arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1398日目と孫守りと高松凌雲⑬

2025/7/7月曜日

4時に起床し皆の朝食と長女のお弁当のおかず作り。

合間にシャワーと洗濯、ベランダガーデニングの水やり。

8:45に孫達を迎えに長男宅へ。

今日は嫁の出産日。

長男は立ち会うので、孫達の面倒を頼まれた。

おにぎりも作っていざ出発。

9時半に東大宮親水公園へ到着。

7/19からオープンする水遊び場が多い中、この時期、貴重な水遊びスポット。

一日一回は外遊びさせたいからな。

10時におにぎりタイム。

2人共、バァバの梅おかかおにぎりを喜んで食べてくれた。

11時近くなり、下の孫が疲れたようなので移動。

近くのJRの電車の倉庫みたいな場所を陸橋から見学。

それを一緒に見たあと、下の孫は帰りの自転車でネンネ。

15分後、家に着くと目を覚ました。

11:45から昼食作り。

蕎麦と素麺を茹でた。

じいじは食べ終わるとお昼寝タイムに。

自分はそのあと、納豆ご飯と味噌汁で昼食。

最近は一日二食に戻した。

 

江戸から明治の本を呼んで、脚気や水腫病とかで亡くなる人がめちゃくちゃ多かったのを知り、それなりに栄養素を取り入れないと奴らが仕込む毒や寄生虫にやられるな、と直感。

それらに対抗する栄養素を取り込む為に1食では不十分。

二食で取り込む事に。

で、納豆ご飯を食べていると、孫達が群がって来た。

なので、3人で納豆ご飯を茶碗3杯分食べた(笑)

15時50分に赤ちゃんが生まれたと連絡が。

母子ともに健康で良かった。

16時から七夕飾り。

上の孫と短冊を作ったり、笹もどきをゲットしに行った。

17時に長男が到来。

皆で細やかなお祝い。

孫にはお星さま素麺を作った。

18時に長男一家は帰って行った。

帰宅後、ウォッカ梅酒ロックを呑みながら夕食。

後片付けを゙済ませたら、読書と調べ物。

 

昨日に引き続き、吉村昭著「夜明けの雷鳴〜医師高松凌雲」

 

 

負傷者は絶えることなく次々と運び込まれるように。
激増する負傷者を箱館病院で収容しきれなくなります凌雲は再び高龍寺を分院として借用する事に。
4/21の夕刻、榎本亨三が病院を訪れた。

亨三によると、西軍が箱館に攻め込んで来るのは時間の問題。

当病院に西軍が乱入した場合、士分の者達は必ず殺される。

もとより死を覚悟してこの地に来たが傷を負って抵抗も出来ず殺それるのは忍び難い。

そこで士分の者達を室蘭に送ることにした。

速やかに実行に移して頂きたい、と言った。

これに対し、凌雲はきっぱりと拒否。

本営に従い室蘭に移動しても食料や薬品共に尽きる。

飢え死にするか、追われて縛につく恥辱を受けるか、いずれかである。

この病院は私にとって本城であり西軍の兵が襲ってきても一歩も退かない。

誠意をこめて助命を乞う。

不幸にして拒絶された場合、頭取として入院している傷病者と共に死んでも悔いはない、と亨三に告げた。
凌雲は、ロシア領事ビューツォフが病人の施療に強い熱意を抱き、箱館にロシア病院を設置した事を知っている。

病院は3年前に焼失したが施療に対する深い理解は変わらないのでは、と考えた。本営から領事に、戦争になった場合、病院を保護してくれるよう依頼して頂きたい、と告げた。
ロシア領事から傷病者保護に関し異論は無く何か支障が起きた場合、ロシア領事一人でも全てを引き受ける、との返信が。
入院患者にも現状について説明。同意を得た。
連絡の為に日に一回五稜郭に赴く小野から戦況は更に悪化しているのを凌雲は知った。
箱館の西方四里の海岸沿いにある地には大鳥圭介指揮の隊が圧倒的に優勢な官軍の進撃を阻止。

