arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1393日目と高松凌雲⑧

2025/7/2水曜日

5時に起床し皆の朝食と長女のお弁当のおかず作り。

昨日、大雨だったので畑はお休み。

なので、スイーツ作りに励んだ。

バスクチーズケーキ、寒天サワークリームケーキ、味醂粕アーモンドクッキー。

ついでにスペルト小麦パン生地作りと酒粕天然酵母作り。

気温が30℃超えなので発酵器等使わなくてもいける。

やる事やったら10時から読書と調べ物。

 

昨日に引き続き、吉村昭著「夜明けの雷鳴〜医師高松凌雲」

 

10/11(笑)、まず、回天が先導艦として出港。
13日、舵行に支障のない事が確認された開陽も長鯨と共に出発。
出航後暫くし中島三郎助が凌雲の船室へ。
仙台の折ノ浜で乗り込んで来た諸隊の構成を記した書面を見せた。
中島は「衝鋒隊という聞き慣れぬ名の隊がありましてね。それが四百名というかなりの兵力で……」そこで言葉を切ると「その隊の指揮者はなんと古屋佐久左衛門殿」と、言った。
凌雲は驚きの声を上げた。
↑わいも「えー!」て声が出た。

凌雲のお兄ちゃん、大部隊の隊長やないかー!


衝鋒隊は伝習隊と協同して戦い、利あらず、共に会津を離脱し裏磐梯から福島をへて仙台に辿り着いたそう。
その衝鋒隊は何と長鯨に乗艦。
↑すぐ後ろの船やー。


13日夕方、宮古湾に碇泊するや、中島がボートを手配してくれ、凌雲と六郎は長鯨丸で兄の古屋佐久左衛門と再会。
兄によると、佐久左衛門は兵を編成し衝鋒隊命名

越後の各地で転戦後、会津攻防戦に参加し、仙台に辿り着いたのだそう。

970名でスタートしたが仙台入りした時には650名に。

うち約250名は傷病者。

彼らを仙台藩伊達藩一門の伊達安芸涌谷陣屋に託し、四百余名が長鯨に乗艦したと言う。
宮古を藩領とする南部藩は既に降伏していたが、宮古代官所は艦隊の威容に恐れを成し艦隊側の要求を受け入れた。
宮古に石炭は無いので松材を要求。

更に米、野菜も積み込んだ。
先導艦の回天は到着が遅れていた。

が、10/16朝、帆船を曳航し宮古の鍬ヶ崎港に入港。

艦長甲賀源吾によると、気仙沼港に差し掛かった時、帆船が碇泊しているのを発見。それが仙台藩が幕府から借りた千秋丸と知ると、武装した兵とともに士官に臨検させた。

千秋丸は無頼の徒に乗っ取られていた。

更に兵を送り彼らを追い払い千秋丸を接収。

回春丸と改名し曳航してきた。
上陸した凌雲と六郎は再び兄の元へ。

そこで兄の勧めで剣術の稽古に励んでいた六郎は衝鋒隊に入隊する事に決定。
凌雲はそこを辞すると治療に要する白布と焼酎を買い求めた。
10/18早朝に艦隊の出発が決まり、一斉に抜錨。
19日には下北半島尻屋崎を望み、艦隊は鷲ノ木沖を目指した。
箱館には既に西軍により箱館府が設置され公卿の清水谷公考が府知事として赴任。

当然、奥羽諸藩の兵が警備についていると考え、箱館から離れた鷲ノ木村に上陸する事に。
しかし、この時、箱館警備の諸藩の兵は既に引揚げ、府兵二百が五稜郭に、松前藩兵二百余が松前陣屋に留まっているに過ぎなかった。
「開陽」からボートが降ろされ幕臣の遊撃隊長人見勝太郎と士官、兵三十名程が鷲ノ木浜に上陸。
人見は榎本の清水谷知事宛の嘆願書を手に使者として箱館に赴く任務を課せられた。
その嘆願書には

蝦夷を徳川家にお貸し下さるよう朝廷に願出てありますので、蝦夷を暫くの間お貸し頂きたい。もしもこの願をお許し下さらなければ、やむを得ず抗敵仕る」
という趣旨の事が記されていた。
凌雲は人見の率いる隊が吹雪の中を箱館に向って去ってゆくのを見た。
翌二十一日は吹雪も止み続々と上陸。
二十二日には凌雲も。

積雪は一尺程だった。
※一尺は30cm


雪深く歩行は困難を極め日が暮れたので大鳥の率いる隊と凌雲は森宿に宿泊。

10/23早朝、森宿から箱館に歩いていると3日前に人見と鷲ノ木を出発した隊の加藤市左衛門が馬に乗ってやって来た。
加藤は、人見隊が弟部峠を越えて昨日峠下村(亀田郡七飯町)に達し夜営したが、深夜、大砲2門を曳いた箱館府の隊に襲われた。
人見隊は応戦し、そこに人見隊を追って進んで来た伝習隊の滝川、大川両隊が駆け付けたが兵力が少く苦戦。
一刻も早く兵を進ませて欲しい、と要請してきた。
箱館府では榎本艦隊が江戸湾を発し蝦夷へ向かったと言う報を受け、驚いた清水谷知事は各藩に援軍を要請。
10/20に備後福山藩兵696名と越前大野藩兵171名が、更に10/21に津軽藩兵四小隊が箱館に到着。

人見隊に夜襲を仕掛けたのは津軽藩兵と松前藩兵。
大鳥は道を急いだが、積雪は更に増し砲車は雪に埋もれる。

銃隊が先行し凌雲もそれに同行。
宿野辺で昼食を摂っていると一人の負傷者が。

士官の指図役山本泰次郎19歳で、凌雲は傷の状態を見て医薬品のある鷲ノ木の艦隊に送るべきと判断。

後送させた。

山本は鷲ノ木で絶命した。
本陣に入った大鳥は人見、滝川、大川から戦闘経過を聞いた。
夜襲を受けた人見隊は後退を余儀なくされたが、滝川、大川両隊の応援を得て反撃に転じた。

奥州で多くの戦闘を繰り返してきた兵の戦闘力は高く、箱館府兵は算を乱して敗走したという。
人見隊が箱館府兵の夜襲の報告を受けた榎本は全軍に総攻撃を命令。
その命令を受け鷲ノ木警備の兵を一部残し大鳥本隊の居る峠下村へ。

また、榎本は回天と蟠龍に箱館に向かう事を命じ両艦は鷲ノ木沖を離れた。

↑凌雲の兄と弟も箱館戦争に参戦したのな。

心強いな。

 

12時に夫に冷やし中華を調理。

午後も読書と調べ物。

14時半に孫達へスイーツのお裾分けに。

一緒に寒天サワークリームケーキを食べたり、おもちゃで遊んだりした。

15時半に夫も来訪。

自分は入れ替わりに家路に。

帰宅後、夕食の用意。

撮影するのを忘れたので画像は無し。

献立は、キクラゲと油揚げの味噌汁、鶏ささみのみぞれ煮、マセドアンサラダ、納豆。

ウォッカ梅酒ロックで美味しく頂いた。

後片付けを済ませたら、バスクチーズケーキでデザート。

就寝まで、読書と調べ物を゙する事に。

 

歩数計は5803。

充実した一日だった。