arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1462日目と畑と藍建て⑫と小栗上野介⑬

2025/9/9火曜日

4時に起床し畑に行く準備。

5時に畑へ。

液肥を振り撒いたら5:45に帰路に。

6時に帰宅後シャワーと洗濯。

ベランダガーデニングの水遣りも済ませたら藍建てチェック。

品温32度。pH11台。気温26度。

見た目は特に変わらない。

けれど、日々気温は下落傾向なのに品温は30度以上て、麹菌ちゃん達を彷彿させる。

毎朝の観察は続ける事に。

やる事やったら8時半から読書と調べ物。

昨日に引き続き星亮一著「小栗上野介

 

ド・クルベール「オグリ、いまや姑息な手段を取る時は過ぎた。もし幕府が大君の位を失う危機にあるとすれば、それを救うのは、ちっぽけな手段では無理だ。大君の祖先、家康公が行ったと同じようなエネルギーによってしか救うことが出来ない。権現様家康公が二百五十年も続く王朝を作ることが出来たのは精力的に敵と戦ったからではないのか。剣と外交の力によって国家は成り立つのだ」
ド・クルベールは続けた。傍らには大男の海軍提督ジョーレスがいた。
ジョーレス「幕府の要請があれば、陸戦隊を上陸させ、戦いに加わることもできる。貴下も敵に対して武装せよ」
小栗「いずれ時が来れば」
ド・クルベール「オグリ、それがいけない。いずれなどと悠長なことをいっている場合ではない。君もいつか、そのことが分かる時がある」
ド・クルベールは執拗だった。
↑戦争やれって煽りまくってんな。

 

5/20, 小笠原壱岐守は江戸町奉行信濃守を伴い、軍艦操練所の鯉魚門に搭乗して横浜に向かった。
兵は陸路、横浜へ。
忠順は歩兵奉行就任と共に歩兵、騎兵、砲兵三兵による親衛常備軍の編成を進め、更に小十人組をもって親衛狙撃隊を編成。
晴れの門出である。
見事な隊列を組んで京に向かう騎兵部隊の勇姿に忠順も満足。
士官達は洋服に身を包み腰にピストルを差している。
慶喜が先鋒を切ることになったせいか、水戸もとりたてて騒がない。それが逆に不思議である。
23日、外国方にいる日高から連絡が。
日高「水戸の連中は慶喜は病気だと噂している」
慶喜は朝陽丸で上京すると言い、準備をさせていたが、案の定、翌24日になってコロリと態度を変えた。
「勝手次第御出船成らされ様」と書付けを小笠原のもとに届け、品川の海に姿を現さなかった。
日高の語るところによれば、慶喜は初めから上京の意志はなく、腹心の水戸藩士梅沢孫太郎に「小笠原公、威力をもって公卿方を取締り候積りにて、歩兵千人ほどすでに道中にあり」と書簡を託し、関白鷹司輔熈に届けさせたと言う。
「一橋公が小笠原公を裏切った事になる。これでは事は成就すまい」
↑成る程、こういう経緯で慶喜が梯子を外したから小笠原長行が独断で船で家茂を迎えに行った事になったのか。
いきなり梯子を外したの、酷いね。

 

日高の暗澹たる顔があった。
小笠原は単独で上京する。
小笠原は五月二十九日に大坂に着き、二隻のイギリス船は紀州良浜で兵を下ろし、兵達はそこで幕府の船に乗り替え大坂に集結。
文久三年六月一日、小笠原は千五百の兵は率いて京都に向かった。
都には長州藩兵二千六百程。
しかし、装備は古い。こちらは新式銃とピストルで武装した幕府陸軍
会津藩兵千余人を加えれば長州を上回る。
小笠原は辺りを睥睨して馬を進めた。
在京の重臣達はこの軍事行動に接して驚愕。
枚方まで行った所で若年寄稲葉兵部少輔正巳が馬を飛ばして来た。
「朝廷に火を掛け、その混乱に紛れ、帝を彦根に移されるとはまことでございますか」
小笠原は「詳しく言う訳には参らぬ」
小笠原は尚も兵を進め淀に至ると今度は使番松平甲太郎が来て「思い留まるよう将軍様が申しております」
そこで、目付の土屋正直と向山隼人正を上京させると二人は将軍が江戸に帰ることになったと戻って来た。
小笠原の挙兵に恐れを成して三条実美らがいち早く二条城に滞在する将軍家茂の下向を決めた。
そんな事で誤魔化されはしない。
「破約撤回を求め、都に入るっ」
小笠原が号令を掛けたところに在京の老中水野和泉守が来た。
「小笠原どの、将軍様が待てと仰せだ」
「何を言われるか。この期を逃して尊攘論を一掃することは出来ぬ」
小笠原が論破し再び全軍に出立の命を下そうとすると使番が将軍の親書を齎した。
「何卒今一応の沙汰及び候までは見合わせ居り申すべし」
部隊の幹部は激昂。
直ちに上京を促すが、遂には坂倉までもが来て説得に当たる始末。
この間、将軍家茂に発京の令、小笠原に老中罷免の朝令が相次いで下り、小笠原のクーデター計画は失敗した。
この現状、攘夷撤回と、京に蔓延る尊攘論者軍団(薩長)を一掃する事は大事。

慶喜と共に老中首座坂倉の腰くだけも誤算。
松平容保も反対。
小笠原を支援しなかった。
これに加わった若年寄酒井飛騨守、町奉行井上信濃守、神奈川奉行浅野美作守らも罷免された。

↑これは、孝明天皇のブレーンが駄目やろ。

帝は軽々しく行幸出来ないのだから、自由に外出出来る側近や取り巻きが世界の情勢を教えないと。

まさか、ブレーンも世界の情勢知らなかった?

帝にジョーイ、ジョーイ煽ってるようじゃ、朝廷もダメダメやん。

しっかりしてくれよ。

お陰で欧米に侵略されて植民地になって傀儡政権に搾取されまくってるやん。

税金と言う名の罰金地獄。

何やっても罰金。

今日はここまで。

 

 

12時に昨夜以来の食事。

納豆ご飯と味噌汁メインでお腹を゙満たした。

午後も読書と調べ物。

16時から夕食作り。

冬瓜の炒め物、鶏むねぎ塩レモン、ぶり大根、卵焼き、シャインマスカット、ローストナッツ、ウォッカ梅酒ロック。

シャインマスカットは長女からの差し入れ。

19時に夕食を食べる事に。

 

歩数計は4812。

充実した1日だった。