arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1457日目と畑と藍建て⑦と小栗上野介⑧

2025/9/4木曜日 

4時15分に起床し畑に行く準備。

4時40分に畑へ。

一通り水やり。

 

水分量としては少ないが米の研ぎ汁入りなので栄養はたっぷり。

今日降る予定の土砂降りの雨に紛れての悪液に耐えて欲しいものだ。

帰宅後シャワーと洗濯。

合間に藍建てチェック。

品温31.9度。

リトマス紙は紫色だからpH11台。

見た目の変化は無いけれど、室温は26.8度で藍ちゃん30度越えだから発酵中なんだと予想。

そして、ベランダガーデニングの水遣りとおやつのクッキー作り。

9時過ぎに買い物へ。

丁度出る時雨が降ってきた。

が、カッパを着ているので大丈夫。

10時半に帰宅後、食材を収納。

11時から読書と調べ物。

昨日に引き続き星亮一著「小栗上野介

 

政局がとんでもない方向に曲がり始めたのは文久二年(1862年)9月。
9/19の評議で春嶽は「これまでの条約は一時しのぎで結んだまでのこと、国家永遠の計にあらず。勅許をへずして調印したことは誤りであり、この際は断然、条約を破却すべきである」と破約攘夷を言い始めた。

↑確か春嶽ブレーンの横井小楠が主張してた破約攘夷説。


将軍後見職一橋慶喜は黙ったまま。
三条実美姉小路公知らが天皇の勅使として下向し、幕府に攘夷の勅旨を押し付けるという動きに対し、春嶽はあっさり兜を脱いだ。
忠順らはアメリカで条約を結び、今、ヨーロッパに竹内下野守を派遣している。
板倉伊賀守は「なにが政事総裁職だ。とんだ見込み違いだ」と評議後、吐き捨てるように言った。
開国か、攘夷かー。

今頃こんな事で騒いでいるのが、そもそもおかしい。
日本は開国を世界に宣言し、列強と条約を結んだ。
幕府がそれを破棄すると言えば、最早日本の信義が失われ、ロシアが攻めて来ようが、イギリスが何処かの島を乗っ取ろうが誰も助けはしない。
翌日の評議で忠順は「政治を司るのは幕府である。にもかかわらず京都からあれこれと干渉され、それについて諸大名が申し立てる事も多い。これはもってのほかである。もし、条約破棄となれば、これは幕府の失態にほかならない。毅然として権威を立てずば、幕府などなきに等しいことになる」と強く主張。
松平容保「都の意向を拒めば尊王大義にもとる。外夷の屈辱を受ければ皇国の威厳を損なうことになる。大義にもとり、国威を損なって幕府の権威がどこに立つのか」
↑いやいや。都の意向に従えば条約を破棄する事になり、結果、列強に大砲をぶっ放され、挙句の果てに帝が中国人のようにイギリス人に足蹴にされる事の方が屈辱的で皇国の威厳を失う事になるのだが。


評議後、小栗は板倉や小笠原に「あのようなことを認めるわけには参りませぬぞ」
大目付岡部駿河守に「このままでは列強と戦争になる」と怒りをぶつけた。
26日の評議では坂倉が反論。
「攘夷など到底できぬこと」
岡部も「破約に諸外国が怒り戦になれば、最早我が国はシナの二の舞いになる事は必定」と声を荒げた。

シナの二の舞
「イギリス兵が街の至る所にいて、群がるシナ人を鉄棒で殴り(え!?)あたかも犬馬を扱うように蹴散らし追い払う(え!?)これは想像を絶する悲しむべき光景であった。
イギリス兵がいくら追ってもシナ人は日本人の後ろを追いかけ涙を流す者さえいた。聞けば日本人の服装にかつての自分達の姿を思い浮かべ懐かしんでいるという。
異国に占領されたシナ人の悲しみが伝わる。
日本の知識人はシナを先進国として崇めシナの学問を学ぶ事で己の教養を高めて来た。
しかし、目の前に見るシナ人は、イギリス兵に足蹴にされまるで虫けらの如く扱われている。
「シナ人は英人に役せらるること犬馬の如く。汚穢労艱の事はシナ人、全てこれを司る。その他の産にして他に得せらるることかくの如し。傍観切歯に耐えず」と随行員の1人、玉虫は記している。
↑諸外国が日本を侵略し支配すると日本人がこういう目に遭うて事。

