2025/6/12木曜日
5時に起床し皆の朝食と長女のお弁当のおかず作り。
溜まりに溜まった洗濯物を3回に分けてやったら干す作業。
ついでに次男の部屋の大掃除と布団干し。
布団干すだけの予定がマットレスにカビが生えてて大掃除となった。
ネットで検索すると対処法も出てくる。
10時半に終了。
漸く、読書と調べ物。
昨日に引き続き、篠田謙一著「人類の起源」
〈弥生時代〉
稲作農耕は長江流域で始まり、そこから拡散。
青銅器の源流は北東アジア由来。
稲作と青銅器の使用はそれぞれ異なる集団に起源を持つ。
縄文人と現代日本人のミトコンドリアDNAのハプログループを比較すると、縄文人はM7aとN9bが大部分。
一方、現代日本人は、それらに加え、D系統、G,A,B,F等多岐。
これらのハプログループは弥生時代以降に入ってきたと考えられる。
船泊の縄文人のデータを用いて現代日本人に占める縄文人由来の遺伝的要素を計算すると本土日本人で10%, 琉球列島の現代人で30%, 北海道のアイヌ集団では70%。
少なくとも本土の現代日本人に関しては渡来した人々の影響が非常に大きい。
主に朝鮮半島に起源を持つ集団が渡来する事によって日本の在地の集団を呑み込んで成立した。
↑D系統て縄文人かと思ってた。
弥生時代以降に入ってきたのな。
〈弥生人のゲノム〉
渡来系弥生人で最初に核ゲノム解析が行われたのは福岡県那珂川市の安徳台遺跡から出土した女性人骨。
副葬品としてゴホウラ製の貝輪や鉄剣なども出土している事から身分の高いグループの集団墓である。
結果は彼女の遺伝的な特徴は現代日本人の範疇に収まるもので縄文人にやや近い位置を占めていた。
3 北海道集団
〈北海道集団の成立〉
琉球列島に比べると北海道では縄文時代から江戸時代に至るまでDNA分析に適した纏まった数の人骨が出土。
稲作が入らなかった北海道では縄文時代の次に続縄文時代、擦文時代を経て13世紀にアイヌ文化が成立。
その間、5世紀〜10世紀にかけ道東・道北のオホーツク海沿岸にオホーツク文化が繁栄。
オホーツク文化人は独特の形態的な特徴を持つ人々だった。
近年、北海道の縄文人とオホーツク文化人、アイヌの人々のミトコンドリアDNAの分析が進んだ結果、新たな事実が浮上。
分析の結果、アイヌの人達は北海道の縄文人の子孫というわけではなく、オホーツク文化人の遺伝的な影響を強く受けている事が判明。
アイヌの人々には縄文人の遺伝的な要素に加え、沿海州集団の要素があり、後に本土日本との混血も進んでいる事が確認された。
2021年に発表された礼文島浜中ニ遺跡のオホーツク文化人の核ゲノム解析からも同様の可能性が示されている。
この研究では二千年前に千島列島を経由してカムチャッカ半島集団の遺伝子が流入し1500年前に沿海州からの遺伝子の流入があったと推定された。
第七章「新大陸」アメリカへ
人類最後の旅
1「最初のアメリカ人」論争
〈アメリカ先住民〉
アメリカ大陸はホモ・サピエンスが最後に上陸した大陸。
これまでアメリカ先住民はシベリアとアラスカをつないでいたベーリング陸橋を渡ってアジアから移住し南北アメリカ大陸に拡散したと考えられていた。
凡そ一万三千年前に。
その文化はクロヴィス文化と言われる。
しかし、南米最南端に近いチリのモンテ・ヴェルデ遺跡でクロヴィス文化よりも古い人類遺跡が発見されている。
二十一世紀になって現代のアメリカ大陸先住民のゲノム解析が進み、2010年以降は古代ゲノムが解析出来るようになり、アメリカ大陸先住民の成立のシナリオが描けるようになってきた。
〈DNAが明らかにする新大陸先住民の起源〉
解析の結果、アメリカ先住民のミトコンドリアDNAにはA〜D, Xと名付けられた5つのハプログループがある事が明らかに。
これらは全てアジアの集団に共有され、彼らの祖先集団がアジアの集団から派生した事が裏付けられた。
アメリカ先住民の持つY染色体DNAも同様にアジアの集団のサブセット。
基本的にはハプログループCとQという2系統が新大陸にもたらされた。
両者は南北大陸の先住民に広く分布。
両大陸への人類の急速な拡散を裏付ける。
↑アジアの人々は何かに追われるかのように、東へ、東へと移動したのな。
今日はここまで。
12時に夫にタケノコご飯と味噌汁と漬物の昼食を゙用意。
喜んで食べていた。
午後も読書と調べ物。
16時半から夕食の準備。

ピザ、タケノコご飯、鰯つみれの酒粕汁、ゼンマイとタケノコの炒め煮、納豆、サラダ、ローストナッツ、ウォッカ梅酒ロック。
夕食は19時に食べるが、その前にナッツと梅酒出晩酌。
昨日完熟梅を入れたのでめっちゃフルーティ。
時間まで読書と調べ物の続きをする事に。
歩数計は6993。
充実した一日だった。