4/29早朝の総攻撃にも頑強に抵抗。

逆に反撃したりしていた。
そのうち、海上に現れた甲鉄、春日や丁卯から激しい砲撃を浴び砲塁が破砕され陸上からも攻撃を受けて遂にその地を放棄。
箱館から二里の七里浜まで退いた。
この後退で西方の山中にある二股を死守していた土方歳三指揮の隊は背後から攻撃を受ける形になり本営の指示で二股から後退。
本営では、青森に放った密偵からの通報で官軍の艦隊に新たに軍艦朝陽が合流。
朝陽は佐賀藩がオランダから購入した700トンの軍艦。
これにより官軍の軍艦六隻となった。
夜間港外に出て偵察行動をしていた千代田杉が岩礁に触れて動けなくなった。

艦長森本弘策は艦を放棄し乗組員と共に上陸。

その後千代田杉は満潮時に自然に離礁し港外に漂い出て、官軍軍艦甲鉄に拿捕され榎本艦隊は回天・蟠龍2隻の軍艦のみに。
5/10, 二股地区等の戦闘で負傷した者が新たに後送され凌雲は手術もした。

負傷者の中には会津藩の遊撃隊長諏訪常吉も含まれ重傷だった。
回診を終えた直後、海方向から凄まじい砲撃音が。

病院の建物が振動。

裏庭からは港内が一望のもとに見渡され、3隻の軍艦甲鉄・春日・朝陽が回天を追い掛けていた。

回天は三艦から砲弾を浴び絶体絶命。

しかも蟠龍は機関の漏水箇所を修理中で動けず。
午後3時過ぎに官軍の3艦は港口に引き返し艦影を没した。
蟠龍の機関の修理を急がせ修復が成ったが、回天の機関修理は不可能。

海軍奉行荒井郁之助は回天艦長根津勢吉と話し合い、回天を弁天崎砲台近くの浅瀬に座礁させ浮砲台として徹底抗戦する事に決した。

手でハンドルを回しスクリューを回転させ回天を移動して座礁させる事に成功。
小野は回天・蟠龍の乗組の者達の士気は高いと言った。
翌5/11 (笑)早朝、港内に再び砲声が。凌雲は蓮沼等と裏庭へ。

すると、港内に甲鉄ら4艦が進入。

弁天崎砲台に砲撃。
回天が応砲。
機関の修理を終えた蟠龍は全速力で走り回り朝陽・丁卯と対戦。

果敢に突き進んで両艦に砲火を浴びせ急速に反転して再び接近。

両艦はかなり被弾。

蟠龍の攻撃に圧倒され後退した。

突然朝陽の右舷に太い火柱が高々と噴き上がり、大轟音が空をつんざいた。

蟠龍の放った一弾が朝陽の右舷を貫通。

弾薬庫に突入し炸裂。

朝陽は中央部から裂け瞬く間に海面下に沈没。

凌雲は海上に飛散物と共に泳いでいる多くの人の姿を見た。
次に蟠龍は弁天崎砲台に進み甲鉄・春日と砲戦を開始。
↑蟠龍の操船術凄ないか!!確か艦長は松岡磐吉。

韮山代官所出身の!
今度は蟠龍vs甲鉄・春日が読めるかと思いきや………

 

その時、門の方で凌雲の名を叫ぶ声が。
松前奉行の人見勝太郎だった。
人見は、官軍は箱館山の後方に上陸。

我が軍は不意を突かれ敗れたり、と伝えるや馬首を帰し走り下った。

↑蟠竜艦長の松岡磐吉の操船術は凄い!

化け物並み。

だから、牢獄で消された。

病死したよ。

享年29歳。

哀悼。

今日はここまで。

 

歩数計は10539。

充実した一日だった。