2025/6/26木曜日
4時に起床し長女のお弁当のおかず作り。
朝の家事を済ませたら読書と調べ物。
昨日に引き続き吉村昭著「夜明けの雷鳴〜医師高松凌雲」
ホテルに戻った向山は激怒。
この薩摩藩の動きの詳細を知っている柴田が説明。
彼は薩摩藩が外国への渡航を禁ずる幕府の規則を犯して慶応元年三月二十二日に大目付新納刑部以下十五名を偽名を使って鹿児島藩領羽島から密かに出航させていた。
新納達はイギリスに渡り、更に万国博覧会開催を耳にしパリ入り。
彼の斡旋で琉球国王として出品出来る事に。
博覧会への出品を決定した薩摩藩は家老岩下左次右衛門を長とした11名をイギリス船で鹿児島を出発させた。
↑これは密航ではないの?
岩下は薩摩藩主を権威づけるために琉球国王とし、自らを国王使節と称してフランス外務大臣に書面を送った。
開会式には岩下が国王使節として出席した。
これを聞いた向山は激怒。
日本は幕府が統治する統一国家。
薩摩藩は琉球国王として藩の家紋を国旗であるかのように掲げている。
博覧会にやってくる各国の国王、政財界の要人を始め来場者は日本に琉球王国という別の独立国があると考える。
琉球は日本の一部であり薩摩藩主が国王として支配する国ではない。
↑だわな。
琉球の人々にとっても勝手に琉球国王名乗られて遺憾なんじゃね?
幕府の出品を担当する博覧会側の委員長は男爵レセップス。
向山が薩摩藩の展示について疑義があるとレセップスに伝えると4/29, レセップス邸で薩摩藩側とフランス外務省役人を招くので話し合いをして欲しいと回答。
向山の第一書記官とも言うべき支配組頭田辺太一は山内文次郎を通訳に当日レセップス邸へ。
室内には薩摩藩家老岩下左次右衛門、側役市来六左衛門、薩摩藩博覧会担当顧問モンブラン伯爵、外務省役人らが。
田辺は「貴藩の藩主を琉球国王とし、更に藩の家紋を記した旗をあたかも国旗のように掲げて居るのは、如何なる次第によるものか」と詰問。
岩下は「博覧会の件については主君(島津茂久)からモンブラン伯爵に全てを委任しておる、と指示されておりますので、伯爵にお尋ね頂きたい。私どもはこの席におりましても言語も一向にわからず困惑するばかりですので……」
と答え、市来と共に部屋を出ていった。
田辺は山内の通訳で、薩摩藩の展示所に藩主を琉球国王とし薩摩藩の家紋を国旗のように掲げているのは日本国の形態を損なう由々しき問題である、と激しくなじった。
これに対してモンブランは、薩摩藩主より委任を受けてその指示通りにしただけであり、変更は一切しない。
↑とんだ茶番ですわ。
それにしても、薩摩藩は、いつの間に幕府(日本国)から独立したんだ?
その事実、ちゃんと教科書で教えないと!
田辺はレセップス男爵にモンブランの主張は誠に不当である、と訴えた。
レセップスは「日本国ト琉球トノ関係ハ、政治上ノ問題デアリ、博覧会トハ係リガナイ。博覧会ニハ誰デモ出品デキ、コノ件ニツイテハ、展覧会ノコトヲ熟知シテイルモンブラン伯ノ言ワレル通リニシタ方カ゚、面倒ハ起ラナイト思ウ」とモンブランの肩を持った。
↑じゃ万「国」博覧会て名前付けなきゃええやん。
このタイトル見たら、それぞれの国が出品する博覧会て思うわな。
フランスもええ加減や。
主催はフランス国政府?
それとも商人?
国が主催だったらちゃんとやんないとね。
田辺は同席しているドナという外務省の役人を室外に連れ出し、琉球は幕府の支配する日本の一地方に過ぎず、独立した国では無いと説明。
「フランス国は、外交上琉球を゙独立国として認めているのかどうか、承りたい」と糾した。
ドナは「琉球カ゚独立国デアルトシタラ、当然、条約ヲ結ンデイルハズタガ、ソノヨウナ事実ハナイ」と答え田辺の抗議の理由を納得。
↑奴らのやり方をとくと見ておいてね。
部屋に戻った田辺はモンブランに改めて琉球国王という標識と薩摩藩の家紋の撤去を強く要求。
が、モンブランは憤り応じようとしない。
レセップスが仲介に入り、薩摩藩側は琉球国王という名称と家紋の旗を撤去し、その替りにグーベルズマン(Gouvernement・政府)というフランス語のもとに日本薩摩太守政府とする。
