2025/6/11水曜日
4時半に起床し皆の朝食と長女のお弁当のおかず作り。
6時過ぎに自衛隊研修に向かう次男を駅まで送迎。
帰宅後、読書と調べ物。
昨日に引き続き、篠田謙一著「人類の起源」
考古学の研究から縄文時代に九州と沖縄の交流があったとされる。
が、ミトコンドリアDNAの解析では琉球列島と九州の系統は一万年程前に分岐し、それ以降は混じり合っていない。
ミトコンドリアDNAは母系に遺伝するから女性が移動しないと痕跡として残らない。交流は主として男性によるもので移住を伴わなかったと推測。
これに対しN9bの系統はやや複雑。
北海道の縄文人で最も多い。
西に行くほど少ない事から北から日本列島に流入したと考えられる。
一方、九州の縄文人にもN9の特殊な系統がある事から朝鮮半島を経由した日本列島への流入の可能性も考える必要がある。N9系統の祖先は朝鮮半島から沿海州の広い地域に散在。
そこから北回りルートと朝鮮半島経由ルートで日本列島に到達。
その為、M7aのような単純な経路が推定出来ない。
〈縄文人の地域差〉
M7aとN9bの現代日本人に占める割合を見ると、M7aが7.5%程度であるのに対し、N9bは2.1%。縄文時代の人口は東日本から北海道にかけての地域の方が多かったと想定されているので(←初耳や!)現代の日本人に受け継がれている縄文人のミトコンドリアDNAが西日本のM7aの方が多いという事実は説明が難しい。
その秘密は現代日本人に遺伝的な影響を一番強く与えた弥生時代の渡来人と、在来の縄文人集団の混合の状況にあると考える。
2016年に福島県三貫地遺跡から出土した縄文人ゲノム分析の結果が報告された。
その後も縄文人の核ゲノムデータが追加された事で彼らが現代の東アジア集団とかけ離れた遺伝的な特徴を持っている事が明らかに。
特に北海道礼文島の船泊遺跡から出土した縄文人女性の全ゲノムが現代人と同レベルの精度で決定出来た事で縄文人に関する理解は大きく進展。
彼女が女性で血液型はA型と判明。
彼女が父方と母方から受け継いだ核ゲノムのSNPを比較する事で婚姻のネットワークは小規模である程度の血縁は認められるものの、双方が三親等以内の血縁関係は無い事も明らかに。
船泊遺跡では南方産のイモガイで作られたペンダントや新潟県糸魚川の翡翠、シベリアで作られた物と同じタイプの貝玉のアクセサリーなどが見つかっている。
また、耳垢が湿式、切歯がシャベル型ではないこと、毛髪は巻き毛であったことが明らかに。
これらは現代のアイヌや沖縄の人達にも共通して見られる形質。
興味深い事に、この女性は脂肪の代謝に関係する遺伝子に異常が認められた。
この変異は北極圏のエスキモーに多く見られる現象。
海獣など脂肪分に富む食料に頼る集団にとっては生存に有利な事から六千年前までに極北集団に急速に広がった。
船泊縄文人もこれらの集団との共通祖先からこの遺伝子を受け継いだと考えられる。遺跡から海獣を捕獲する為の漁労具やトド、アザラシの骨が多量に出土する事もそれを裏付けている。
↑「脂肪の代謝に関係する遺伝子に異常が認められた」←これはなんなんだろう。
気になる。
〈縄文人と東アジア現代人との関係〉
現代の日本人を含む東アジアの集団と、縄文人、弥生人のSNPデータを用いて、それぞれの関係を図式化したものを見ると、縄文人のゲノムは他の集団から大きく離れている。
縄文人か大陸集団から早くに分岐し日本列島の中で長期間独立し、独自の遺伝的な特徴を獲得した事が見て取れる。
興味深いのは韓国の現代人が丁度現代日本人と北京中国人の中間に位置。
朝鮮半島集団の基層にも縄文に繋がる人達の遺伝子がある。
↑日本に居る凶悪な朝鮮系の日本人は何者?
縄文人が現代の如何なる集団とも異なる遺伝的な特徴を持っているということ。
Y染色体DNAに関しては縄文人の解析例は余り無い。
これまで分析された縄文人男性は現代日本人では3割程度を占めるものの朝鮮半島や中国には殆ど居ない、ハプログループD系統を持っている事が確認されている。
日本列島にほぼ限定して残っているハプログループはミトコンドリアDNAでもY染色体DNAでも縄文人から引き継いたものである。
今日はここまで。
今日は居住するマンションで9時から15時まで断水。
いつもは午前中で終わるのだけどね。
長時間なのでお出かけする事に。
行先は越生。
太田道灌ゆかりの地であるのと、あじさい山公園があるので見に行く事に。
まずはあじさい山公園へ。
9:45に到着。

あじさいはまだ咲きはじめ。

それでも一つ一つの花が可愛くて綺麗だった。
階段の遊歩道が整備されていたので見晴台を目指し登る事に。

緑が綺麗だった、
更に上の見晴台を目指し登山(笑)

途中、雨が強くなり、滑りやすくなってきたので、下山する事に。
次に、太田道灌ゆかりの龍隠寺へ。
あ、グーグルに山猫カフェ沿いの道を案内されたが車一台通るのがやっと。
夫は対向車が来たらどうしよう以前に、ポツンと一軒家へ行く崖っぷちのギリギリの道幅に顔面蒼白になっていた。
大通りから向かった方が良い。


あと、太田道灌父子のお墓もある。
太田道灌は江戸城を築いた事で有名だが、武将としても優れ、また、主君から敵との和平交渉を任されるなど、智将でもある。
が、順調に領土を拡大していったことで主君が脅威を感じ、太田道灌は謀殺された。
江戸に移封となった徳川家康は名家の女性を求めた。
そして、太田道灌の子孫の女性、お梶の方(のちお勝の方)を側室にしている。
https://ohakakiwame.jp/column/cemetery-grave/grave-of-okachi.html
次に訪れた山吹の里歴史公園で、太田道灌の名家っぷりが明らかに。
このきゃわいい水車小屋の所に太田家の系図が。


やべー!
清和天皇から続いてるやないかー!
夫が、太田道灌いないやないかーと言っていたが、太田資長の事な。
道灌は出家後の号。
ここも遊歩道が整備されていたので上まで登った。

街が一望出来て素晴らしい眺望だった。
ここを領していたのは山吹氏だったそう。
これで、今日訪れたかった所は全て完遂。
帰路に着く事に。
途中、ランチをしてから14時半に帰宅。
15時前だが水道は出た。
早速、越生の直売所で購入したタケノコを茹でる事に。
そして、シャワー。
結構な山登りで汗を掻いた。
更に、梅干し作り。
追熟中の梅の一部が傷んでいたので、急遽やる事に。
容器をアルコール消毒し梅を洗いヘタを取り一つ一つ水分を拭き取りながら投入。
この作業中、悪夢くんが取り除いたばかりのヘタを上から投げ入れて来た。
わいに構って貰いたくてそういう嫌がらせをする。
すかさず、除去。

傷んで居る梅は除いたので2.5kgで700gの塩。
熟し過ぎて傷んだ梅は去年の梅酒瓶に投入。
美味しく頂く事に。
18時から晩酌しながらブログ編集。
途中、お腹が空いたという夫に素麺を茹でた。
ブログを投稿したら読書と調べ物の続きをする事に。
歩数計は13582。
充実した一日だった。