arimahamaの日記

アメバから引っ越しました。

オートファジー1389日目と畑と高松凌雲④

2025/6/28土曜日

5時半に起床。

6時に畑へ。

久しぶりに行くと何故か人参の葉が枯れていた。

近くにあった赤紫蘇も巻き添え食らっている。

何か除草剤撒かれたか。

ズッキーニはデカくなっていた。

奴らの考えている事はようわからん。

アメとムチ?

8:45に畑を後に。

帰りは朝から何も飲んでいないので喉の渇きと、電磁波攻撃でおしっこを漏らしそうになりながら、ようわからん状態で帰路に(笑)

 

帰宅後、長男が上の孫と到来。

車でお出かけしたいと借りに来た。

9時半にシャワーと洗濯。

10時半に洗濯物干しが完了。

そのあと、昨日出来上がった納豆を容器に仕分けしていると長男と夫と孫達が公園から帰宅。

次男の分も含め5人分の昼食を調理。

つけ麺を作った。

嫁が体調不良と言うことで、夕方まで孫達が滞在。

孫達は久しぶりのはあばんちに喜んで滞在。

自分は隙を見て13時から読書と調べ物。

何せ、朝6時から休憩無しだからね。

 

昨日に引き続き吉村昭著「夜明けの雷鳴〜医師高松凌雲」

 

凌雲はこの記事で記者が強い好奇心を寄せているのを知り見物人が連日大入りであるのも無理は無く、清水は多額の木戸銭を得ているのを感じた。

更に清水がその家屋前に立っている事が多く、見物人は丁髷に着物姿の清水にも興味深げな眼を向けていた。

5/29(洋曆7/1)博覧会の出品物に対する賞牌授与式がシャンゼリゼの産業館で行われた。

フランス皇帝・皇后臨席の元、貴賓席にはトルコ皇帝を始めイギリス、オランダ、フランス、イタリア、プロシアの皇太子と昭武が着席。

日本からの展示品は養蚕、漆器、工芸品、和紙が大賞牌に、その他の品々には銀メダル、銅メダル、褒詞が与えられた。

その結果に昭武始め随員達は博覧会に出品したかいがあったと喜んだ。

博覧会以外にパリでは、日本からやってきた芸人の公演が大評判だった。

幕府は学生、商人に外国への渡航の許可を与えるようになっていて、松井源水一座が最初の芸人渡航者として慶応二年十月二十五日、横浜を離れた。

一座は「独楽廻し」松井源水、女房はな、娘みつ、「手妻」隅田川浪五郎、女房小まんと娘、「軽業綱渡り」浪七、「浮かれ蝶」柳川蝶十郎、朝吉、山本亀吉、小滝、太郎吉、矢奈川嘉吉で、アメリカの興行師と二年間千両という契約を結んでいた。

昭武は興行師に招かれて見物に出かけ、凌雲も他の随員と従った。

松井源水の独楽廻しは、独楽に丹念に紐を巻きつけ、突然激しい動きで観客席に向けて独楽を投げ出す事から始まった。観客達はそれが当たると思って悲鳴を上げたが独楽は松井の掌に戻った。

独楽は源水が体を動かすと共に腕から肩、腰、足へと回転しながら移動し、継いで宙に跳ね上げられると細い棒の先端に乗り、扇子、刃先の上を行ったり来たりする。

最後には、模型の小さな家屋の中に独楽が入り、廊下、二階へと自在に移り、やがて舞台の床に下りる。

それでも独楽は勢い良く廻っていて、観客達は拍手を続けた。

一座の中で特に観客を魅了したのは、柳川蝶十郎の「浮かれ蝶」の芸。

蝶十郎は紙をちぎって実物大の二匹の蝶を作り、二つの扇を静かに扇いで蝶を宙に舞わせる。その動きは蝶そっくり。

三味線と太鼓の音に合わせて大きな花束の上に止まったり、舞い上がったり。そのうちに蝶は広口の花瓶の中に入ったが、扇の操作で舞い上がってくると、再び花瓶の中に姿を消す。

その繰り返しに観客は感嘆していた。

8日後にはアメリカでの巡業を終えた足芸の浜錠定吉一座がパリに。

再び昭武と随員は足を運んだ。

定吉は肩に長い竹を立て、少ししなわせた後、直立させた。

そこにオーライという芸名の息子が素早くよじ登り頂上に達すると竹は左右に大きくしなった。

観客はオーライが落ちるのではと怯えた声を上げていたが、定吉が肩を静かに動かすと竹は安定。

オーライは竹に足を絡めると左右にしなう竹に頓着なく満足そうな歓声を上げて手にした扇子を開いた。

次にオーライは竹を両手で掴むと両足を宙に突き出して体を風車のように回転させた。

竹は激しくしにうが折れも倒れもせず、熱狂した観客は一斉に立って歓声を上げ拍手。

次いで、定吉は布団の上に仰向けになり、両足を高く上げて長い梯子を支えた。オーライが素早く梯子を登り、身を乗り出して扇子を使ったり、とんぼ返りをしたりする。

そのうちに舞台上の助手が梯子の片方の脚を外し、観客の中から恐怖の声が。

オーライは落ちそうになる仕草をしながらも、定吉の足に支えられた一方の脚に縋り、頂上に登ると、足を絡めて宙吊りになった。

この芸にも観客は興奮。

浜錠定吉の足芸については松井源水一座に継いで新聞にも大きく取り上げられ、新聞フィガロは「(オーライという)小児最も優れたり」として「其容貌頗る美麗愛すべく……最新奇の技なり、且一つの仕損ないも無く、衆人いたく是を称せり」と絶賛。

感嘆した昭武は定吉一座に二千五百フランを下賜した。

昭武はパリ万国博覧会参加任務を完遂したのち、教師について西洋知識を学びながら各国を歴訪する事に。

カションは教師になるのを強く望んだが向山は日本とフランスの宗教は異なる為、僧籍にあるカションは望ましく無いので適当な人物を推挙して欲しいと外務大臣、文部大臣に書簡を送った。

これに激怒したカションはモンブラン伯と結び幕府に不利な論説を新聞リベルテに投書。

↑日本人は田舎者だけど芸は評価されたようで良かった。

今日はここまで。

 

15時から夕食作り。

17時に皆で夕食。

ビビンバ、手作りビビンバのタレ、ローストナッツ、なめこの味噌汁。

ウォッカ梅酒ロックを飲みながら、昨夜以来の食事。

孫達が美味しそうにご飯を食べているのを見ているだけで幸せに。

4合炊いたご飯は完食された。

後片付けを済ませたら営業終了。

孫達は夕寝を開始。

有り難く、読書と調べ物をする事に。

 

歩数計は11741。

充実した一日だった。