arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1456日目と畑と藍建て⑥と小栗上野介⑦

2025/9/3水曜日

4時15分に起床し畑に行く準備。

メモによると4:35に便意を催しトイレへ。

4:36に排便。

わいは基本一分未満で出るんよ。

だから20分以上掛かるのは嫌がらせ。

スカトロ好きの工作員による。

この人達、作戦会議好きだからもしかして支部長からの指示かもしれんが(笑)

4時45分に畑へ。

今日はこのあとやる事があるので水遣りのみ。

6時に帰宅後、シャワーと洗濯。

合間にベランダガーデニングと藍建てチェック。

品温32度。

pHはリトマス紙が紫色なので11以上。

温度計は引き上げると27度。

ということは藍ちゃんは生存中、且つ、発酵中、と認識。

経過観察を続行する事に。

 

そして、おつまみ作り。

夫が友人宅で昼呑みをする、と言うのでおつまみセットを作った。

 

8時半から読書と調べ物。

 


文久二年(1862)閏八月ー。
江戸城中で将軍家茂臨席のもと忠順らが立案した大海軍構想を軍艦奉行木村摂津守が発表した。
政事総裁職松平春嶽、老中板倉伊賀守、若年寄小笠原壱岐守を初め参政、大目付、目付、講武所奉行、勘定奉行らキラ星のごとく並び、皆、固唾を呑んで木村の話に聞き入った。
勝はこの直前、安房守を名乗り、軍艦奉行並に昇進。
旗本大身としてこの場に出席。

 

木村が一通り説明すると、松平春嶽が口を開いた。
「本日は蜂須賀斉裕に進行を命ず。活発な意見が出るように致せ」
蜂須賀が一礼した。
阿波徳島二十五万石の藩主で新たに設けられた海陸軍総裁である。
これも明らかな門閥人事。
蜂須賀は十一代将軍家斉の子。

側妾四十人から生ませた五十五人の子のうちの二十二番目。

周りを門閥で固める春嶽のやり方を忠順は好まない。
蜂須賀「されば、勝安房守に尋ねる。この大海軍構想、何年で実現致すと考えるか」
勝「恐れながらはっきり申し上げれば百年はかかり申そう」
↑1907年の日露戦争バルチック艦隊破ってるから実際は1907−1862で45年なのでは? 


「なに、百年とな」
座がざわついた。木村が顔色を変えた。
↑勝は態と100年言ったやろ。皆に反対させる為に。

 

蜂須賀「ならば、これは実現できぬ案という事になるか」
板倉「待て待て、これはいささか大風呂敷ではあるが、この気迫で臨まねば、とても我が国を守ることは出来ぬぞ」
↑いや、だから、1861年のポータンハン号事件で何も出来なかった日本は1907年の日露戦争バルチック艦隊破ったから。僅か46年で世界最強海軍作ったんよ!

何処が大風呂敷やねん。
日本海軍、余りに強すぎたから第二次世界大戦でスパイを使ってミッドウェーにおびき出され壊滅させられたんよ。


春嶽「それは分かるが、摂津守、これは全て幕府の艦隊となるのか」
木村「まずは海軍は幕府で維持し、幕府の士を゙持って、取り会えずこれに従事せしめ、一日も早く着手すること、それが肝要かと存じます」
何故このような当たり前の事を聞くのか。
忠順は春嶽の心に何かあると疑った。

↑最初から潰しにかかっているとしか思えない。


蜂須賀「摂津守が申したことについて安房守はいかが考えるか」
勝「皇国の人民、貴賤をいわず有志を選抜するのでなければ、人材を得る事、困難と存じまする。この際は各大名もこれに加わり、共に尽くさねば無理にこざいます」
忠順「一言申し上げたい」
対馬、小笠原、蝦夷地、いつ奪われるやも知れぬ危険な状況にあること、先刻ご承知の通りでございます。イギリスからは法外な賠償金も求められた。いま早急に、海軍の強化に取り組まずして、何を成さんと致すのか。誠に合点がまいりませぬ」
春嶽「上野介の言う事、いちいちもっともである。そのことは海軍奉行のもとで、更に詰めてもらいたい。それでよろしいな」
春嶽が議論を打ち切り散会となった。
この夜、忠順の屋敷は荒れに荒れた。
軍艦方の鈴木録之助や近藤熊吉らは「春嶽は世界の大勢を分かり申さぬ」と毒づき、「どうも勝が画策したようだ」と小野友五郎も怒りを顕に。
忠順も板倉から勝が春嶽に事前に会い、あの案は「百年河清を待つようなもので、まるで話にならない」と貶した事を聞いた。
↑だーかーらー、45年で世界一の艦隊になったっちゅーに。

 

春嶽が何故、勝の意見を入れたか、それが疑問。
木村も腹の虫が治まらない。
飲む程に春嶽への批判が相次いだ。
春嶽は一橋を担いで井伊大老に嫌われ、五年間の幽居を経て政界に復帰。
苦労のせいか髪が薄く年より老けて見える。
本名は慶永。
1年程前から春嶽の雅号を使っている。
生家は田安家。

家格は尾張紀伊、水戸に次ぐ名門。
天保九年(1836)11歳で越前家の養子となり福井の十六代藩主に就任。
この時数え35歳。
忠順より一つ若い。
論客横井小楠を賓師に招き、重要事項の決断は小楠に任せている。
忠順は「春嶽のハラが読めぬ」と嘆いた。
春嶽はその後ものらりくらりと躱すばかりで、何処が政事総裁職なのか忠順には理解しかねた。
大海軍構想はこれで頓挫。

↑この時に木村摂津守の案に従い海軍の増強を進めていれば戊辰戦争で西軍に負けなかったかもよ。

勝ってなんなん。

百年とか。

マイナス志向過ぎやろ。

今日はここまで。

 

 

10時半に夫を友人宅へ送迎。

11時半に帰宅後、読書と調べ物の続き。

12時半に昨夜以来の食事。

13時から再び読書と調べ物。

16時に帰るコール。

17時に帰宅後、再び読書と調べ物。

18時から夕食の用意。

サワークリームサラダ、枝豆、大根の梅酢漬け、昨日の煮物、おつまみセットの残り、卵焼き、ウォッカ梅酒ロック。

18時半に夕食。

よく呑みよく食べた。

お皿は長男が洗ってくれた。

ありがたく読書と調べ物の続きをする事に。

 

歩数計は4882。

充実した一日だった。