arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1407日目と畑と高松凌雲㉒

2025/7/16木曜日

5時に起床し皆の朝食と長女のお弁当のおかず作り。

朝の残りのおかずを持って7時過ぎに長男宅へ。

まだ下の孫しか起きてないそうでひっそりとしていた。

食べ物を渡したら、畑へ。

2日ぶりに訪れるとキュウリやゴーヤ、ズッキーニが大きくなっていた。

トウモロコシとトマトの株が幾つか倒れていたので補修。

8時に帰宅後、昼食と夕食の下ごしらえ。

長男がお昼食べに来るかも、と言うので、そのついでに本日の夕食も渡す事に。

しかし、10時過ぎに、雨が降っているのでお家で食べると連絡が。

ま、どっちみち、夫は今日診察日なので11時半に家を出る。

昼食は11時希望なので調理続行。

最近の夫のブームの冷やし中華

降ったり止んだりの雨予報なので11時半に夫を駅まで送迎。

スーパーで買い物をしてから帰宅後、昨夜以来の食事。

納豆ご飯と味噌汁メインでお腹を満たした。

午後は読書と調べ物。

 

昨日に引き続き、吉村昭著「夜明けの雷鳴〜医師高松凌雲」

 


翌日、家族のみで凌雲と久のささやかな祝言が催された。

凌雲が開業した医院には水戸藩邸の者が病気や傷の治療を受けに来て、口コミで凌雲が元将軍の奥詰医師となったあと、フランスで医学修業をし箱館病院の頭取として多くの傷病者の治療にあたった事が人々の間に伝わった。
治療を請う者が日を追って増し多忙になってきたので、箱館病院時代に書生だった村井時之助を、友人で医師の田代基徳の元から貰い受けた。
7月に廃藩置県の令が発せられ藩は廃され、藩主は県知事に。

凌雲は水戸藩所属から水戸家の御用医師に。
その頃、箱館病院時代の医員だった伊東友賢から凌雲の最初の師匠の蘭方医石川桜所の近況を記した書簡が送られてきた。
石川は仙台藩領の桜場村に生まれ江戸に出て大槻俊斎、伊東玄朴に西洋医学を学び長崎に行ってオランダ人に医学の伝授を受けた。
江戸に帰った石川は仙台藩に召し抱えられ侍医になり、更に幕府に召され幕府医官最高位の法印に叙せられた。
戊辰戦争幕府軍が大敗し、将軍慶喜随行していた石川は慶喜と共に大阪から江戸に逃れ、その後慶喜が謹慎の身になったので故郷に戻った。
仙台藩は官軍と戦う姿勢を示したので石川は藩と運命を共にしようと、その傘下に。しかし、仙台藩はその後、官軍に降伏。石川は桜場村に逃れるように戻った。
石川は突然、官軍に捕らえられ仙台の獄に投じられた。

箱館を占領した榎本軍と通じ、仙台方面の情報を密かに伝えていると言う嫌疑で。
諜報行為は斬罪に処せられるのが習い。
伊東は凌雲が石川に師事していた事を知っていた伊東は凌雲に伝えた。
思いがけぬ恩師の苦況に愕然とした凌雲は、新政府の要人の助力を仰ぐことに。
彼は新聞で松本良順が兵部省の軍医頭に任命された事を知っていた。
早速、兵部省へ行き松本へ面会を申し入れると、部屋に通された。
そして、兵部省より仙台に石川殿を保護するよう手配させます、と応じてくれた。
数日後、松本から書簡が。
兵部省からの指示で石川は赦免となり、更に石川が近日上京する予定なのでご安心あれ、とあった。

凌雲は嬉しさの余り翌日松本に会いに兵部省へ。
すると、松本から石川は兵部省軍医部に所属してもらうべく東京へ来るよう促している。

また、林紀殿も、共に次官の職に就く予定であると告げられた。
林は蘭方医林洞海の長男でオランダ医師ポンペに師事。

幕命によりオランダに留学。

維新の急変で帰国後、徳川宗家と共に静岡に移り藩の病気長を勤めていた。
松本は軍医部の充実を図るため西洋医学を身につけた秀れた医師達を集めようとし石黒忠悳や田代基徳も誘ってある、と言う。
そして、凌雲も誘われた。
しかし、凌雲は、今は、仕官する事が出来ぬ事情がある、と断った。
彼には五稜郭で降伏した榎本釜次郎と首脳陣の事が頭から離れなかった。
降伏後、東京に護送され糾問所の牢に投じられ厳しい糾明を受けている。
巷では榎本らが尽く死刑に処せられるという説が専ら。
凌雲は、自らは赦免され自由の身となり開業して妻帯までしている。
そのような事を考え、軍医部に仕えて官禄を得る気になどなれなかった。
その年の10月に女児が生まれ栄と名付けた。
その頃、断髪、廃刀が認められ刀を腰に帯びる者は無く、丁髷姿の者も少なくなっていた。
年が暮れ明治五年の正月を迎えた。
松が取れて間もなくの新聞に「榎本、大鳥等、禁獄を免ぜらる」とあった。
牢獄から釈放され、榎本のみは親類預けに。
もう、死刑の心配は無い、と言うこと。
榎本が処刑を免れたのは旧薩摩藩士黒田了介(清隆)の尽力によるもの。

↑榎本や大鳥が赦免されたのは良かった。

が、蟠竜丸艦長の松岡磐吉が獄中で高熱が出る病を発症し癒える事なく獄死したのは悔やまれる。

彼の操舵術は箱館戦争の海戦に於いて無双状態。

唯一残った榎本艦隊の軍艦蟠竜丸で敵艦3隻を翻弄。

2艦を壊滅状態に。

天才的だった。

彼が日本の海軍の艦隊の隊長だったら、と思うとその死が悔やまれる。

今日はここまで。

 

14時半から夕食の仕上げ。

長男から今日は16時半に取りに来る、と連絡が。

タコミート、サルサ、レタス&キュウリ、チーズ。

ご飯は炊くので要らないと言われた。

長男は孫達を連れ、16時50分に受け取りに来た。

わい達の夕食はまだまだなので、先にブログをアップする事に。

 

歩数計は5933。

充実した一日だった。