読書と調べ物の続きをする事に。

 

歩数計は7686。

充実した1日だった。