2025/6/13金曜日
4時過ぎに起床し皆の朝食作り。
5時に畑へ。
青紫蘇と赤紫蘇を大量に収穫。

赤紫蘇は去年植えた物が自生。
お陰で今年は自前の赤紫蘇を梅干漬けに使える。
6時に帰宅後、洗濯とベランダガーデニングの水やり。
合間に、青紫蘇や赤紫蘇を洗い、葉を取る作業。
水切りしている間にサワークリームの材料をヨーグルトメーカーにセット。
8時半に買い物へ。
9時半に帰宅後、梅酒と梅干作り。
梅を1kg分買い足した。
追加で作る事に。

そのあと、赤紫蘇を塩で揉んでアク抜き。
梅酢に漬け込み、後日、梅干漬けから梅酢が上がってきたら入れる事に。
11時から読書と調べ物。
昨日に引き続き、篠田謙一著「人類の起源」
21世紀になってミトコンドリアDNAの全塩基配列を用いた系統研究が可能になると更に細分化され現在では15の系統が識別されている。
但し、この研究は南北アメリカ大陸全ての先住民集団を網羅しておらず、基本的に現代人を対象としている。
これから古人骨を中心に研究が進めばより多くの系統が追加される可能性がある。
その際、ネックになるのはコロンブス以降の歴史の中で新大陸の先住民が劇的にその数を減らしてしまったという事実。
植民地時代に消滅した系統が存在する可能性もあり、現代人のデータだけから過去の歴史を再現する事には限界がある。
〈ミトコンドリアDNAから見た成立史〉
新大陸先住民のハプログループが持つ多様性を調べると、どの系統でもほぼ同じレベルの変異を持つことが判明。
その共通祖先の誕生した年代を計算した結果、何れも二万四千年前になる事が明らかに。
全ての新大陸先住民の起源がこの時期に遡る事を示す。
↑二万四千年前に何があったんだろうね。
各系統の遺伝的多様性から初期集団の人口規模も推定されている。
新大陸に進出した時点で五千人に満たない集団だった。
その後、爆発的に人口を増やしていった。
新大陸にヒトが進入した考古学的証拠はせいぜい一万六千年前。
DNAから推定される二万四千年という時期の間に八千年のギャップがある。
この齟齬を説明する為に「ベーリンジア隔離モデル」が提唱された。
シベリアでの発掘が進んだ結果、シベリア北東部のヤナ川流域に三万年前から人類が生活していた事が明らかに。
そこから出土した人骨のゲノムも解析されている。
2 アメリカ先住民の祖先集団
〈古代ゲノムで探る新大陸の拡散〉
2014年に第五章で紹介したバイカル湖近辺のマリタ遺跡から出土した古人骨の核ゲノム解析により、そのゲノムが新大陸の先住民にも共有されていた事実が判明。
最初に新大陸に進出した集団は東アジアの祖先集団のみならずユーラシア西部の集団と共通の遺伝子も持っていた事が明らかに。
この研究が行われる前は現代の新大陸先住民が持つヨーロッパ人との共通の遺伝的な要素はコロンブスの新大陸発見以降の混血によってもたらされたと考えられていた。
マリタのゲノムが遥かに遡って西ユーラシアと新大陸を結び付ける事になった。
〈アメリカ先住民の成り立ち〉
①出アフリカの後、ユーラシア大陸に展開。東西に向かう集団に分離。
②三万九千年前に東ユーラシアに向けて展開したグループから南廻りで東アジアに向かう集団と北廻りでシベリアに向かう古代北シベリア集団が発生。
古代北シベリア集団のゲノムは現代のシベリア先住民とアメリカ先住民に受け継がれる。
③古代北シベリア集団の中に二万三千年〜二万年前に東アジア古代集団と混合するグループがあり、その集団が古代アメリカ先住民の祖先になった。
混合の起こった場所は恐らくバイカル湖周辺かそれより東や北の地域と推測される。
バイカル湖周辺にある約一万八千年前のアフォントバ・ゴラ遺跡から出土した人骨はマリタ人骨よりもアメリカ先住民に遺伝的に近いと判明。
それにより、アメリカ先住民の祖先集団の成立は二万四千年の最終氷期の最寒期よりも後だった可能性が高いと考えられる。
↑やはり、東へ、東へと大移動したのな。
で、海を渡って新大陸へ行ったら人口が爆増。
平和だったと推測。
しかーし、その後、劇的に数を減らした、と。
今日はここまて。
12時半に夫にラーメンを調理。
午後も読書と調べ物。
16時半から夕食作り。

鮭、焼き芋、チャーハン、鳥皮焼き、ローストナッツ、もろきゅう、チーズ竹輪、サラダ、ご飯、酒粕つみれ汁、枇杷、ウォッカ梅酒ロック。
良く呑み良く食べた。
後片付けを済ませたら営業終了。
読書と調べ物をする事に。
歩数計は7513。
充実した一日だった。