2025/8/8金曜日
4時に起床し畑に行く準備。
4時半に便意を催しトイレに行くもさせてもらえず。
5時に畑へ。
持参した水遣り用のポリタンクの水が何故か泡立っていた。

悪魔くんは何か入れたのか?
ポリタンクは昨日満水にし家の中に置いておいたからの。
嫉妬すると悪戯を゙する。
他にやること無いんかい!て言いたい所だけど、悪魔くんのお仕事はわいを見る事だからの。
基本、見てるだけのお仕事。
しかし、それを元にわいが嫌がる事をやるのが悪魔くんのお仕事。
Basically, his job is to watch my behavior.
誰に命令されてるんだか。
I don’t know whether who order it to him.
I guess the action above is to make me confuse and quit to bring the water to the field.
The more you harass me, the more I think.
You make me really clever.
Thanks a lot.
一通り水やりをしたら6時45分に帰路に。
帰宅後、シャワーと洗濯。
8時から読書と調べ物。
昨日に引き続き、星亮一著「平太の戊辰戦争」
一 水原炎上
<切り死にせよ>
新潟に近い酒屋の陣屋に居た平太にとっても新発田藩の裏切りによる太夫浜への上陸作戦は夢想だにせぬ事だった。
萱野右兵衛は飯を掻き込むや、四人肩の早駕籠で酒屋を発って水原へ向かった。
平太らも夜通し歩いて水原へ。
途中、満願寺村の庄屋が朝食を用意してくれたので飯を食い、また駆け出したが前夜から一睡もしていないので「あかに焦れども足ははかどらず」といった有り様。
↑まだ15歳やで(泣)
水原に着いたのは27日正午過ぎに。
それから戦の準備。
本隊の大半が帰国した為、兵士、役人、若党、中間、槍持、草履取りなどを合わせても僅か150人も居ない。
↑たった150人で軍艦から降りてくる西軍を迎え撃つとか恐怖やろ。
まず、新発田城下に通じる本街道を固める為、水原から一里の笹岡村に簗瀬禎次の精兵30人が向かった。
町外れに塁壁数ヵ所を築き、防戦の準備を行い、その他、水原町の出口を5人乃至3人で固めた。
平太は郡方役人の鈴木源次郎、萱野隊若党の鈴木清四郎との3人で新発田に通じる小路の出口を警固。心細い限りの守備であった。
平太はまんじりともせずここで夜を明かしている。
2日続けての徹夜。
七月二十八日 鶏鳴暁を告げ、東天紅を催すれば、鈴木源次郎氏には夜も明けたれば陣屋へ帰るべしとのことなれども、小生には、交代の人来たらざるうち帰るはよろしかるまじ、交代人来たるまで待たれよと言いしも、聞き入れずして出てゆきたり。
間もなく笹岡方面に当たり銃声しきりに起こり、暫時にして火災起こり、炎々天を焦がし、黒煙空を覆う。
これは定めし味方の兵、敗れたるならんと思い、清四郎に向かい、笹岡方面の戦況を陣屋へ至り萱野氏へ報告し来るゆえ、それまで警固せよと言い置き疾駆、陣屋住居に至り見るに、萱野氏単独にて端座しおられしゆえ、笹岡方面の戦況を報告しければ、それは一大事なれば陣屋にもいまだ多少の人ありべければ、「直ちに玄関前に急ぎ出揃い候」と陣屋の長屋中へ伝え来たれとのことゆえ、その命を果たし戻り来たりしに、空腹を覚えければ、炊事場に至り飯のできたりや問いしに、できたる旨につき直ちに善部につき食しおりたるに、敵軍にはもはや市中へ突入せしかば、陣屋目掛けて銃声鋭く打ち掛けたり。
萱野隊の塁壁はいともたやすく突破され、水原陣屋に銃弾が浴びせられた。あの堂々の凱旋からまだ1ヶ月。
余りにも早い敗退に息を飲むしかなかった。
しかしここで躊躇していては皆殺しに遭う。
即刻脱出するほか手は無かった。
↑まだ15歳の平太に絶体絶命の危機!
<数千両散乱>
御勘定所などには数千両の金銭ありしも何の手配もなさずおりしところ、敵軍より陣屋を目掛けて打ち掛けられ大いに狼狽し、千両ずつ入れありし箱二個だけでは門前まで持ち出したるに運搬するの術なく、一個の箱を打ち破り、勝手次第持ちゆくこととなし、残る千両は陣屋に巡りし堀に埋めんとのことにてありしも、再度陣屋に来る見込みなしとの説に一同賛成ゆえ、千両のうち半額を進上すべければ、誰か持ち行きくれる人なきやとのことなれば、萱野氏の若党鈴木清四郎、力量勝れたる者なれば進み出て、半分けなれば私持ちゆくべしとて肩に乗せ出てゆきたり。
大混乱の中にもユーモラスな光景もあった。
この千両がどうなったかについての記載は無い。
千両箱騒動の間に敵は一層激しくなった。
時に敵は近くまで進み来たり。
小銃の発射ますます急なり。
萱野氏には水原を敵に奪われ何の面目ありて人に面を向くべしや、皆一同に切り死にせよと帯びたる刀を抜き放し、敵軍に向かって駆け出でしに、一同大いに驚き、ここにて戦死するは犬死に同様ならずや。
いったん退去するも、再挙に回復を計るこそ肝要ならずやと、袖にすがり諫諍し、強いて引き戻したるに、敵の追撃ますます激しく味方三名負傷あり。
名将萱野右兵衛だが、このときの対応は感情が先立ち、日ごろの迅速冷静な判断を欠く始末。
それだけ信じられぬ事が起こったのである。
今日はここまで。
12時に昨夜以来の食事。
夫には冷やし中華を調理。
自分は納豆ご飯と味噌汁とサラダでお腹を満たした。
午後も精力的に読書と調べ物。
16時過ぎにお通夜へ。
長女の同級生のママが亡くなった。
自分より若いのに。
お通夜会場へ行くと、昔一緒にお散歩という名のウォーキングに行ったメンツが勢揃い。
そのメンツは長女の高校の同級生のママ達。
不定期で良く一緒にウォーキングに行っていた。
そのメンバーの一人。
長女とその同級生も数人来ていた。
元気だった頃の思い出を語らいながら、19時頃迄滞在。
帰路に。
20時半に帰宅後、シャワー。
ブログをアップしたら読書と調べ物をする事に。
歩数計は14621。
充実した一日だった。