arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1445日目と畑と「きずなつけ」⑨

2025/8/23土曜日

4時半に起床し5時に畑へ。

トマトに白い斑点が。

カビ?

帰宅後調べた。

もしかして、カイガラムシ

明日もう一度よく見てみる事に?

今日は人参にアゲハの幼虫が4匹付いていた。

明日も害虫パトロールに行かないと。

水遣りをしてから6時過ぎに帰路に。

帰宅後シャワーと洗濯。

やる事やったら8時から読書と調べ物。

昨日に引き続き鈴木忠昭著「きずなつけ」

 


明治三年(1870)六月、まきと希世はじさまの雑賀源兵衛と連れ立って会津藩の移住団に加わり下北半島へと旅立った。

一家は下北の田名部に落ち着く事になったが若松では経験した事も無い難儀と闘う事に。
源兵衛は下北の食べる物にも事欠く貧しさと耐えられない程の寒さに体力も気力も衰えた。

が、敵討ちの話をする時だけは例外。
「なあ希世、父上の敵はわしが必ず取ってやる。薩長の奴らに一矢を゙報いるまでは、わしは死んでも死にきれねぇ」
部屋に籠りがちな源兵衛が心配で希世は嫌がる源兵衛を木の芽や山菜採りに誘った。
その日は体調が良かったらしく「希世、あれが会津磐梯山だ」と釜臥山を指して言った。移住者は釜臥山に会津磐梯山を重ね合わせ望郷の涙を流した。
「そうだ、じさまの言う通り、あれが会津磐梯山だ」
源兵衛の反応が無い。
居眠りをしているのか首をうなだれたまま。
「じさま、そろそろ行くべか」と肩に手を掛けるとぐらりと希世に伸し掛かる。
枯れ木が倒れるような最期であった。
雑賀源兵衛・享年六十五歳。
2人息子の忠兵衛・誠兵衛は既にこの世に居ない。
息子よりも永く生きてしまった事を生涯の恥と考えた源兵衛は孫娘の腕に抱かれ息を引き取った。
↑ぜーんぶ、薩長軍のせいな。


明治六年(1873)三月、会津藩の斗南開拓は失敗で終了。
青森県から旧斗南藩士への通達によれば何を生業としようも職業は自由。
また何処に住もうとも移住は自由。
体のいい厄介払い。
まきと希世は青森県の斗南から若松へ引き揚げる事に。
小学校へ通い始めた希世は父忠兵衛の敵討ちを巡って言い争いになり先生を怒らせてしまい、学校から爪弾きに。

その日も教室に入るのが嫌で学校の回りをぶらついていた。
↑そんな学校、無理して行かなくてええ。

 

そんな希世に黙って着いてくる少年が。

年の頃は五、六歳。丈の短い単衣に、帯の代わりにわら繩。

足元は素足。
まきはその少年を一目見るなり余りの貧しさに驚いた。
まきが急いで握り飯を用意。
「こっちへこー。何にもねぇけど入りな」
しかし、少年は入って来ない。
「こんなもんしかねぇけど、食べてけ」
少年は急に改まって直立不動の姿勢になる。
握り飯をじーっと見つめていたが走り去った。
「なんだー、マツのへそ曲がりが〜」
希世がマツと呼び捨てにした少年は松蔵と言って当時乞食のような生活を送っていた。
次の日、松蔵は再び姿を表し
「おばさん、おむすび貰いたいんだげんども」と言った。
すぐ用意して渡すと松蔵は頭を深々と下げ、走り去った。
まきが見送っていると走っていた松蔵が急に足を止めた。
木立の中から小さな女の子が現れる。
松蔵が女の子に握り飯を差し出した。
その優しい動作から兄妹と思われた。
まきはその光景の一部始終を見てから気が付いた。
兄妹は恐らく武家の生まれ。
松蔵は当然厳しい躾を受けてきた。
人様から施しを受けてはならない。

乞食のような真似は死んでもするなー。
握り飯は喉から手が出るほど欲しかった。ところが、武家育ちの見栄と意地が反射的に働いてまきの好意を拒絶。
次の日、松蔵がまきの家を訪ねたのは物乞いのつもりではない。

ー妹のためにーという名分を考えて、〜妹のためだから仕方がないーと自分に言い聞かせた上での行動ではなかったか。

そんな気がしてならない。
戦災孤児と言えば、通常、太平洋戦争の敗戦時を思い浮かべる。
ところが、会津では、その昔、会津戊辰戦争の際に親兄弟を゙失い、路頭に放り出された孤児がいた。
そんなある日、まきの前から姿を消していた松蔵が久し振りに戸口に立っていた。
松蔵はまきと目が合うと力なく俯いてしまう。
「分かってる。いいんだってば」
まきは手早く握り飯を用意。
2個。
松蔵はそれを左右の手で受け取ると深々と頭を下げた。
その時まきは松蔵の肩がぶるぶると震えている事に気が付く。
ー男は泣かないー、ー泣く奴は負け犬だー男の子は誰もがそう教えられて育った。
松蔵は泣くまいと堪えて、暫くの間、下を向いていたが、漸く顔を上げる。
確かに泣き顔では無い。

しかし、両の目から溢れ出るものを抑え切れないでいる。
それが次から次へと止めどもなく流れ落ちて、松蔵の頬を濡らした。
松蔵には最早、見栄や意地を張る元気すら残されていない。
↑まだ6歳や。


この時、まきは松蔵らの窮状から目を背けてはならないと、その救済を思い立った。
まき達は会津藩の崩壊で朝敵の汚名を着せられ、身分も財産も全て失っている。
人助けをしようにも皆が貧乏。
相手の面倒を見る程の余裕が無い。
共倒れの不安から逃れる為に「念仏さま」に集まる女性の助け合い運動に頼る以外、方法が無かった。
「念仏さま」には当時流行した生き神さまや新興宗教の教祖のような人物は居ない。
その代わり女性達が信仰する神仏混淆龍神が守護神となっていた。
龍神が何故「念仏さま」の守護神になったのかは定かではない。
龍神は昔から雨や水を司る神様で渇水期の雨乞いに農民から崇められてきた。
彼女達は一家の大黒柱を失い家族を守ってくれる逞しい存在に憧れがあった。
「念仏さま」が行ってきた戦没者の慰霊・供養が形式的になる中で彼女達は孤児の救済を始め会津一族の助け合い運動に熱を入れるようになる。
その過程で会津一族の結束を強化するための奇妙な儀式が生まれる事に。

その儀式は「きずなつけ」と呼ばれ秘密に扱われ外部へ漏らさない約束になっていた。

会津藩士とその家族達がどれだけ酷い目に遭ったかは知られていない。

けれど、本を読んで知ることが出来て良かった。

つまるところ、日本の主権を、尊厳を守る為に戦ってくれた人々よ。

 

 

11時半に昨夜以来の食事。

13時から次男とテニス。

こまめに給水しながら14時まで楽しんだ。

 

帰宅後、読書と調べ物。

17時から夕食作り。

ゴーヤ豚キムチ、ホッケ、サラダ、枝豆、冷奴、味噌汁、ご飯、カマンベールチーズ、ウォッカ赤紫蘇ジュース梅酒。

19時から食べる事に。

 

歩数計は11759。

充実した一日だった。