arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1409日目と高松凌雲㉔

5時に起床し皆の朝食と長女のお弁当のおかず作り。

長女は来週から異動になり家を出ていくのでお弁当のおかず作りは今日で終わり。

6時50分に長女を駅まで送迎。

昨日は私物を引き払いキャリーバッグでバスで帰宅したので自転車か無いそうだ。

駅まで送迎のついでに買い物も済ませた。

帰宅後、シャワーと洗濯。

10時から読書と調べ物。

昨日に引き続き、吉村昭著「夜明けの雷鳴〜医師高松凌雲」

 


翌年2月に初めての男子が生まれ勇と名付けた。
明治九年になると、旧藩士の間で政策に反撥する動きが表面化し、神風連の乱秋月の乱萩の乱が続発。
翌年2月には西南戦争が勃発。
戦地での傷病者は敵、味方の別なく救護するという趣旨の元に14年前にスイスで赤十字を標識とする医療組織が発足。
それに倣い三条実美岩倉具視佐野常民らがこの5月に博愛社を創立。
戦場に野戦病院を設け治療にあたるのを目的とした。
佐野は凌雲が箱館病院で病院頭取として多数の傷病者の治療に当たった事を知っていて博愛社に力を貸してもらおうと恩師で陸軍軍医監の石川桜所を介して交渉。
凌雲は創立間もない博愛社の組織が十分に整っていない事や博愛社が陸軍軍医部の管轄下にあるのを知り断った。
凌雲は一民間人として医療に専念したかった。
戦争は激化。
警視庁は巡査を多数募集。
戦場に送り込む為、習志野で軍事訓練。
激しい訓練だったので病人が多数出た。
↑悪魔が毒盛った。

 

 

これらを和泉橋の元大病院に収容。
警視庁の医員は少く、症状に適した診療も出来ない医師ばかりで患者の不満が高まった。
警視庁は凌雲に診療を依頼。
凌雲はまず、病院を見学。
医療器具も無く、薬品も乏しい。

医員の顔には自信のなさそうな表情。

患者達は暗い眼をしてベッドに横に。
警視庁の、しかも、東京の病院だというに、箱館病院より遥かに劣っているのを見て凌雲は患者達が気の毒に。
担当官に、薬代、診察代を払って頂けるなら、毎日午後往診致しましょうと告げた。
9月に西郷隆盛が鹿児島で自刃し西南戦争終結
凌雲の元大病院への往診も止んだ。
三女しげが生まれ住込みの助手も増えたので下谷区上野桜木町1番地に家屋を新築。
鶯渓医院の看板を掲げた。
凌雲は翌11年7月から鶯渓医院で診療を行い向柳原町の家を診療所分所とした。
第五大区の医師会の幹事に推され、ついで会長に就任。
凌雲は開業医になって以来、診療を受ける患者達が恵まれた収入を得ている者に限られていることに苛立ちを感じていた。
薬価料、診察料は江戸時代以来、物価に比べ高額。

その日暮らしの者には縁の無いものだった。
彼は「神の館」に附属していた貧民病院の事を思った。
貧民病院とは言え設備の整った壮麗な病院。
そのような大病院でなくとも、医師が力を合わせて貧しい病人を無料で診療出来る医療組織を作りたかった。
12/18に第五大区医師会の幹事会があり凌雲は会長として出席。

議題の審議が終わり、夕食を食べたら散会、がいつものパターン。

が、凌雲は特に発言を求めて、貧民救済の問題を口にした。
「神の館」附属の貧民病院の話もし、設備の整ったその大病院は、民間の篤志家、豪商が資金を集めて創設。
医師たちは懇切に貧しい人たちに最高の診療している。
「しかるに、わが国にはこのような貧民診療の病院は無い。誠に嘆かわしく、貧民の困窮をただ傍観するのみである。いかがであろう、諸君。一致協力して彼ら貧しい病者を救う為立ち上がり、将来貧民病院を創設する一大事業を興そうではありませんか」
「賛成」という声がそこここから湧き上がった。
年が明け1/12は朝から雪。
幹事達が凌雲の上野桜木町の家に参集。
規則の草案について協議。
その席に凌雲の提案を聞き伝えた本所区の医師田中玄達が来て計画に参加したいと申出たので諒承。
原案が成り2/10に再び凌雲の家に参集。
その席に幹事の一人に連れて来られた医師を眼にし凌雲は驚愕。
箱館病院で凌雲と共に医院として傷病者の治療に当たった蓮沼誠造だった。
蓮沼は箱館から東京に送られた後、島原藩預けとなり赦免されて故郷に帰郷。
医業に従事していたが上京して京橋区宗十郎町で開業。
たまたま幹事の一人から凌雲が第五大区医師会の会長をしていて貧民救済の組織を作る準備をしている事を聞き是非とも参加したいと連れてきて貰ったのだと言う。

↑人と人の繋がりの大切さを感じさせる。

凌雲先生の、信条、信念の強さ、凄い。

今日はここまで。

 

12時半に夫が帰宅。

リクエストにより、蕎麦を茹でた。

自分は納豆と味噌汁ご飯メインでお腹を満たした。

そのまま、夕食の下拵え。

15時からは、いつもより早いがウォッカ梅酒ロックタイム。

料理をしていたら、台所が暑くて叶わん。

いつもの梅酒に梅干しもプラス。

塩分が効いて最高に美味しい。

ノリノリで調理続行。


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茄子とピーマンの焼き浸し、ジャーマンポテトサワークリーム味、チーズinハンバーグ、ネギと豆腐の味噌汁、人参と竹輪ののナッツマリネサラダ。

 

16時半に長男と孫達が来訪。

17時前に帰って行った。

うちの夕ご飯は19時前後。

それまで、読書と調べ物をする事に。

明後日の日曜日は参議院選挙の投票日。

自分でも色々調べどちらも石濱哲信氏個人に投票する事に。

彼もあちら側の人間かもしれない。

けれど、彼の主張する外国人問題が注目を浴びる事に期待する。

わいもアメリカという外国に留学したけど、めっちゃ人種差別あった。

母国の良さを再認識した。

留学が終わったら帰国しよう、て思った。

外国に行くって、祖国の良さを再認識する機会だと思う。

外国に居座る人の気が知れない。

 

歩数計は8498。

充実した一日だった。