2025/8/15金曜日
5時に起床し洗濯と朝食作り、昼食の下ごしらえ。
昼食は長男宅で食べる事に。

嫁のご両親がお盆休みを利用して赤ちゃんを見に来る事に。
いつもは家に来て皆で宴会をやる。
が、今回は自分が指を負傷したので、嫁と嫁のお母さんが腕を奮ってくれる事に。
11時半に長男宅へ。
ご馳走がテーブルに並んだ。

午前中、上の孫2人を水とスポーツの公園で遊ばせてきた夫と長男と長女は早速呑み始めていた。
自分は午後、テニスをやるのでアルコールは控えた。
このあと嫁と孫達は四日市に帰省するので暫く会えない。
一緒に遊んでお別れをした。
13時過ぎにお暇。
着替えて水筒を持参しテニスへ。
14時から1時間やる予定だったが、夫が乱入。
長女と試合をやり始め自分は暇になったので、早引けする事に。
帰宅後、読書と調べ物。
今日からはこの本。

鈴木忠昭著「きずなつけ」
伴百悦氏の事が知りたくて検索していたらこの本に出会った。
戦争が終わると占領軍は直ちに会津藩軍を捕虜収容所に送り込み謹慎を命令。
終戦の時点で籠城中の者三千数百名は猪苗代の収容所へ。
雑賀忠兵衛達越後方面軍は城外で戦闘を続けていたがそれらの城外組一千七百名は塩川へ収容された。
忠兵衛はこの収容先で伴百悦(43歳)に出会う。
会津藩五百石の上士である。
伴は戦時中、越後方面軍の組頭という要職に就いていた。
越後方面軍を一つの師団と考えると忠兵衛が属していた朱雀四番士中隊は師団傘下の一中隊に過ぎない。
忠兵衛から見た伴は雲の上の人。
が、伴の居宅が忠兵衛の住まいと然程離れていなかったことが幸いし日頃から顔を合わせると挨拶を交わす間柄に。
塩川での再会で忠兵衛は伴から「忠兵衛にはわしの手伝いをしてもらおう。異存はないかな」と声を掛けられた。
忠兵衛は「はい。喜んで」と答えた。
伴には、生かされた者がやらなければならない仕事が用意されていた。
それは、昨日まで生死を共にしてきた同志の遺体収容と埋葬である。
伴の仕事に忠兵衛の手助けが必要であった。
当時、戦火で廃墟となった若松城下には会津藩士の戦死者と自害した家族の遺体がそのまま放置されていた。
何故かと言えば薩長政権を笠に着た占領軍が「賊軍の死骸に触れるべからず」と布告し厳しく取り締まったからである。
「見せしめ令に背いたものは厳罰に処す」
↑何だよ、この訳の分からない法律は。
占領軍の脅しに死体を見ても見ぬふりをして通り過ぎるしか方法が無かった。
その頃、こんな事件が持ち上がった。
飯盛山の近くに住んでいた吉田伊惣治が自決した白虎隊士の遺体を発見する。
余りの痛ましさに心を動かされ四つの遺体を木箱に納めて妙国寺に埋葬。
↑本来、人として当たり前の事なのだが。日本では。
その事が占領軍に漏れてしまい、伊惣治は直ちに逮捕。
投獄されてしまう。
後に伊惣治は釈放される事になるが、その際、占領軍が出した釈放の条件は「埋めた賊徒(白虎隊)の死骸を掘り起こして元の場所に捨て置くこと」
↑変態やな。
薩長政権、戦後処理の中でも『死体野晒し令』による遺体見せしめという非人間的な行いは会津人一人一人の心を傷付け永遠に拭い去る事が出来ぬ怨念を刻みつける結果に。
↑『死体野晒し令』by 薩長政権
教科書で教えるべき。
伴の口癖は「同志の弔いが終わるまではわしらの戦いは終わってねぇ」
伴は訪ねてくる者に戦死者の調査を依頼。
遺体の場所(現地地図・目印)
氏名の確認(手掛かり)
遺体の数
仮埋葬の情報など。
伴が入手した情報は全て忠兵衛が記録。
遺体の状況調査は占領軍の野晒し令があるので決して安全ではない。
怪しまれたら最後、逮捕・監禁、場合によっては打ち首も覚悟。
「私に行かせてください」忠兵衛が出張を願い出るが伴は一向に首を縦に振らない。
丁度その頃弟誠兵衛の討死の情報が舞い込んできた。
忠兵衛は弟の遺体がそのまま放置されていると想像しただけで居たたまれなくなった。
町人や農民が郭内への出入りを許可されたのは十月末から。
忠兵衛は日のあるうちに塩川を出たが途中知り合いの農家に立ち寄り衣服を着替え百姓になりすました。
郭内、本五ノ丁北端にある興徳寺に着いた頃は日が沈みかけていた。
忠兵衛はこの春新潟口に出征して以来郭内に足を踏み入れる。
目の前に広がる若松城下は焼け野原に変身していた。
次に湯川のほとりへ。
噂によると長命寺戦の際、この川べりで敵の猛反撃に遭い多くの戦死者を出したと伝えられた。
後日、塩川収容所の忠兵衛の元に誠兵衛の情報が。
長命寺戦で討死した彼の遺体は同僚隊士の手で城内に運び込まれた。
懐にあった折り畳まれた紙片に
慶応四年八月二十九日 雑賀誠兵衛 享年二十歳
と書かれていた。
死を覚悟した出陣だった。
忠兵衛の元に重ねて不幸の知らせが。
忠兵衛の日誌には、
八月二十三日、西軍、城下へ侵攻、母上キサ自刃。
享年五十歳。
合掌。
の一行が書き加えられた。
↑今日はここまで。
17時から夕食作り。

鶏手羽元の味醂粕漬け、茄子の古漬け、ご飯、昨日の残りのサラダとスープ。
ウォッカ梅酒ロックと一緒に美味しく頂いた。
お皿は長女が洗ってくれた。
更に、スイカまで買ってきてくれている。
デザートに美味しく頂いた。
お腹も満たされ幸せ一杯に。
読書と調べ物をしてから寝ることに。
歩数計は8061。
充実した一日だった。