2025/6/20金曜日
3時半に覚醒し最新情報をチェック。
4時に起床し畑へ。
今日はまずは草取りを頑張った。

朝の涼しい時間帯でないと出来ない作業。
6時まで頑張った。

6時半に帰宅後、シャワーと洗濯。
すると、下の孫の熱が39度台であるという。
まだ、1歳児に電磁波攻撃やっとる。
これ、思い出した。
https://www.sankei.com/article/20140614-FJZLXDHVAVP7JFWJC4F27EL25A/
今朝畑で収穫した紫蘇を使って茄子の紫蘇巻を作って持っていくことに。
後は、鶏のみぞれ煮。
紫蘇と大根は解熱作用があるからの。
10時過ぎに家に届けに行った。
夫は、上の子を連れて公園へ行った。
11時からは米麹作り。

暑いので発酵機無しで作る事に。
11時40分に帰宅した夫に昼食のつけ麺を調理。
喜んで食べていた。
午後は漸く読書と調べ物。
昨日に引き続き「二本松少年隊のすべて」
〈体制一転〉
閏四月十七日、事態が一変。
西軍参謀の世良修蔵が福島宿に於いて、仙台・福島藩士によって殺害された。
この日を期して奥州諸藩は「奥羽列藩同盟」を結成。
反官軍・親会津徳川方へと体制は逆転。
しかし、庶民には理解困難な政変としか映らない。
「サテサテ、昨日マデ敵トシタ会津兵ヲ本日ヨリ味方トシ、逆二官軍ニハ敵対スルニ至ルトイウ。何ト軽々シク浮雲ノ如キ世ノ中デハナイカ」
と久三郎もその心情を吐露。
四月二十五日、白河城にて官軍と会津兵間出戦闘あり、死傷者二百六十人とのこと。
五月二日 白河城陥落の報が入るわ、敗残兵、郡山宿に至る。
六月十四日 久三郎は上町当主を拝命。
一方、民兵五百人の組織化を命ぜられる。だがもとより商人の町、それなりの体制を組むが久三郎は苦悩した。
二十四日、棚倉城陥落。
七月、いわき平が落城。
三春藩の裏切りもあって状況は最悪となる。
二十七日、二本松からの早馬があり、郡山宿の三代官は家族共々取るものもとりあえず登城して行った。
この折、牢屋にいた百五十人程の罪人達も特令釈放となった。
だが、この処置は郡山宿にとっては好まざる結果を生む。
二十八日 四ッ刻(午前十時)わが主藩・二本松が落城との報が伝わると郡山は完全に無政府状態に陥った。
すると、待っていたかのように暴動が起こり、町の打ち壊しが始まった。
この日の日記には、
「二本松落城之旨相早速政務ヲ司ル官吏壱人モ無之相成ニ付人気不穏、今夜如何之変事出来難党斗形勢相見、依之有志輩語日比」
と記される。
久三郎ら町の役人は対応に追われた。
さしあたり米八百俵を住民に配分し一時平穏を取り戻すが、日頃悪徳質屋と思われた質屋などは大変な窮地に追い込まれた。
「かくなるうえは」と久三郎は今日まで敵とした官軍本陣に有志と赴き、町の保全の為の滞陣・取締を請願した。
八月七日 命懸けの交渉も間に合わず、郡山の宿場町は火の海と化した。
この火災で何故か安積艮斎の生家である安積国造神社のみ火災を免れた。
これを見ると官軍側の思惑が見え隠れする災禍でもあった。
焼け野原となった宿に立ち尽くす暇もなく官軍から会津討伐に向けた人馬拠出の要請がなされた。
郡山宿の警備には守山藩が就いたが、焼け残った郷蔵から籾を背負い持ち出す兵員が居たので久三郎は
「郷蔵ノ籾デアレバ郡山貧民ノモノデアリ遺シテオイテイタダキタイ」
と新役人に申し入れた。
が、彼らは何も言わず持ち去ってしまった。
久三郎は守山藩在宅の高野藤八郎及び山崎
今五郎宅へ出向き、その旨を上申すると、藤八郎は怒り出して「コレマデ守山藩ニオイテハ、郡山宿ノ難渋ニハ心痛メテイタガ汝等ハソレヲ左程ニモ思ハズ、只モッテ不心得者アリト申スナラバ、今後、郡山宿ノ事ナド一切関知イタサヌゾ」という。
↑組織的犯罪だった事が判明。
「守山公ノ厚キ御世話ノ儀ハ、一同心カラ感謝致シテオリマス。只スデニゴ察シノ通リ、私共アノヨウナ兵火ヲ蒙リ、目下住ム家モナク明日ノ食ニモ事欠ク有様。我ラ旧町役員ノ者モ゙、近在ノ身寄リヲタヨリ、途方二暮レテノ現状。今日ノ御隊ノゴ巡回ニハ心ヨリ感謝シ御礼ノ言葉モ゙アリマセンカ゚、是非トモコノヨウナゴ行為ノナキヨウゴ推察イタダキタク申シ上ゲマス。ナオ後日改メマシテ役員一同オ願イニ上ガラセテイタダキマス」
と返答し帰郡。
十三日、役員三名で守山藩へ向かい高野藤八郎殿宅へ伺うと、そこには第七代守山藩主・松平頼升公も同席。
↑藩主がおるとかびっくりするわー。
「昨日、帰陣シタ折リ、ハカラズモ新政府ヨリ、安積郡ノ郡山組ト片平組ハ、コノ間、守山藩カ゚取リ締マレトノゴ沙汰デアル。シバラクハ当藩支配下ト相成ルノデ、委細ノ儀ハ郡役方ヨリ申シ伝エルガ、シイテハ一層ノ保護二勤メ各方ニモソノ旨、尽力サレン事ヲ望ムモノデアル。ナオ、昨日ノ申シ出ノ件ニツイテハ、何ゴトモナシトシテモライタイ」とのお言葉だった…………………………………………………………………………………………………。
↑郡山宿の八割、710戸が焼け出されたと言うに。
しかも、郡山の被災は何故か知られていない。
新政府にとって都合がわるかったのかね。
今日はここまで。
17時から夕食作り。
画像は無し。
味噌汁とメカブ納豆を調理。
後は朝作った茄子の紫蘇巻きと鶏のみぞれ煮。
ウォッカ梅酒ロックと共に美味しく頂いた。
後片付けを済ませたら営業終了。
歩数計は11326。
充実した一日だった。