2025/7/31 木曜日
4時に起床し最新情報をチェック。
津波による被害は無かったようで安堵。
あ、震源地近くの北方領土のロシア領のクリル島では被害があったよう。
詳細はわからないが、緊急事態宣言が出されたそうだ。
もしかして、日本のDSさん達、緊急事態宣言出したかった?
これだと出せないね。
6時に買い物へ行く途中、畑に立ち寄りサーッと水遣り。
帰宅後、シャワーと洗濯。
合間にベランダガーデニングの水遣りとサワークリームの材料をヨーグルトメーカーにセット。
そして、味醂の仕込み。
早朝から35度の焼酎を買いに行ったのはこれの為。

毎回もち米8合を蒸すのに、一部が蒸しきれず難儀していた。
今回は蒸し時間を65分に延長。
美味しそうに蒸し上がった。
焼酎消毒した瓶に焼酎を入れ、蒸したてアッツアツのもち米を投入。
いい感じに40度位になる。
そこへ、先日作ったばかりの米麹800gを投入。
もち米と米麹がいい感じに混ざるよう木べらで撹拌。
これで完成。
もち米を蒸している間に味醂粕クッキーも製作。

いつもよりサクサクの食感に。
11時から読書と調べ物。
昨日に引き続き、星亮一著「平太の戊辰戦争」
〈作戦に一大頓挫〉
村松藩の失態は『衝鋒隊戦史』にも記載されている。
この戦史は一士官の日誌を元に編集者の中田庸一が当時存命する隊士の話を聞いて纏めたもの。
一士官とは今井信郎ではないかと言われている。
今井は文筆の才がある。
今井は衝鋒隊か戦列を立て直し長岡の戦闘に加わって以来、一貫して小千谷の重要性を主張。
しかし、会津藩総督の一瀬要人は消極的。
この時、衝鋒隊参謀楠山兼三郎が一瀬を激しくなじり「最早会津と一緒には戦えない」と離脱。
国元へ帰ってしまった。
話は戻るがこの戦史に於いて村松藩は「南軍(薩長軍)の一隊は城兵の隙を見て背面に迫り、二ヶ所より信濃川を渡り襲撃し来たりぬ。特に背面防禦を任ぜし村松の兵は不意を食って狼狽し、市街に火を放って潰走せしより、南軍はいささかの抵抗も受けずして直ちに長岡城に肉迫」とある。
応援の村松藩兵が何故火を放ったなかは不明。
この問題が後日厳しく追及されているところを見ると事実だったようだ。
「長岡城の壮者は全部を挙げて妙見(朝日山界隈)に出陣しおる事とて、城内に残留せる老幼婦女子のこれを防がん術もなく、周章を極めたるを以て戦線に加わらざる会津の一瀬要人、衝鋒隊総督古屋佐久左衛門、長岡の太夫河井継之助の三名は、手兵僅かに五十余名を以て神田口に出て雲霞の如き大軍を相手に必死に防戦し、なかにも河井は三百六十発元込め六穴のガットリング速射砲を自ら操縦し、群がる敵兵に多大の損害を与えたるが、一瀬要人は到底、成算無きを見て早くも遁走」と記している。
河井継之助は本営の摂田屋に居た。
摂田屋から城まで約一里。
駆け付けた時には手遅れ。
河井は米沢藩の応援を待って小千谷への攻撃を仕掛ける予定だった。
が、その到着が遅れ、敵に先んじられた。
「河井も肩に重傷を負いしかば古屋一人のいかんともし難く、自らガットリング砲を引き、河井を助け残る手兵三十余命と一散に城内に逃げ入り、長岡城主始め老幼、戦闘に耐えざる者をば、ひとまず安全な方面へ落としてやり、古屋総督自ら天守台に火を放って一同とともに河井を助けて煙霧に紛れ裏手の門より栃尾の方向目指して城主の後を追いぬ」
長岡落城は「各軍作戦に一大頓挫を来して失望落胆」とこのくだりを結んでいる。
↑凌雲のお兄ちゃんの古屋佐久左衛門大活躍やないかー!
この時の河井の怪我は軽傷で指揮に影響は無かった。
が、簡単に小千谷を明け渡した事がこのような結果を招いたわけで河井の心中は複雑。
この落城は出征途中の米沢藩にも多大な影響を与えた。
第三章 奥羽列藩同盟
一 米沢参戦
〈戦争日記〉
奥羽列藩同盟の盟約では米沢藩が長岡を助けて、越後を死守する事になっていた。
元々米沢藩上杉家は上杉謙信の流れを汲む名家。
越後は祖先達の墳墓の地。
米沢藩は本来は長岡城が落ちる前に越後に入り薩長を越後から駆逐する筈だった。
が、武器弾薬の装備が揃わず、また、藩内には反対の声もあり出兵が遅れた。
『越後戦争日誌』は5/1に米沢を出た中条豊前率いる先発隊580余人の戦争記録。
この日誌によると、米沢からは松原、手ノ子、小国、玉川を経て越後街道に入る。
峠を越えたあと、なぜかその地点で「つれづれの余り将棋に日を送る」といった無意味な日々を過ごし10日過ぎに越後平野に。
↑何しとんねん!
上杉謙信も草場の陰で泣いとる。
17日に会津藩本陣のある水原入り。
到着すると大砲の音が間近に聞こえ米沢藩士はここに至って事態の切迫を初めて知る始末。
5/18は新津に泊まり翌19日加茂を目指した。
加茂に到着すると「長岡城落城なりとて大騒動」と知り一行は愕然。
米沢藩記録掛けは「両藩、三度勝利を得、彼の官賊たやすく打てるものと油断大敵の戒めを忘れ、怠っていた所に、官賊がその虚に乗じ、信濃川を渡河し、一度に火をかけ、どっと打ち掛かった。防戦ついに破れ、大砲小銃官賊に奪われ、切り合いもあれば、生け捕りもあり、城を守らんとするもついに能わず。数十年辛倹して蓄えた軍用金二十万両、大砲四十門、弾丸、合わせ薬すべて賊軍に略奪される」とある。
↑官軍名乗るな!
西軍による泥棒、強盗。
征討軍でも何でもない。
天下取りの戦争やっただけ。
下剋上の戦国時代をもう一回やったとさ。
内乱に見せかけた、イギリス(フリーメイソン)による侵略戦争。
今日はここまで。
12時に昨夜以来の食事。
夫には冷やし中華を調理。
自分は納豆ご飯とビーツのスープメインでお腹を満たした。
午後も読書と調べ物。
長男から今日は夕ご飯は要らないと連絡が。
有り難く読書と調べ物を続行。
17時半から夕食作り。

玄米ご飯、鮭、茄子の焼きびたし、サラダ、キュウリの塩昆布漬け、チーズ竹輪、豚キムチ豆腐、ウォッカ梅酒ロック。
これにビーツのスープをプラス予定。
19時に食べる予定。
それまで、読書と調べ物の続きをする事に。
歩数計は6252。
充実した一日だった。