モンブランが、モンブランが、モンブランが、モンブランが、グーベルヌ゙マンという単語は政庁をも意味していて、例えばイギリスの支配地である香港の統治機関は政庁であり、日本の一地方である琉球を統治する薩摩藩はグーベルヌマンに相当する、と説明。
幕府の展示場は同様にグーベルヌマンという単語を使うが、それはあくまでも政庁より上格の政府を意味し、そのフランス語を使って日本大君政府とする事に。
↑「同じ言葉」を使う時点で駄目やろー。
ここで気付いてくれー。
この詐欺師野郎に!
モンブラン伯爵: 「騙される奴が悪い」
老獪なモンブランはフィガロを始めとした新聞の記者達に、大君と太守は同義語であると説明し、田辺との会談の経過も薩摩藩側に有利になるような内容のものを書面によって公表。
翌日の新聞には「日本ノ国体ニハ、カネテヨリ疑問ヲ抱イテイタガ(←余計なお世話。こっち来んな。)昨日、日本公使館ノ書記官田辺某ガ、日本大君政府、薩摩太守政府ヲ同ジ〈グーベルヌマン〉トイウノヲ認メタコトカラミテ、大君ト太守ハ同等ノ地位ヲ示スモノデアリ、大君ハ日本ノ唯一ノ主権者デナイコトガアキラカニナッタ」
という趣旨の記事を掲載。
↑158年の時を経て国際フェイクニュースが明らかに。
ことにフィガロ紙は「昨日、レセップス邸デ饗宴ガアリ、遠イ東洋ノ田舎者ガ、フランスノシャンパンニ魅セラレテ酔イ痴レ、コレマデノ化ケノ皮ヲアラワシテコノヨウナ調印ヲシタ」
と嘲罵する記事も載せた。
↑田舎者で結構。
さっさと日本から出て行ってくれ。
それらの記事の内容を知った向山隼人正は保科俊太郎にフランス語で抗議文を書かせて各新聞社に送ったが何の反応も無かった。
↑みんなDSだもの。
8時45分に自転車でさいたま歴史と民俗の博物館へ。
9時15分に到着。
ボランティアガイドの方の説明を聞きながら展示を見学。
10時20分になったので、予約した藍染めハンカチ作り体験へ。
ろうけつ染めはやった事があるが藍染めは初めて。
まずは、図案を見て作りたい模様を決めそれに沿って白いハンカチを蛇腹に畳み、両端を輪ゴムで縛り、最後に四角い洗濯ばさみで挟んだ。
と
隣で作っている夫は割り箸も使用していた。
出来上がったら、ゴム手袋を嵌め、エプロンをし、まずは、ハンカチを水に浸し濡らす作業。
そして、いよいよ、藍染めの樽に浸す作業。
2分間、楮の中で揉みながら浸した。
そして、広げて酸素に晒す作業。
これで、化学反応で青くなる。
青くなったら、水に浸ししゃぶしゃぶ。
最後にタオルの中で優しく
ぽんぽんと水気を取る作業。
後は15分〜20分程、外で乾かす。
待っている間、まだ見ていない展示を観に行った。
埼玉県内に多い板碑の展示コーナーで、再び、ボランティアガイドさんから懇切丁寧な説明。
あっという間に20分が経過。
乾いたハンカチを手に、予想以上の出来映えに歓声が。
早速使おうと思ったら、洗面器に張った水に酢を大さじ2を加えたものに一晩漬けてから使った方が良いと言われた。
帰ってからやる事に。
そのあと、訪れた武蔵野うどん屋さんでもハンカチを広げ、鑑賞。

ちなみに、割り箸を使用した夫の藍染めハンカチの仕上がりはこんな感じに。

男性用ハンカチに仕上がっていた。
更に、お気に入りの茄子汁うどんを食べ大満足に。

お腹が満たされたら、夫のハローワークに付き合う事に。
今日はどうせ帰ってもマンション全館停電だからね。
夫は退職してから毎月ハロワに行っている。
失業手当を貰うために。
13時に終了。
帰る途中、ツマミやお酒を購入し帰宅。
13時半に到着。
知り合いに会ったので停電は終わったか聞くと、もう終わったとのこと。
帰宅後、汗だくの服を着替えたら夫はビール、自分は梅酒タイム。
水筒に氷を保存しておいたので、今日は水筒呑み(笑)
扇風機を回しながら、呑んで食べて至福の時を過ごす事に。
歩数計は5612。
サイクリング22km。
充実した一日だった。