arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1412日目とファミリーテニスと高松凌雲㉗

2025/7/21月曜日

5時に起床し読書と調べ物。

昨日に引き続き吉村昭著「夜明けの雷鳴〜医師高松凌雲」

 

明治27年日清戦争が起こり同愛社では働き手である男を兵として戦場に送っている家族の苦況を゙察し留守家族の無料診療を行った。
↑それよりも、家族を戦場から戻してくれ。


榎本は社長として必ず総会に出席し各界の者達に同愛社への寄附を要請していた。
が、体の衰えが見られるようになり、明治41年10月26日に死去。

73歳であった。
10/30, 榎本の葬儀が駒込の吉祥寺で営まれた。
遺体は海軍砲車弾箱内に納められ、儀仗兵が傍らに立っていた。
凌雲は社員達と共に焼香。
箱館戦争での榎本の姿が蘇り、処刑を免れた榎本が顕官として死を迎えた事が感慨無量。
境内には政治家、軍人、財界人と共に消防夫や同愛社で施療を受けた貧しい身なりの者達が集っていて、焼香の列は長く続いた。
創設以来、同愛社員の施療した患者が68万7千人に及び、寄附をする慈恵社員も千余名に達していた。
榎本につぐ社長に大隈重信に依頼したが多忙を理由に諒承を得られず。
社員の推挙により再び凌雲が社長に。
東京の史談会から箱館戦争の体験談を話して欲しい、という要請状を受けた。
史談会では幕末から明治維新にかけての史実を後世に残そうとして、体験社に講演をして貰ったり座談会を開いたりして、それを記録に纏めていた。
それまで凌雲は同愛社の社員に問われて箱館戦争の折の事を断片的に口にした事はあるものの進んで話そうとはしなかった。
苦しかった日々の事を思い出すのが辛く、それに自慢話のように受け取られる気もしていたからである。
彼は丁重に断りの手紙を出した。
が、史談会の会員が訪れてきて重ねて要請された。

榎本の死が思われた。
一般には榎本が箱館戦争で降伏した事のみが伝えられ、降伏に至るまでの事情は明らかにされていない。
自分が官軍の村橋直衛と池田次郎兵衛の要請を受けて榎本に降伏勧告の書状を送った。
が、榎本は「一同枕を共にして」討死するのを潔しとして拒絶。
決して安易に降伏したのではなく榎本をはじめ首脳部の者達の名誉の為にも史談会で話し史実として残して貰うべきだ、と思い直した。
凌雲は明治42年1月17日の史談会に赴いた。
凌雲はパリから帰国後、榎本艦隊に投じた事から話し始めた。

鷲ノ木浜への上陸、箱館の占領と箱館病院頭取の就任、そして、傷病者の治療、各地の激戦、榎本軍の敗退。
そして、官軍の要請を受け病院掛小野権之丞と連署で榎本総裁に降伏勧告状を送り、榎本ら首脳部が降伏より討死を潔しとすると言って厳しく拒否されたいきさつを、特に力を込めて語った。
その間に衝鋒隊隊長古屋佐久左衛門が実兄で五稜郭に撃ち込まれた砲弾で重傷を負い死亡した事も話した。
榎本軍の降伏と榎本ら首脳陣の者達の東京への護送。
奇蹟的に極刑を免れ赦免された榎本が海軍中将として大臣を歴任し昨年10月死去した事で話を終えた。
激しい拍手が起こった。
控室に戻った凌雲の下へ五十年輩の男性が入ってきて、史談会幹事寺師宗徳と名乗り、貴重な話をしてくれて感謝していると言い椅子に腰を下ろした。
そして、「貴君は薩摩藩士池田次郎兵衛という方をご存知ですか」と尋ねた。
凌雲は「知っているどころか、私には恩人です」と答えた。
「実は池田氏から貴君の事をお聞きしそれで是非史談会でお話をして頂きたいとご足労をわずらわせた次第です」と言った。
寺師は、池田は次郎兵衛を貞賢と改名。
海軍大佐であったが数年前に退官。
現在は亀戸天神前に住んでいると言った。
凌雲は寺師に池田の住所を教えてもらった。
翌日、亀戸の池田の住居を探し当てた。
池田は驚き、部屋に通した。

↑凌雲先生の功績は大きい。

多くの人は箱館戦争で何が起きたか、と言うか、何で箱館で戦争するに至ったか知らない。

わいも、この本を読んで初めて、箱館戦争の詳細を知った。

日本人として知るべきだと思う。

どのように、日本が主権を失ったか。

誰が最後の最後まで抵抗したか。

戦ったんよ。

倒幕されないように。

植民地にならないように。

で、箱館戦争で負けたから日本は植民地になりました。

そこから、ずーっと植民地。

今も。

1868年から植民地。

日本は。

今日はここまで。

 

8時から洗濯とベランダガーデニングの水やり。

合間に読書と調べ物。

11時から昼食の用意。 

ヤロー共に冷やし中華を調理。

自分は納豆ご飯と味噌汁メインでお腹を満たした。

13時からは次男とテニス。

夫も加わり3人で練習。

暑さでバテた自分は途中から長期休憩。

ヤロー共で練習してもらった。

14時過ぎに帰宅後、シャワー。

スッキリしたら夕食作り。

 

とん平焼き、ミズの炒め物、蒸し茄子とピーマンの味噌和え、枝豆、ぶどう。

16時半に長男が受け取りに来た。

わい達は18時半に食べる事に。

ウォッカ梅酒ロックと一緒に。

もう14時半から呑んでますわ〜。

 

歩数計は7692。

充実した一日だった。