arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1400日目と高松凌雲⑮

2025/7/9水曜日

4時に覚醒し調べ物。

5時に起床し皆の朝食と長女のお弁当のおかず作り。

合間に納豆とクッキー作り。

そして、シャワーと洗濯と水やり。 

8:45に買い物へ。

9時半に帰宅後、食材の仕分け。

10時から読書と調べ物。

昨日に引き続き吉井昭著「夜明けの雷鳴〜医師高松凌雲」

 


官軍が上陸した翌12日、喜助が密かに病院を出て食料を調達。

彼が町の者に聞いたところ、艦砲射撃は専ら五稜郭に集中。

弁天崎砲台と千代ヶ岱砦に立てこもっていふ榎本軍が尚も抵抗。

夜が更けた頃、門を叩く音が。
男達は薩州隊軍艦村橋直衛、藩士池田次郎兵衛と名乗った。

村橋が「昨日、我が隊の山下喜次郎殿が当院に参ったか入院者の中に会津藩遊撃隊長諏訪常吉殿がおられるのを確認した。諏訪殿に頼みたい事があるので会わせて頂きたい」と言った。
2人は諏訪の寝台に近づくと、村橋が25両の金を枕元に置き「病気見舞いとしてお受け取り頂きたい」と言った。
更に、村橋は現在の情勢を述べ大勢は決したので榎本軍の立てこもる五稜郭と弁天崎台場に和平の談判を申し入れたいので、斡旋の労を取ってほしいと要請した。
諏訪は極めて重傷で息を喘がせているだけであった。

彼は村橋に途切れがちな声で「私はかくの如き有様で到底その任に堪えず、高松頭取と小野殿に御一任頂きたい」と言った。
村橋が凌雲に「諏訪殿にお頼みするのは御無理でしょうか」と低い声で尋ねた。
諏訪の体は傷口から壊疽が広がり死は時間の問題であり、凌雲は無言で頷いた。
彼らは食堂に引き返し、村橋と池田はこもごも凌雲に小野と共に和平交渉の任を引き受けて欲しいと言った。
凌雲は怪我で療養中の小野を呼んだ。
そして、まず、村橋が現在の戦況について説明。
榎本軍の軍艦は完全に消滅したが、五稜郭と弁天崎台場に多くの将兵が立てこもり頑強に抵抗。

官軍は徒な殺傷は好まず、榎本軍との間に講和について協議の場を持つべきだという結論に達したと述べた。
「諏訪殿は遊撃隊の隊長であり、そのお力を借りて榎本釜次郎を始め主だった方々のご諒承を得たいと考えた次第である。しかし、諏訪殿はあのような状態にあり、諏訪殿が、御両者にと申される事でもあり、何卒この任をお引き受け頂きたい」
凌雲は口を噤んでいた。
講和について協議したいと言うが、つまりは降伏勧告。
榎本達にとって降伏は最大の屈辱。

医師である自分が武人である彼らに恥辱を忍ぶようにと勧めるのは余りに僭越と言わざるを得ない。凌雲は「私達にはそのような大任を負う資格はありません。それは武人である貴殿達がよくおわかりと存ずる」
村橋は「そうは思いませぬ」と反論。

「貴殿は当病院の頭取であり、小野殿は病院掛である。戦には多くの傷者が出るのは常のことで、それを治療なさる医師の力は絶大であり、榎本釜次郎殿の軍にとって貴殿らお二人は最高幹部と言っていい。僭越などとは誰も思いはしませぬ。和平を斡旋して頂くのに最も相応しいお方と存ずる」と続けた。
凌雲は

「西欧では、例え敵であろうと傷つき病んだ者は温かく保護し、治療すると定めています。しかるに官軍の兵は殺戮を欲しいままにし、火を放って焼死までさせている。誠に人間とは思えぬ暴挙である。そのような官軍に榎本殿達が降伏した場合、如何なる事になるか。苛酷な刑に処せられると思うのが常識である」と強い口調で返した。村橋と池田は驚きの表情で、必ず高龍寺を襲った者達を糾明し厳しく処分する、と口々に言い、更に村橋が「朝廷は決してそのような残忍な事をしてはならぬ、ときつくお命じになっている。あくまでも寛大な思し召しにより、平穏を旨となさっている」と言った。
↑では、朝廷の命令を破った者達は厳しく処分されたのか?調べてみるけれど。

 

凌雲は小野に「村橋殿の御要請をいかにお考えですか」と問うと「和議が成った後、榎本総裁を始め首脳部の方々を温く遇すると言われたが、それが事実ならばお引き受けすべきと存じます」と答えた。
凌雲は村橋に「お約束くださるか」と問うと「しかと約束いたす」と答えた。
翌日、凌雲は小野を招いて自室で書状の筆をとった。
「以寸翰一大事ヲ申上候」と冒頭に記し、病院の現状を報告。

病院は一昨日より薩州隊により薩州改めの標識を門前に掲げ保護され、これまで同様に傷病者の治療に専念するようにとの指示を受けている。

昨夜、村橋直衛殿と申す軍艦を始め薩州隊士4.5名が入院中の諏訪常吉殿の元に訪れ平和談判の斡旋をして欲しいと申し入れた、と記した。
村橋殿の申すには、榎本軍の海軍は敗れはしたが「五稜郭並に弁天崎台場に於いては、実に奮戦の事、於士道八感服之至二候得共」戦闘によって町民達は多大な苦難を受けており、これ以上朝廷に反抗して天皇の御心にすむくのは甚だ好ましくない。官軍は榎本軍の将兵を皆殺しにするなどという噂があり、それで榎本軍は必死の覚悟で戦い続けているのだと思う。しかし、朝廷は決して、そのような御意向には無く、あくまで寛大なお気持をもって平和を強く望んでいる。このことを五稜郭、弁天崎台場守備の首脳者に十分御理解頂けるよう懇談いたしたい。今が最も大切な時であり、このことを十分に御賢慮下され、講和談判に御同意頂きたい。
以上の事を村橋殿が諏訪殿に力説した事をここにお伝えする、と結んだ。
五月十三日
小野権之丞
高松凌雲

榎本釜次郎様
松平太郎 様

と記した。
正午近く、村橋と池田が来て、凌雲は小野と共にこの案文を示した。

村橋達に異論は無く、初めに弁天崎台場に使者を立ててその書状を届ける事に。
使者の選定に掛かり、凌雲は軽傷者の伊那誠一郎、高橋与四郎を選び2人を呼んで趣旨を説明。「榎本軍の生死に可関わる大事なお役目である。心して果たして欲しい」と頼んだ。2人は承諾。

 

今日はここまで。

 

11時45分から昼食の用意。

12時に夫と長男と孫達が帰宅。

公園で水遊びしてきたそう。

素麺を茹でて食べた。

自分は納豆ご飯と味噌汁でお腹を満たした。

 

午後は孫達と楽しく過ごした。

15時に長男と孫達は病院へ。

ママと赤ちゃんに面会に。

夫も同行。

17時から夕食作り。

チーズピカタ、もやしサラダ、ハンバーグ、ミズの昆布漬け、ご飯と味噌汁、切り干し大根と人参の炒め煮。

良く呑み良く食べた。

お皿は長男が洗ってくれた。

ありがたく読書と調べ物。

歩数計は7053。

充実した一日だった。