 

忠順は一橋慶喜へ窮状を訴えた。
すると、慶喜は30日の評議でこう言った。
「世界万国が天地の公道に基きて互いに友好を通ずる今日、我が国のみが独り鎖国の旧慣を守るべきにもあらず」
「諸外国と結んだ条約は夷狄を恐れるあまり勅許を得ずして結んだ事は事実だが、異国人にそのことは通用せぬ。国と国とが交わしたものであり、破約など承知するはずもない。もし先端が開かれた場合、非は我が国にある」
坂倉も小笠原も驚きの眼差しで慶喜を見つめ、神君家康の再来かと目を見開いた。
忠順のところに頻繁に会津藩の公用人が姿を見せた。
特に外島機兵衛、広沢富次郎、秋月悌次郎江戸藩邸詰めの三人。
外島は年長者で江戸の留守居役、勘定方として会津藩の財政を仕切る。
外島は言う。
外島「(京に於ては)江戸では予測もつかぬ無類の徒の横行にございます。藩の周旋方という名目で浪人どもがごろごろたむろし宮家に出入り。時事を講じておりまする。初対面の人と会う時は余はかくかくの脱藩人であるとか何年以前、幽閉されていた事があるなどと公言。末世のような騒ぎにございます」
小栗「何故そうなるのか」
外島「公家どもの暮らし向きは貧しく、世の中に不満を持っております。それに不平の輩が結び付き日夜、乱暴の限りを尽くしております」
小栗「つまり、憂国の志士を気取っているということか」
外島「その通りにございます。鎖国といえば正義を指し、開国を説く者は俗論と決めつけ、佐幕と言えば卑しいとけなす。荒唐無稽の空理空論にございます」
小栗「一度、アメリカを見せれば、そのような馬鹿げた事は吹き飛んでしまうのだが」
外島「そうでございましょうか。正義と称し、金品を巻き上げる輩も多く商人は不安におびえております」
小栗「由々しきことだ」

↑一度締結した国と国との条約を一方の国の都合で破棄するとか、宣戦布告に等しい。

そんな事も知らずに破約攘夷とか言う奴も言う奴よ。

元寇の時の北条時宗も相当苛ついただろうね。

まだ20代の若さで執権職で、元軍とどうやって戦おうかて悩んでる最中に同じ北条一族が内紛起こすわけよ。

お前ら、モンゴル軍の恐ろしさ知らないやろ💢

アジアとヨーロッパで数百万人殺戮してるんやで。

http://fusigi.jp/works/works_8_a.html

元寇の時も時宗は一応、朝廷にお伺いたてたよ。

だけど、何ヶ月経っても返事来なくて元軍来ちゃったわけよ。

で、九州の御家人達が中心となりモンゴル軍を撃退。

そん時、武士は思ったの。

朝廷は外敵来襲にやくたた、て。

色んな本読んでると、幕末の時も同じやん。

外敵来襲の時に内紛、内乱起こしてる場合やない。

孝明天皇は途中で目覚めた。

だから崩御された。

今日はここまで。

 

12時に昨夜以来の食事。

納豆ご飯と味噌汁メインでお腹を満たした。

午後も読書と調べ物。

17時から夕食作り。

醪汁、ご飯、鮭、サラダ、モロキュー、長男のお弁当のおかず、ローストナッツ、ウォッカ梅酒ロック。

良く呑み良く食べた。

お皿は長男が洗ってくれた。

読書と調べ物の続きをする事に。

 

歩数計は6866。

充実した1日だった。